脆さとプライドと私。
さらけだせない弱さ
現在仕事もしているけど、半療養みたいな生活をしている私。日々は将来のための勉強と、書き物と仕事で消えていく。
半療養というだけあって、やはりまだ病人で、起き上がれない朝もあって、眠れない夜もある。勉強も計画通りには進まないし仕事だって休みがちだ。
それでも何とか生きている。
それは本当にすごくて、素晴らしくて、尊いことだ。療養になる前は、死にかけていたと言っても過言ではないし、療養してからだって体調不良に悩まされ、食欲不振に悩まされ、何度も死にかけたと言っていい。
それらを乗り越えたわけでもなく、何とかやり過ごして今に至っている。生きている。それは本当に尊いことだ。
忘れないように何度だって言う。それは本当に尊いことだ。
言わなければ、私はその尊さを、生き延びた自分のすごさを忘れそうになるから何度だって言うのだ。
それでも私は時々この尊さを、すごさを忘れそうになる。今息をしていられるのはあの日ノーメイクで日焼け止めだけ塗って、もしくは日焼け止めすらサボって、何とかコンビニに行き、食料を調達したからだ。このままではまずいと思った時にAmazonでシリアルバーを頼んだからだ。
それなのに、その尊さを、あの日の頑張りをすぐに忘れそうになる。よくない。
でも今は先程のnoteに書いたように雨のまっただ中であることに間違いはない。そんな自分を他人にさらけだせない私は、今夜ある一つの言葉を目にする。
「○○さん(友人)、優さんのこと心配してたよ」
心配されていたのか。じんわりとしみこむ嬉しさとともに、自信の脆さとプライドの高さを何度目かわからないけれど自覚した。
私は調子のいい時でないと人と交流をもてない性質であるらしい。今調子が悪いんですということも言えない。プライドが高いから。
調子の悪い時は何も言わずにいて、調子がよくなったら会ったり連絡したりしようと考えてしまう。
結果、つらい時にほとんど誰にもつらいと言えなくなってしまうのだ。
今は調子が悪くて、それも何年続くかわからない。調子が悪いからと言って、連絡を絶っていたら縁までなくなってしまう。そんな状況になってやっと、誰かにつらいとか現状とか、そういうことを言えたのだ。
そんな風に私は調子のいい時でないと人の前に立てない。服をきちんと着ないと人に会えないとかそういったレベルで体にしみこんでいる。ああ、その足元はとても脆い。
その脆さとプライドのために人に心配をかけている。何て状況だろう。
それでも人に会うのが怖くて仕方ない
明日、いや今日、人と会う。私の様子を見に来てくれるのだ。だけど私はそのことを思って今眠れずにいる。
何故なら私はその人に前会った時から状況がほとんど進展していないからだ。働ける日数が増えるとか、勉強で目に見える成果が出たとか、そういうことはない。勉強の試験日程は決まった。目標も定まりつつある。
でも、それだけだ。何も動いていない。
そう思ったら会いに来てくれるのに何だか恥ずかしくて申し訳なくて、会いたくなくなってしまうのだ。
調子のいい時でないと人に会いたくないというこの性質は意識改革なり何なりして直さなければならない気がする。
ひとまず明日、いや今日会ってくる。数をこなせば、慣れるかもしれないし。
執筆のための資料代にさせていただきます。