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ケーキ屋さんの隣の、あのお部屋。

ぱあっと顔が華やいだ

十数年を一軒家で過ごしてきた、ちょっと世間知らずの私は、大学進学を機に家を出た。大学進学だって、百パーセント私の望みどおりではなかったけれど、失意と期待が入り混じるくらいには希望に沿ったものであった。

格好つけずに言おう。私は家族と仲が悪かったので、家を出られれば何でもよかったのだ。家を出て、一人生きることばかり夢見ていた。「家から遠い国立ならどこででも一人暮らしをしていい」という親の言葉に必死に勉強した。この家にいたらダメになる、病んでしまうという予感がずっとしていたから。

いわゆる毒親の元に生まれたにしては、正しい判断ができていたじゃないか、と当時の自分を褒めてあげたい。私は、私を守るものを肯定する。浪人してもっと上の大学を目指すという手もないわけではなかったけれど、もう一年あの家にいたら病むと思った。”家から遠い国立”で”理系”、この条件を満たしているからいいか、と妥協も込みで、進学を決めた。

さて、一人暮らし、となれば、大事なのは一人暮らしの拠点、すなわちアパート探しだ。アパート探しには父が同伴した。女の子の視点をわかってはいなくても、建物の構造なんかは見抜ける父と二人で不動産屋に行った。部屋探しは割と難航した。

スーパーが近くて、コンビニが近くて、多少騒がしくてもいいから大通りに面しているところ。

何件か回ったけれど、どれもちょっとイマイチで、ピンと来なかった。

それが、ちょっとしゃれたアパートを見学して、一変する。不動産屋のお兄さんの案内でその部屋を見た私達はそこに決める。

洗面台は独立していないけれど、バスとトイレは別。少し学校は遠いけど通りに面していてそこそこ明るい。

壁はオレンジやピンクで、ピンクの壁には花が咲いていた。しかも、掃き出し窓じゃない。隣には個人でやってるおいしいケーキ屋さん。

家電もついていたその物件は、とても、よかった。そして家賃もお手頃で、いいな、と思った。

父はキッチンを見て、「キッチン小さいけど、料理しないだろうからいいか」と言ってそこに決めた。

そこに入った時の私の顔が華やいでいたからだと、父は言った。実際、今でもあの部屋に入ったことは覚えている。ぱあっと世界が明るくなるような感じがした。

おしゃれなアパートで始めた新生活

新生活は、楽しかった。門限はないし、私を監視する人はいない。ごはんの時間もお風呂の時間も自分の都合だけで決められる。決めるのは全て自分だ。何時まで起きていたって、友達と通話したっていい。生きている、と思えた。

実家ではありえないことだった。親の都合でお風呂もごはんも時間が決められ、勉強していたら「早く寝ろ」と言われる。勿論言うことなど聞かずに勉強したから今の自分があるわけだが。

その代わり、全ての家事が降ってきた。私はそれらをできるだけサボった。生存に問題ない程度にサボり、部屋を汚し、洗面台を汚した。キッチンは父の言った通りに、きれいなままだった。使わないから。

本棚ばかりが拡張していった。私は本に埋もれるようにして生きていた。それが、幸せだった。

逃げるようにその部屋を去った

そんなに楽しかったのに、最後の一年はその部屋からほとんど出られなくなってしまった。部屋が、檻になった時期でもあった。きれいでおしゃれで大好きだった部屋。隣にはケーキ屋さんのあるかわいい部屋。

その部屋を出るのも重労働になってしまった。近くのコンビニに行くのさえ、5時間かかった。支度をするのが億劫だったから。

本当によく卒業できたなと思う。当時の自分を褒めてあげたい。

去り際は進学先も決まらず、逃げるようなものだった。

でも時々思い出して、ああ、また住みたいなと思うくらいにはあの部屋が好きなんだ。

執筆のための資料代にさせていただきます。