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瀧脇笙古ちゃんは『夢を叶える一番星』

2022年、夏。

僕は、ただの普通のベイスターズファンだった。

巨人ファンの父と阪神ファンの母の間に生まれ、中日ファンの双子の妹を持つ、どこにでもいるベイスターズファン。

いないか。


地元は甲子園で、幼少期は阪神ファン。
高校まで野球部で、守備位置はセカンド。


ベイスターズがDeNAになったタイミングで、球団の雰囲気、監督の不思議な魅力に惹かれて。
タイガースという強烈な宗教から抜け出し、2013年の多村仁志7点差逆転試合で完全に横浜ファンに。


その頃の横浜DeNAベイスターズは、TBS時代の暗闇を照らす一筋の"光"筒香嘉智が4番でチームを牽引するようになり、中畑清監督共に革新を起こしている変遷期真っ只中だった。


でも、応援の仕方は今とは全く違っていて。


スポーツニュースで追う程度。
中継もあまり見ない。
試合観戦も1年に2〜3回。


いわゆるライトな野球ファンだった。


エンタメに興じることも少なく、ちょっぴりM-1が好きなぐらい。

時間のほとんどを仕事、休日は友人とのご飯・旅行に興じる普通の社会人。

これからも、のほほんと過ごしていく。
そのはずだった。


2022年、夏。



大学の後輩が突然、アイドルにハマりだした。
≠MEというグループ。
指原莉乃さんがプロデュースしてるらしい。

生まれてこの方、アイドルを初めとして芸能に関心を抱いたことがなかった自分。
勿論、興味もそこまで起こらず。

後輩が家に足繁く通い、MVを繰り返し見せてくるが、何度見ても顔と名前は一致しない。

「モノクロだった世界が、突然カラフルになりました。」
と鼻息荒く宣伝活動を続ける後輩。

そんな後輩が突然、「アメリカに行きませんか?ヒューストンに行かないと、一生後悔する気がするんです」と言い出した。

「はい?」

当時はコロナ禍最盛で、海外に行くのも一苦労。
危険を顧みず、アメリカに渡航する勇気があるわけもなく。

粘られましたよ。1ヶ月以上も。

最終的には心が折れて、ノイミーヒューストン参戦が決定。

鬱蒼としたコロナ禍の中で、刺激的な体験がしたくなってしまったのが最終的な決め手だった。

まだヒューストンまで1ヶ月以上あり、予備知識がほとんど無い中、後輩達に車を出させられたのが、「イコノイジョイ2022」

当時、メンバーも曲も一切知らない中、ライブで青春"サブリミナル"のイントロが流れた時、「この曲なんて曲?」「そんなこと言ってるのこの会場で先輩だけっすよ」とか言われてたな…

ライブも終わり、後輩に一言

「誰が印象に残りましたか?」

と問われ、記憶を掘り起こす。

うーん。

「おでこ出してた子?」

「え?」

("カメコさんお写真お借りします")

一切名前も知らなかったけど、妙に印象に残っていて。

「瀧脇笙古…って言うんだ。ふーん。」
「インスタやってるかな」
「…え!?」


「なんでベイスターズのグッズを着てるの!?」
「瀧脇笙古ちゃんね。覚えておこう」



この出会いが、後の自分の運命を変えるものだったかもしれない。



2022年、夏。成田空港。



そうして、ついにアメリカに飛び立つ日が来た。
まさか、大学卒業以来の長旅がこのタイミングで来るとは。


乗り継いだロサンゼルス上空


ヒューストン空港
ヒューストンのダウンタウン周辺

降り立った米国の大地は、熱狂的なライブを演出するには十分なほど、日本とは異なる空気を醸し出していた。

人生で初めてのメジャーリーグ。
ミニッツメイドパークにて、元横浜DeNAベイスターズのグリエルの勇姿を見届ける。
キューバの英雄、当時大ファンだったんです。


ヒューストンに到着して4日。


始まった、ノイミーの特典会。
グループメンバーの名前と顔を一致させて、曲も覚えて参加した初めてのライブ…!

メンバーランダムのサイン会は、蟹沢萌子さん。
最前列で見たライブは圧巻で。こんな近くで見たのはもちろん初めてで。

これまでの常識が変わるぐらい、傑出した体験で。

熱狂的な空間で。

コロナの鬱屈とした気持ちを海外で爆発させたような気がして。

アイドルのライブが、こんなにも人の気持ちを湧き立て、元気を与え、勇気を貰え、日常生活を彩るパレットになるものだとは思いもよらなかった。


この日は忘れられない夜になった。
間違いなく、人生の何かが変わった日。
大きな財産を手に、日本へと帰国。



2022年、夏。横浜スタジアム。



帰国後、ベイスターズが破竹の連勝を重ねる。
過去に応援してきた中で、こんなに強いベイスターズは知らない。

先述の通り、当時の自分は年間で2〜3試合に行く程度。
ただ、ヒューストンを経た当時、好きなことにとことん向き合ってみようという気持ちが芽生えていた。

「この連勝、途絶えるまで現地に行ってみようか」

当時、本拠地8連勝中。
自分が行き始めたらこんなもの、すぐ止まるだろう。

チケットを握り締め、横浜スタジアムへ。

9連勝。

10連勝。

11連勝。

全く止まらない本拠地連勝。
どんなに負けていても、終盤で逆転する。

試合観戦を重ねるにつれて、ベイスターズに対する期待が上がり、応援の熱も籠る。


そんな中で、ある投稿を目にする。

イコノイジョイで気になっていた瀧脇笙古さんが、どうやらベイスターズの応援雑誌でコラムを連載開始したらしい。

…いや、吉報ではあるのだが。

スターナイト2022ユニフォーム。

ベイスターズは1年に1回、スターナイトシリーズという3連戦を行います。
年毎に、変わったコンセプトとユニフォームで開催されるのですが、この年のコンセプトは「横浜の夏」。

日本プロ野球史上初めて、襟付き開襟シャツ型のユニフォーム。

でも、瀧脇笙古さんの着ているユニフォームには襟が無い…!?

それもそのはず、来場者全員に配られる無料配布ユニフォームにはせっかくの襟が付いてなかったのである。

「せっかくなら、襟付いてるユニフォームの方が良くない…?」

…ここはベイスターズファンでも歪んだ発想かもしれない。

ヒューストンで知り合った仲間によると、このグループにはどうやらプレゼントが贈れるらしい。

「襟付きユニフォーム、贈ってみるか…」

まだ一切話したことない子に対して、突然のプレゼント。
軽く恐怖である。


そんな事はお構い無く、ベイスターズの快進撃は止まらない。
横浜スタジアムで、本当に負けなかったのである。



12連勝。

13連勝。

14連勝。

15連勝。

16連勝。

…17連勝。

みるみる本拠地連勝を重ねていき、6月末から8月末まで、ついに一度も負けずに、首位ヤクルトと4.0差まで距離を詰めたのである。

8月末にして、首位の背中が見えたのである。

応援して長らく経つが、8月末にこの位置にいたことはない。
今まで経験したことのない気持ちが、自分を覆う。

もしかしたら、優勝できるかも…!?

横浜DeNAベイスターズは、1998年に優勝して以来、頂点から遠ざかっている。2021年は最下位。負けることに慣れていた。

そんなベイスターズが見せてくれる奇跡。
ハマスタ18連勝がかかった試合は、首位ヤクルトとの3連戦。

全ベイスターズファンが息を巻いたカード。
優勝のために負けられない戦い。
自分も現地で熱を込めて、全身全霊を傾けて応援した。


結果は惨敗の3連敗。


やっぱり、まだ優勝から程遠かったのである。


のしかかる現実。


夢は、簡単に叶わないから夢なのか。



失意の中、3連戦の最終日の夜。
瀧脇笙古さんは、ハマスタに観戦に行ったインスタを投稿する。


あれ、見覚えがある。

これは、自分が贈った襟付きの森選手のユニフォーム!

着て応援してたんだ!同じ現地で!


星のいない空 それが当たり前で
暗い道に目が慣れずに
踏み出すのも怖かった
そんな時 やっと見えた光


…この時が、もしかしたらそんな瞬間だったかもしれない。




2022年、9月。



自分には、夢があった。
「横浜優勝」と、仕事上の夢と。

瀧脇笙古さんには、「ハマスタで始球式」という夢があった。

どうせなら、一緒に走ってそれを叶えてみたい。


まだ一度も話したことないアイドルだったけど、この子に懸けてみたいな。
そう感じるには十分なぐらい、数奇なタイミングだったと思う。


12thシングルのオンラインお話会は10月から。

そういった想いを抱えながらも、一度もイベントに参加しないまま(!)5周年コンサートの日が来た。


初めて参加したイコラブのライブ。
瀧脇笙古さんを目で追った空間。演出。パフォーマンス。


ベイスターズファンとしての彼女しかほとんど見た事がなかった自分だったが、全ての楽曲を一生懸命歌って踊って輝いている彼女を見て、

「あの子は、今を煌めくアイドルなんだな……」

としきりに感動した。

ヒューストンで見たライブと同様に、元気と勇気と感動を貰え。


夢に向かって頑張る活力になる、彩りなんだ、と。

野球と同様に、ライブが自分にとって大切な時間になるのは、そう時間もかからなかった。


2022年、10月。


ここまで本当に色々な事があって。
ユニフォームを贈ってから2ヶ月ぐらい経っちゃって。

ついに初めてのオンラインお話会の日。

開口一番。

「やっと会えたね!」

「私もずっと話したかった!」

本当に嬉しかった。

なぜ応援し始めたか、自分の夢のこと、しょこちゃんの夢のこと。
ベイスターズのこと。

たくさん喋ったな。2ヶ月待ったもんな。



いつしか、しょこちゃんは夢を叶える為の原動力になっていた。


自分自身の目標に向かって走る横に、常に彼女が頑張る影があった。

パフォーマーとして、人々に元気を与えるために陰でひた向きに努力するアイドル。その気持ちは、日頃の配信で十二分に伝わっていた。


しょこも頑張ってるんだから、俺も頑張らないと。合わす顔が無いぞと。

そんな気持ちで、日々の仕事に対して真摯に向き合った。ひたむきに走った。



彼女を知って半年。
2022年、冬。


ひょんなことから、思い描いていた仕事上の長年の夢が叶う。

迷わず、報告しに行った。



「本当にすごくない!?」

しょこちゃんは、びっくりしきり。
目をまんまるくして、口を手で覆って
自分のことのように喜んでくれていた。

「私も夢を叶えるから、待っててね」


そこから彼女の夢は、自分の野望にもなった。


その夢が叶えられるように、自分には何ができるかを問い続けた。

ライブにも通い、彼女の輝く姿を形に残し続けた。

日頃のSNSの発信も、彼女の魅力ができるだけ多くのイコラブファン、そしてベイスターズファンに届くように、考えて考えて、日々続けた。

自分に出来ることは全てやりたい。
その一心だった。



そして彼女には当時、もう1つ夢であり目標があった。

フルマラソンでサブ4を達成することである。

自分と出会う前、2022年にもフルマラソンに挑戦するも、惜しくも4時間越えでフィニッシュ。

彼女にとってのサブ4は、一種目に見える”結果”であり、悲願でもあった。

ツアーやイベントが重なる中、ストイックに彼女は努力を続けた。

来たる東京フルマラソン2023当日

見事、3時間57分7秒で走り切り、サブ4を達成したのである。

俺は確信した。

この子には、夢を叶える力があると。

どんな困難でも真っ向から立ち向かい、打破してくれる。

信じて背中を追えば、考えもしなかったような荘厳な景色を見せてくれると。

サブ4達成は、自分の中では、大きな出来事だった。


2023年シーズン。
彼女は自分なりの努力を続けた。

自分自身も、夢を追いかけ
声を枯らして応援した。

ハマスタ最寄の日本大通り駅に掲示した22歳の生誕広告


そして2023年、秋。



しょこちゃんのベイスターズ愛が報われ、球団の公式イベントにゲストMCとして参加が決まったのである。


ファンフェスとは、シーズンが終わって11月に、球団がファンに感謝の気持ちを込めて開催するもので、3万人のファンと選手全員が参加する年に1度のビッグイベント。

そこで3人いるMCの大役を、しょこちゃんが務めることになったのである。

思いもしなかった、白羽の矢。

彼女が、球団にベイスターズファンタレントと認められた瞬間だった。


彼女の努力は、不可能を可能に変える。

初めは果てしなく遠くに感じられたようなものでも、

いつの間にか、すぐ近くまで手繰り寄せる事ができるのが、彼女の力なんだ。

イベント当日、グラウンドでMCをする姿を見ると自然に涙がこぼれた。

本当に瀧脇笙古さんを誇らしく感じた。
自分の人生を彩っていたのは、間違いなく彼女の存在だった。

イコノイジョイで初めて目が合ったその日から

夢の軌跡は始まっていて

君の努力、自分の愛で成り立つ この関係は

この日、横浜で輝く一番星になったのである。



2024年夏、始球式の夢は旅路の途中。

でもきっと彼女なら叶えられる。

僕はそう信じてる。

それまで、自分に出来ることをやるだけだ。

それがきっと、『夢を叶える一番星』の輝きを生むに違いないのだから。




2024年、夏。


瞬き出した横浜の星の煌めきは、


再び、物語の初めのヒューストンの空へ。

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