KYが語る空気を読むについて

今日は、「空気を読む」とは何かを考えてみようと思う。
子どもの頃、空気読んでよ!とよく言われて、
空気って読めるの?どうやって読んでるの?の疑問を持っていた。
私は、生意気な子どもだったので、同じような類の友達と一緒になり、「空気は読むものでなく、吸うものでーす。」と言っていた。
それを聞いて笑っている人もいたので、面白い事なんだと思っていたのだ。
しかし大人になって、そんな事を言っていたら、全く面白くないし、精神年齢中学生止まりか。と思ってしまう。
大人になってから、楽しい雰囲気の中、場にそぐわない発言をした人によって、空気が凍るという瞬間に出くわす事があり、あ!これが一般的な空気を読まないと言う事か!と実感する場面があった。
昭和時代に産まれた日本人は、義理人情を大切にし、また会社員では協調性を求められるので、集団でいる時に空気を読む事が大切なのだと分かる。
空気とは読むものなのだ。

空気を読むには、相手の微妙な表情の変化や話の流れを感じとる必要がある。


NGワードや地雷になりやすい言葉なども、出来るだけ避けるのが無難だ。
批評や悪口なども、気をつけた方が良い。本人や本人の家族に当てはまる事も十分にあり得るからだ。
言葉を発する場所にも気をつけたい。神聖な場所では、その場所に敬意を払う意味で、汚い言葉は使ってはならない。
という事はだ、敬意を払うべき人(初対面な人も含めて)といる時、汚い言葉は使うべきではない。
ある程度仲が縮まったら、少し汚い言葉を使ってもいいかもしれない。その方が、面白い空気になる事もある。
しかし、汚い言葉は絶対に聞きたくない。という人もいる。そういう人には、仲が縮まったからといって言うべきではないだろう。
ただ、そういう人は、壁を感じるので相手に仲良くなっていっている。というのを感じさせずらいかもしれない。距離感があるように感じる。

そして、敬語とタメ語について、、
私は、敬語とタメ語だと、敬語の方が使いやすい。敬語を使っているだけで、ちゃんと気を使ってますよ。感を出す事ができるからだ。
しかし、その事にどれくらいの意味があるのか?
本当に敬意を払って使っている。というよりは、使いやすい。失敗がない。相手に不快に思わせない。といった、かなりマイナスな思考から使っているとも言える。
私の人間関係についての座右の銘としては、
「嫌われないようにではなく、好かれるように行動せよ」
というのがあるが、それに当てはまるだろうか?相手を喜ばせようと行動すれば、大体は上手くいく。嫌われないために。とやり始めた事は、嫌われないが好かれない。

空気を読む事にどんなメリットがあるのか?
一つの話題に対して、人々が共感や称賛をしたり、類似した話を展開していく。
人は(特にmbtiのFの方)共感をとても大切にしている。というか共感してくれる人は、仲間だと思うらしい。個人的には、その考えは危険だと思う。
本当にそう思っているか否か不明な共感の言葉を聞いて、自分と似ていると判断できるのか?逆に似ていてたらなぜいいのか?
人との相性で、好きなものが一緒よりも嫌いなものが一緒の方が仲が深まるという話も聞いた事がある。
個人的には、違う意見を出し合って個性があるからこそ面白いのに、全員が分かるーだとか、そうだよねーみたいな。内容が膨らまない話に何の面白さがあるのか?と思う。
どーでもいい話を聞いて、適当な共感して終わり🔚が一番無駄な時間を過ごしてしまったな。と思う。
私は、空気を読む事について、実はそんなに良いと思っていない。
会社など集団での行動の中では、空気を読まないと迷惑をかけるので必要な行為だと思うが、
仲良い友達と会う時に、うんうん、そうだよねーへぇーみたいな話しを永遠と続けるのは、かなりのしんどさがある。

仮に自分が話しをして、それに対して共感のみのリアクションだと萎える。自分の意見を言ってくれたり、笑ってくれたりする人に話したいと思ってしまう。(自己中)

逆に、空気を読まない事でのデメリットは、
女子のリーダーっぽい人に嫌われる。
ぐらいでは?
ちなみに、女子のリーダーっぽい人というのは、皆んなを自分の思い通りに動かしたい、主導権を握りたい系の人の事ね!

プライベートでは関わる事は、まずないが、仕事場などで関わる場合には、空気を読んでいたほうが良いだろう。

最後に
空気はやっぱり読めた方が良い。相手の表情や反応を見て、場の流れを把握しよう。
しかし、空気を読めるからといって、実際に空気を読む行動をとるかどうかは、場所次第だ。
読めないことと、読まないことは全く違う。





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