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緊急帰国から2年

こんばんは、ユウガです。

今日3月22日は、インドから緊急帰国した日。
あの日から、あっという間に2年も経ってしまいました。
(カバー写真は、2年前の3月22日は、インド全国外出禁止だよーというお知らせのニュース画面です。
一日だけの予定だったのが、まさか半年続くとは…)

当時、私は青年海外協力隊(JICAボランティア)として、インドに滞在。
ちょうど1年が経った頃でした。

あの時の感情は定期的に思い出したい。
当たり前の日常が急転した日だから。

当時の気持ちをインスタに記録していたので、転載(+追記)します。

【帰国までの記録】2020.03.29

3月17日(火)
他国隊員のLINEやインスタで一時帰国が決定したとの報告を聞く。島国や南米は国境封鎖の動きが早いらしい。全世界一斉との情報もあるが、インドは例外であってくれと願う。だって日本のほうが感染者多いのに、わざわざ日本に帰る意味がわからん。インドの病院ならなんとかなるって…。
だが、夕方インド隊員向けにも「いつでも帰れる準備をせよ。ただし事態が収まれば戻ってくる前提だが、万が一のことを考えて荷物を残すな。」との指示メール。
あぁやっぱり…日本に帰ったら今度はインドに戻ってくる方がひんしゅく者だよな。もうインドに戻ることはできないのかな…。
その夜は一睡もできなかった。

3月18日(水)
配属先への報告はまだしないでほしいとのことだったが、教科書などの荷物を置かせてもらう段取りを早くしたかったのでフライングで報告(一応「かもしれない」というニュアンスで)。すると、どうせ数週間で戻ってくるんだからとあっさりOKしてくれた。
(さすがに数週間ってことはないと思うけど…。まぁ数ヶ月くらいだとは思ってたかな。)
事務所からのメールはないままだが、新聞から「全世界の隊員が一時帰国」との記事が出て、現実になったと実感。学生も何人かメールをくれる。

3月19日(木)
服や食材、生活用品は知り合いの日本人に預かってもらう(あげる)ことにして、朝から荷造りと片付けを進める。しかしタイムリミットがわからずモヤモヤ。(収納が多い部屋だったから余計に散らかる)
夏頃には帰ってこれるだろうから、冬服は置いといたほうがいいかなぁ〜?この食器気に入ってるから、戻ってきたらまた使いたいしなぁ〜 とか考えながら荷造りしてた。
夕方、メールで帰国日と直前のスケジュールが届く。帰国日は27日。なんだ〜1週間もあるじゃん。焦りすぎた。もう他国の情報気にしたらいかん。黙ろう。
…とホッとしたのも束の間、「22日から1週間国際線が飛ばなくなる」と聞く…。えぇー!?!?ほんなら30日まで待つか21日に乗せられるってことやんな…?
感情がジェットコースター並に乱高下して吐きそう。。。

3月20日(金)
朝、配属先に預ける荷物第2弾を運ぶ。
昼、やはり21日に帰国するスケジュールに決まる。駐在員の方に預ける荷物を取りに来てもらい、荷造りにようやく終わりが見え始める。
夜、夕食に招待してもらう。ここのところ調理器具や食器を使わないメニューで過ごしていたから、本当に嬉しかった。

3月21日(土)
地方隊員はこの日の朝や前日出発した人もいるけど、空港に近い私は17:30のピックアップ。(これがありがたすぎる。みんなごめん。)
もう一人の駐在員に荷物を預け、冷蔵庫を掃除し、布団を干し、洗剤なんかは放置だけど、ようやく部屋を開けられる状態になった。(洗濯しすぎて水足りなくなり、最後トイレ流せなくなったのは内緒)
午後18時。他のインド隊員、調整員、所長、次長と合流し、ご挨拶。こんな急ぐことになるとは誰も思っていなかったらしい。あっさり「行ってらっしゃい」と言われ、やっと気持ちが落ち着く。
20時頃。空港に移動し、1:25発の飛行機で日本へ。

こんなのまだ序の口で、もっともっと波乱万丈な思いをした人、今もしている人がいると思う。でも私にとってははじめての経験だった。今まで感情を取り乱さない性格だと思っていたけど、ただ経験したことがないだけだった。
帰国したら帰国したで、緊張が解けたのかトラブル続くし(注:久しぶりに青魚を食べて全身に蕁麻疹が出た。待機施設に缶詰だったため、なかなか病院に行く許可が下りず死にそうになる)…。 改めて振り返ると、今日本にいることが不思議だ…。

本人のInstagram投稿より


今自分で読んで思い出しても、感情のアップダウンがやばい…。

他の隊員の投稿を見てても、国境封鎖されて出国できないだの、県境が止められてて首都にあがれないだの、かなり振り回されてました。
今のウクライナの状況とは比べものにならないけど、急に移動しなきゃならない大変さを少しは味わったのかなと思っています。
大変だったけど、迅速に帰国の手続きをしてくれたJICA職員の皆さんには感謝しています。


まぁ長くても半年くらいで戻れるかな?って思ってたのに、まさかそれから2年も地元に引きこもってるとは…。
また再出発の日に成田空港で会おうねと言っていたインド隊員ともそれっきりです。
2年の任期が終わったら集まろうねと言っていた同期とも、国内の感染拡大状況もあり、集まれていません。

しかし、転んでもただでは起きない協力隊員!
早々に次に進むべき道を見つけた人もいれば、念願叶って再派遣された人もいます。
(SNSをこっそり見て応援しています。)

私も任期の半分は現地で過ごせたし、これは恵まれたほうだなーと思っている。
今は地元で何かをやるフェーズなんだなと気持ちを切り替えた。
国外でも国内でも需要があるってありがたい仕事。(変動激しいし給料安いけど)

でも、そろそろ入国制限緩和されるかな。
いざ動いていいよって言われても、体が鈍ってどこにも行けず、このまま引きこもり続行しそう…笑
それはそれでどうしよう…。

読んでいただき、ありがとうございました。

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