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思い出の映画館とドライブ・マイ・カー

家から一番近い映画館のはずなのに、
その映画館へ行くのは3.4年ぶりだった。
思い入れがたくさんあるからか、単に遠ざけていただけなのか、私にはわからなかった。
ただ機会がなく行けてなかったのだと思う。
でも、ドライブマイカーを観ようと思った時、なぜかその日は直感的に、この映画館に行っておかなければいけないなと思った。

その映画館はショッピングモールの建物の中にある。よく母親や叔母と、買い物やご飯を食べに来ていたことを思い出した。叔母と一緒に映画を観たこともあった。何十年も前から変わっていないお店やエスカレーター。久しぶりだったからか、上っていくと高揚感と懐かしい気持ちで溢れた。

映画館に入ると、派手な照明が目についた。
映画を映画館で観る人がこの街にはいないのか、あるいは好みの映画がやっていないのか、土曜日の夕方にしては人が少なかった。
人が少ない映画館最高。と、改めて思った。
観る人の割合に合っていないトイレの数。余っている分を都内の映画館にも分けてほしい。
たくさんのフードメニュー。買うものはいつも決まっているのに、多いせいで少し迷ってしまう。邦画しかおいていない映画のフライヤー。洋画も取り扱っていたらいいのに。
どれもが懐かしく感じられた。

原作を読んでも難解だったドライブマイカーは、映画で観てもやはり、一回観ただけでは理解するのが難しかった。それだけではなく、考えたり理解して、自分の言葉に置きかえたり表現するのが難しい。それがこの映画でも出てくる、翻訳ということなのだろうか。
でも、伝えようとしていることは、なんとなく感じ取ることができたような気がする。

韓国手話の女の人、音が消え時が止まったような感覚。無関心とディスコミュニケーション。タバコを持った2本の手、人が心を開く瞬間。
知らなくていいと自分の心を閉ざし、たとえ目にしてしまっても、見なかったことにすること。それは真実を知ることより、もっとずっと罪深いこと。深く知っていると思ってても、知らない一面があるということ。それを自分ではない他の人が知っていて、第三者を通して聞くということ。
心と心の行き違い。見て見ぬふりをすることで、知らない間に相手も自分も苦しんでいたこと。知らなくていいと思ってしまっていたところ。勘違い。

思った言葉をならべてみたが、果たしてこれが正解かどうかわからない。
この映画を観て必ずしも、すべて自分に当てはまるというわけではなかったが、自分に通ずる所があってぐっとくるところがあった。

そして、この作品を思い入れが詰まった映画館で、観ることができたことは忘れないと思う。
また観よう、いつかまた、この映画館に来よう。

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