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月曜の朝、モヤモヤ気分と落下の解剖学
月曜日の朝、トム・ウェイツを聴き、穏やかな気持ちでいたいのに、モヤモヤ気分。
昨日の夜に観た『落下の解剖学』のことをずっと考えている。
久しぶりに150分以上の作品を映画館で観た。
乾燥で目がカラカラになった。
思っていた結末とは違う。と思ったけど、
重要な部分は始めから、私の思っていた”それ”ではなかったのだろうなと思う。
この映画を観て、普段、いかに表面上のものしか見ていないということを思い知らされた。
事件や事故、災害などの情報を、テレビやニュースなどでは、ごく一部しか報道されていない。
中には、その一部分を組み合わせ、間違った情報として、SNSに投稿されていたりもする。
虚偽の情報なのに、それを真実だと誤って受け取ったり、それが全てだと解釈をしてしまうこともある。
出来事を推測で判断し、あたかもそれが、真実であるかのように主張することは間違っていると思う。
当事者でないと真実はわからない。その場に居合わせていない限り、本当のことを知ることはできないだろう。
情報過多で何が正解かわからなくなってしまった時、映画内の息子がとった行動のように、一旦距離を取るということが正しい選択かもしれない。
いや、もしかすると息子は、真実をわかっていたけれど、不要な情報をとめどなく与えられて、言えなくなってしまっていたのかも。
この映画に登場する息子は、視覚障害をもっているが、もしかすると、本当に見えていないのは、見ようとしないのは、大人である私たちの方なのかもしれない。
映画自体は、ゾディアックを観た時と近いものを感じた。特に犬の演技は最優秀賞だ。
映画を観て疲れ切って帰った後、久々に食べたシーフードヌードルがめちゃくちゃ沁みた。
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