セロイにはなれない

 

 今年になって、職場で流れているコミュニティーFMから聞きなれないリフォーム業者のコマーシャルが流れるようになった。そのロングハウジング(仮称)いう会社は、悪質な業者だった。「火災保険の保険金で自己負担なしで修繕・修理ができる」という謳い文句で高額な工事をして、荒稼ぎをしていた。台風の被害を装って保険金の請求をさせているらしい。中には十分な保険金が支払われずに泣き寝入りするしかない顧客がいるという話が、僕のところにも話が伝わってきた。ラジオでCMを流したのは、実績のない地域で手っ取り早く信用を得るためらしい。
 そんな中、職場の後輩Aがロングハウジングとのトラブルに巻き込まれた。詳細は述べることができないが、Aはこの会社から謂れない疑いをかけられ困っていた。 度々かかってくる電話に辟易としていたAは、折り返しの電話をしなかった。Aは、外出していることが多いため、他の人が電話を受けることになる。たまたま、僕が受けた電話の対応がまずく、この会社の社長を怒らせてしまった。詐欺まがいのことをし、Aを謂われないことでを追いつめたロングハウジングに、僕は嫌悪感を抱いていてどうやらそれが伝わったようだ。その後に電話を受けた後輩の女性社員は、訳の分からないまま、社長から大きな声を上げられ、恐怖に怯えていた。
 ロングハウジングのホームページを開いてみると、僕が怒らせた社長Xの写真が載っていた。Xは、短髪で、若く、さわやかな笑顔を浮かべている。まったくの作り笑顔だ。その顔を泣き顔に変えてやりたいと思った。一緒に添えられたメッセージには、お客様第一主義、リフォームへのこだわりなど、ありきたりな言葉が並べられている。心にもない言葉に、怒りがふつふつと湧き上がってくる。
 ちょうどそのころ韓国ドラマ『梨泰院クラス』を見ていて、主人公パク・セロイに憧れていた。セロイの正義感が強く何があっても信念を貫く姿勢に強く共感していた。そして、酷い仕打ちに合わされた宿敵の大手飲食店長家(チャンガ)に復讐するため、懸命に努力するセロイのように、ロングハウジングにひと泡吹かせてやろうと考えるようになった。何かいい手はないかと調べてみたが、この手のリフォーム業者は、法律に触れないすれすれのところで事業をしているらしい。リフォーム代金が高額とは言え、きちんと見積りを提示している以上、法律的には問題ない。職場にかかってきた電話についても、恐喝や脅迫には当たらないようだった。調べたり、考えたりすればするほど、返ってイライラした気持ちが募っていった。布団に入っても、ロングハウジングのことが頭に浮かんできて、なかなか 寝付けなかった。
 その後もロングハウジングからの電話は続き、同僚たちも不安を感じるようになった。そして事態を収拾するため、上司と後輩と僕の3人で謝罪を兼ねてロングハウジングを訪れることになった。こちらが、謝罪をすることに、納得がいかなかったが、仲間が安心して仕事ができるようになるのが一番だから仕方がない。ロングハウジングを訪れる日は、仕事が手につかず、次第に緊張が増して、おなかが痛くなった。その一方で、どのような会社なのか興味もあり、少し興奮していた。ロングハウジングの事務所は、小さなビルの一室を借りていて、それほど広くなかった。社員4名のリフォーム会社としては、手ごろな広さだ。設立したばかりの会社らしく、小綺麗で、無駄な物が置いていなかった。
 僕たちが事務所を訪れたとき、2名の男性が出迎えてくれた。2人とも作業着姿だった。一人は、小柄でパーマをかけていて30歳くらいに見える。ちゃらちゃらとしていて、いかにも遊んでそうな感じで、僕の苦手そうなタイプだ。手首には、スマートウオッチを巻いている。この辺りは田舎でスマートウオッチをしている人を見かけたことがない。よそから来た人間だろう。胡散臭く、いかにも詐欺を働いていそうな感じだ。もう一人は色黒でサーファーのような雰囲気の男だった。40歳前後だろうか、ホームページでは、眼鏡をかけていて、かすかに笑みを浮かべていて、どこか優しそうな印象があったが、実際に会ってみると眼光が鋭く、頭の回転が早そうである。作業着の上からでも、鍛え上げられた肉体をしているのがわかる。やせ型の僕が殴られたら、事務所の端まで吹っ飛んでしまいそうだ。事務所に入るなり大きな声を挙げられるのではないかと思っていたが、意外にも彼らは、丁重に僕たちを迎えてくれ、それがかえって不気味であった。
 名刺の肩書を見て驚いたのは、パーマをかけた小柄な男が「代表取締役」であったことだ。僕が怒らせた社長のXであった。一方のサーファーのような男Zの肩書は、「取締役」だった。部下であるはずのZが先に名刺を差出してきて、その場を取り仕切っていることからみて、実質的には、Zのほうが社長のXより立場が上のようだ。何か特別な事情がありそうで怖くなった。
 入ってすぐのところに小さな応接テーブルがあり、僕たちは奥の席に腰かけた。入り口側にZ達が座ったため、出口を塞がれた形になり、監禁されたらどうしようと最悪の事態が頭をよぎる。「どうぞ飲んでください」と缶コーヒーをすすめられたが、とても飲む雰囲気ではない。まず、こちらの無礼を詫びたが、相手は容赦をしなかった。Zの目つきは鋭くなり、とたんに張り詰めた空気になった。語気も強くなり、こちらの些細なミスにつけ込んで揚げ足を取ってきた。3人対2人で数で言えばこちらに分があるが、向こうのほうが場慣れしていて、すっかり主導権を握られてしまった。どうやら最初の丁寧な対応は、こちらにつけ入る隙を与えないためらしい。事務所もきちんと整理されていたが、悪事を働くひとほど、身なりはきちんと整えているようだ。それに比べ我々は隙だらけであった。普段は、頼りになる上司も、所々言葉につまりながら返答していた。訪問する前は、どう考えても向こうが、言いがかりをつけてきただけで、こちら分があると思っていた。しかし、こうして話していると、なぜかZのいうことが正論に聞こえてくるから不思議だ。非常に言葉が巧みで、経験を積んでいることが分かる。リフォームの話をもちかけられれば、客は簡単に騙されるはずだ。
 彼らをぎゃふんと言わせたいという思いはすっかりどこか行ってしまって、すぐにでもその場を立ち去りたい気分になった。僕はZから問い詰められ、うまく返事をすることができず、後輩のAから助け舟を出される有様だった。そもそも僕は、口下手な人間で、普段から人の意見に言い返すことができない。特にZの様に強面で威圧感のある人間は苦手だった。とてもパク・セロイのようにはなれないのだ。
 その後、話は思っていたより、あっさりと終わった。彼らは自分たちの悪評が広がり、仕事が減ることを恐れていただけのようで、そこに釘を刺すと、始めの丁寧な対応に戻った。帰り際には、手を付けていないままの缶コーヒーを「どうぞ持って帰ってください」と差し出してくれた。僕はその缶コーヒーを飲む気になれず、職場の休憩しつに置いたままにしている。そして、ラジオからは今でもロングハウジングのCMが流れ続けている。 


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