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まとまらない物語を紡ぐ | noteが書けなくなった話

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「さてnoteを書こう」と思った時。
手を加えれば加えるほど、納得できる文章からは程遠くなっていくヒヤヒヤ、あらまどうしたらいいんだ、あれ、何言いたかったんだったっけ、あららもう無理よくわからん消しちゃいたい状態、になった時がありました。

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書きたいものがわからなくなっていった

スキや引用の通知がくるのが嬉しく、より多くの人に…もっと良いコンテンツを…と、note開始時にはなかった煩悩の膨らみが日に日に増していったように思います。

「どうしたら胸に響くコンテンツになるのか」
「もっとうまい言い回しはないかしら」
「もっと専門家らしくカッコ良い言い回しをしなくちゃ」

これらの気持ちが、書くこととまっすぐに向き合うことから遠ざけていきました。

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面白く読めるように装飾を繰り返し、「魅せるため」の創作物を生み出すことは、楽しさもワクワクも感じさせますが、何を思い、何を共有したくて、何を知って欲しいのかが見えにくくなり、次第に自分の本音がわからなくなっていきました。
読まれるよう思考しながら文章を構成する中で他者の存在が大きくなり過ぎてしまい、承認欲求先生がハッスル運動を起こしていました。

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僕らは、いろんな鎧を毎日着て生きていて、「ありのままでいていいのですよ」という状態は毎日のごく少ない時間のみ。
鎧を着る目的は、社会に適応すること。正直な状態って全然まとまっていないので、人様にお見せできるようにするには装飾が必要になるのです。
ずっと鎧を着ていたら、クタクタになってしまいます。
じゃあどこで正直になんの、どこで本音になんのよってなると、現代人には圧倒的に鎧を脱ぐ場所が少ない。
これは精神衛生に本当によくないなと、自分がその立場になっていることに気づいた時、改めて再認識しました。

noteが書けなくなったことは、そんな型にはめることと、正直さの葛藤があったのかもしれません。
作られたものは魅力的だけど、私こんな風にザラッとしたところも実はあるんですよね〜という側面も人の中にはある。その側面はすごく人間的で、魅力的だなと思うんです。

葛藤→成長→ナイスな結果というサクセスストーリーは爽快ですけど、この世はそれだけではない、白にも黒にも分類できないグレーがたくさんある。
グレーを愛でることこそが、人生の楽しみなのかもしれません。

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物語において成長という着地は最高のエンディングです。
僕は美しいエンディングをnote内で創作することに躍起になっていたのかもしれません。
成長し続けなければと、美しい着地を模索しなければと、躍起になっていたのかもしれません。

文章において、毎日の生活において、装飾や成長、綺麗な着地が本当に素晴らしいものなのでしょうか。

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人生はまとまらないことばかりで、綺麗に着地できないことばかり。
まとまらない物語を紡いでいくことこそが人生の喜びなのかもしれません。
まさに今そこにあるありのままの悩みや葛藤と向き合いながら丁寧に生きていくことを大切に、グニャん!みたいな着地をしてる自分も受け入れることができればいいのにな、と思いながら、葛藤しながら、noteを書いてみました。なんだかスッキリした気がします。

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このnoteは、cotree advent note 81日目です。


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