日記2024年4月③

4月7日
雨は夜中であがり、朝には曇り。昨日の疲れが出て妻はつわりが強く、私は午前中寝てしまった。昼、子供と2人でたい焼きとラーメンを食べに行った。子供はたい焼きをひとつまるまる食べたあとラーメンも私のを分けて4分の1くらい食べた。うちの子にしてはよく食べた。帰りに駄菓子屋で棒状のゼリーを3本セット50円で買い、「これはおとうさんので、これはおかあさんのね」と言って分けてくれた。ひとりっ子だったから食べたいものはたいてい独り占めできたので、うちの子は食べ物を気前よく配る。妻がお腹に赤ちゃんがいることを子供に伝えた。喜んでいた。私はそのあとまた寝てしまった。

4月8日
曇り。ゆっくりと喫茶店へ行く。コーヒーを飲み、常連男性の競馬談義を耳にしながらうつ病について考えていた。教科書的なうつ病治療を復習する必要があると気づいた。喫茶店は今度テレビの取材を受けるらしい。BSの番組。常連の男性はテレビの影響力はすごいんだから、と熱弁を振るう。ランチの始まる時間までいて、混み始める前に店を出た。
妻が体調不良で早退した。つわりが強い。しかし何か食べないともっとつらいということで喫茶店に行くことになった。私は本日二度目の来店である。妻はオムライスを半分食べた。
子供のお迎えで担任の先生に会った。昨年度から持ち上がりで今年度も担任をしてくれることになった。保護者はみな喜んでいる。今年もよろしくお願いしますと挨拶をした。年長さんの子が、花壇のパンジーをちぎってうちの子にくれた。あまりブチブチちぎってはいけないだろうが、優しいし素敵だと思う。夕ご飯はコンビニにあった材料で豚キムチ炒めを作った。ご飯のお供になりやすいようにしょうゆとみりんを使ったのだが、つわり中の妻には甘みはもっと控えめのほうがよかったかもしれない。でも美味しく食べてくれた。
うつ病について考えるために神庭重信『うつ病の論理と臨床』の1章を読む。下田の執着気質を中心に病前性格論の現代的な解釈を行う。病前性格の形成と社会背景の関係が回復過程にも大いに影響するであろうと思うのだが、その点についてなぜか考察されない。
今日は比較的元気に過ごせた。

4月9日
雨。朝は風が強く、窓の外で空気の巻く音がした。子供は強風が嫌いで、機嫌が悪かった。妻は眠そう。夕方、仕事が終わって外に出ると朝より冷えていた。子供は帰りも機嫌が悪かった。いきなり「ごうじゅうかいに行こうよ!」とか大きな声を出すので意味がわからず、私たちが困惑していたらもっと機嫌が悪くなって、「がりらってもってるも!」とか「てっぽうだってもってるも!」とか言い始め、どうやら親にコールアンドレスポンスを求めていたらしく復唱すると満足そうにする。なんかの遊びっぽいので、「てっぽう」を手掛かりに調べたら「猛獣狩りに行こうよ」という遊びだったことがわかった。「槍だって持ってるもん」と言っていた。「槍ね。やり。」と教えたが、「ガリ」と言って聞かなかった。お風呂でお父さんのお腹は「おすもう」だね、と言って笑う。お父さんのお腹にはお肉が入ってるの?とか言ってくる。痩せないとなあと思う。

4月10日
晴れ。やや寒い。先週の大学病院勤務以降、毎日夢を見る。今日は、修学旅行で自分だけ食事の集合場所を把握していなくて辿り着けず、仕方なく一人で地元のサラリーマンの集う食堂でうどんを食べる夢だった。見よう見まねでセルフサービスのトッピングをいじったら注意されて笑われた。このように、必ず「集団から遅れて迷惑をかけて焦って自分なりの対処をする」夢なのである。あまりにも今の不安そのまんまで笑うしかない。
午前は仕事、午後は自分の受診。主治医が引退するのでこのクリニックに通うのはあと何回かである。
『高慢と偏見』10章、いまひとつよくわからず二度読み直した。明るく人望のあるビングリーと美人で人当たりのよいジェーンのわかりやすい恋愛の隣で進む、偏屈で気位の高いダーシーと賢明で芯のあるエリザベスの恋愛未満の関係に、ビングリーの妹たちが茶々を入れる。くつろいだ場でビングリーとダーシーがお互いの資質についてからかいあいながら議論をたたかわせ、エリザベスが間を取り持つように参加する。ダーシーはエリザベスに惹かれているのだが、エリザベスはダーシーに話しかけられてもおちょくられているとしか思わない。よく読むと、議論という社交の中でビングリーとダーシーの対比が鮮やかで、凛としたエリザベスの存在が際立つ。エリザベスの美しい眼について何度も繰り返し「明眸」と形容され、読者にその印象を重ねていく。繰り返されるたびに印象が厚くなる。序盤で一番いいところかもしれない。まだ88ページだが。
夜、大学病院の先生とzoomでミーティングをして疲れた。よく休みたい。

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