日記2023年4月①

幼稚園は入園式前から預かり保育をやっていて、早速三歳児が初めて登園した。もう慣れた保育園を卒業してしまったことは本人もよくわかってすでに緊張していて、前日は久しぶりに夜驚があった。前年度から何度か入園前クラスには行っていたけれど慣れたとは言えず、朝から顔がこわばっていた。口角がうねうねとしてちょっと舌が出るような顔になる。それでも幼稚園についたら泣かずに先生についていったから偉いと思う。先生も出会いの瞬間から全力の笑顔で歓迎してくれて、本人も両親もまとめていいペースに巻き込んでくれた。プロの仕事だった。私たち両親もそんな先生を見てホッとしたのだった。私は保育園にも行っていなかったから三歳で初めて幼稚園に預けられて最初は大泣きして大変だったのを覚えている。

同人誌の原稿を編集担当に任せたら頭が復学の方へ向いてきた。手元にデータが揃っているわけでもないのに夏に再開する研究のことをあれこれ考えてしまってよくない。やみくもに考えても前に進まないし、今足りていないところを詮索しても不安になるばかりである。やることを整理して、最終目標から少しずつスモールステップに分解していき、都度目の前のことに集中できるようにしておくのがいいのだと思う。

休学以降に出た自分の研究に関連していそうな論文を読み始めた。どんな解析をしているか細かめに読んだ。復帰後の自分の解析作業をイメージする。また、去年出た自分が筆頭著者の論文を読み返した。結構錯綜した結果が出たので解釈に苦労したのだった。研究前に念頭に置いた仮説と過去の論文での考察や課題を突き合わせたり、設定していた解析の方法をもう一度点検したりした。ちょっとずつやる。ちょっとずつやることで自分を不安にしないようにする。

幼稚園の預かり保育は保育園と違ってお昼寝がないので、夕方迎えに行くともう疲れ切っていて、帰りの車中で寝てしまうのが恒例になった。でも家に帰ると意地でも寝ないぞという感じで頑張って遊び始める。それでも以前より寝る時間が早まった。お風呂から上がったらトミカを片づけておやつを食べるかジュースを飲むかして歯磨きをし、歯磨き後に食べても大丈夫なキシリトールのラムネを食べて、絵本を一冊読んでから布団に入る。そういう流れが本人の中にもできていて、なるべくその通りやりたいみたい。本人も頑張っているので、親も早めに寝る支度をして早く寝られる状況を作ってあげたい。

この一週間ほど少し睡眠の調子が悪い。眠れないので本を読んだりする。読書灯を点ければいいものを、照明の保安灯の蛍のように心細い光でよんだりもしてしまう。夜薄暗い中で本を読むのは目に悪そうなんだけど、視野の中心しか使えないぶん、一文一文が一文節ごとに直列に配置されてできている様を舐めるように味わえて良かったりもする。小説が音楽的になる。

私も明るい鬱でやっていきたいなと思った。うつ病の回復論は病態論とは別でありうる。中井久夫が統合失調症の発病過程と寛解過程を別のものとして構想したように。うつ病でありながら(症状が残遺していながら)回復することもできるのではないか。そう思う。

今年度から仕事が増えた。ビビっていたけれど、やってみるとたいしたことはなく、平穏に終わる。当然といえば当然なのだけれど、始まる前にそう思うのが難しい。平穏に終わったことを噛みしめつつ、次の仕事に心身を向けていく。いつも通りやればいいんだよ、と言われても意外と重圧は軽くならず、それよりも、どうなるかわからないけどその時その場の流れに飲まれれば心地よく終えられるよ、というふうに考えるのがいいような気がしている。

はっと目覚めて、高熱を出して夢を見ていたのだとわかる、という夢を見た。夢から醒める感覚と、夢から醒める夢を見るのとは少し違う体験なのだと知った。夢から醒める夢をみる(夢の中で夢から醒める)のは映画の画面がパッと切り替わる驚きのような感覚で、平行移動という感じである。実際に夢から醒めるのは、映画『インセプション』で椅子からの落下運動をトリガーにしていたように、垂直移動の重力的な感覚を伴う。

入園式があった。色々と大変だったけれど、子供は立派にやってくれたと思う。いろんな子がいたし、先生たちはおおらかで頼もしかった。こうして子供はどんどん親の手を離れていくし、親はそれを邪魔しないように、先回りして親の思った通りにお膳立てしないように、親のことは親自身で解決できるように、しないといけない。子供の成長というのはそういう身を斬られるような悦びがある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?