2024年3月②

3月5日
子供が熱を出した。仕事を抜けられない午前中だけ私の親に来てもらい、看病してもらった。しかしおばあちゃんが来たことで子供はむしろ張り切ってしまったようで、だいぶ遊んだみたいである。絵本を6冊読まされたと母が言っていた。午後、小児科に連れていき、インフルとコロナの抗原検査で陰性を確認したあと、帰ったらすぐ寝てしまった。明日は幼稚園で何かちょっとしたイベントをやるらしいのだがお休みせざるをえないのでかわいそうである。
高校入試の結果発表の季節であるようだ。私は仕事柄学校生活がうまくいかない人について見聞きすることが多く、そういう人はもう人生終わりだ、みたいに真剣に感じているものである。たしかに学校的なものに適応できる人がマジョリティの社会だから、適応しにくい人はマイノリティとして苦労するわけだけれど、かといってその人がその人なりの生き方をする場所がないということはない。このへんは社会、経済の制度的な不遇についての問題も絡むから難しいのだけれど、少なくとも精神科医としては、ひとつの価値観にとらわれずにいろいろな生き方の価値を認められるような自由をもっていたい。高校生のうちに児童精神科から成人の精神科へ移行することのメリットのひとつがこの点に関わり、児童の専門家よりも成人の普通の精神科医のほうがいろんな大人の生き方を見て、みんなが苦労しつつもなんとかやっていることを知っている。統計的なエビデンスだけでなく、実際にいろんな人の生き方をよく見ていることも我々の大事な専門性であり、それはアドバイスの内容云々以前のところで実際に患者さんの役に立つのである。
最近詩を書くことを試みているのだが、これが大変難しく、なかなか進まない。しかし少しは進んでいる。

3月6日
午前は子供を妻に任せて仕事に行き、昼で交代して午後は妻が仕事に行く。子供の熱はだいぶ下がってきて、明日は幼稚園に行けるかもしれない。なんだか疲れてしまって何事も手につかない。風邪で休んでいるはずの子供が一番元気で、電車のDVDを見ながら車掌さんの真似をしたり、ひらがなを一生懸命読んだりしていた。2月のはじめには自分の名前のひらがなだけ読むことができていたのが、一ヶ月でおよそ9割に近いくらいひらがなを読むことができるようになった。毎日幼稚園のお友達の名前をあいうえお表で探している。えらいもんである。
うつ病や適応障害で休職したあと復職を目指すときに、最短距離を行くよりも、側道、下道をうろうろしながら進むのがいいのだろうと思っている。少し遠回りをすることでもある。今の位置から復職という目的地まで高速道路で一気に結ぶのではなく、下の一般道を、その土地土地を知りながら行き、頭の中の地図を広げていくような。医者としては遠回りには勇気がいる。でも思い切って、全然思ってもみなかったようなことをやってみてもらう。10年以上前の趣味を再開する人もいる。しばらくそのことにかまけてもいい。それが復職に繋がることを常に忘れないようにする。すべての道はローマに通ずる。そうしているうちに何かが変わるための準備態勢が整うように思う。
決まって右耳なのだが、私には筋痙攣性耳鳴があるようで、耳鳴そのものはまあいいとしてそれに伴って耳の聞こえの感度が振動する感覚があり、世界が揺れている感じになる。拍動的に音が大きく響いてつらい。耳栓があれば多少マシになるだろうかと思い、評判のいいらしい耳栓を買った。loopというシリーズ。今右耳にloop engageを入れてスマホのスピーカーで高柳しいさんと800円さんのTwitterスペースを聴いている。ちょうどよい。お二人がすごく自然に社会的な自己と実存の葛藤についてのお話をしていてとてもよい。
この数日で作っていた詩のための言葉のプールから、ひとつひとまとまりの一節をやっとの思いで生成してみた。まだよくないのでもう少し考えたい。少しずつ進む。

3月7日
朝、ビクトル・エリセ『瞳をとじて』を見に行った。映画の撮影中に俳優が失踪した。20年後、その事件を扱うドキュメンタリー番組に、その俳優の親友でもあったその映画の監督ミゲルが呼ばれる。彼はその事件の後は映画を撮ることなく、息子を事故で亡くし、ひとり海辺の小さな町で暮らしていた。彼は番組をきっかけにお蔵入りしたフィルムを取り出し、記憶を辿り、人を訪ねていく。失ったものを辿ることは、失ってもなお歩んだ道を見つめることでもある。年齢を重ねること、それだけの歳月を生きることを、色々な登場人物と共に過ごし話すことを通じて描いていく。同じ場所で人と過ごす、その多様なあり方をたくさん描く映画だった。デスクを挟んだマルタとのミーティング、かつての恋人ロラと焚き火の前のソファで斜めに向き合う、マックスと部屋でダベる、海岸沿いの近所の4人で歌を歌って寝る前の時間を過ごす、そしてフリオの隣に並んで紐を結び、並んで壁を塗り、並んでタンゴを歌う。そのどれもがとても美しい画面に構成されている。顔の大きなアップも印象的だった。大事なのは記憶ではなく魂なのだ、という意味の台詞があった。顔のアップは台詞の意味以上に存在に肉薄する。それが魂というだろうか。最後に目を閉じたフリオの顔には、映画に触発された魂が見えた。
見終えて急いでトンボ帰りし、まっすぐ子供のお迎えに行った。今日の午後は園庭でサッカー教室に参加していて、年少さんクラスはまあハチャメチャではあるのだが、前よりもみんなよく言われたことを聞いて動くようになってきた。みんな成長している。よそのおうちの子もめちゃめちゃかわいい。最近はバスの中でスマホゲームをやっている小学生もなんてかわいいんだと思うようになってきた。「親中毒」と言ったらいいだろうか、親目線が世界のあらゆるところを侵食している。
ビクトル・エリセの昔の名作も見てみたいと思い、TSUTAYAディスカスに登録してさっそく送ってもらうようにした。前々から博士課程が終わったら今年は映画を観る年にしようと思っていたので、よいきっかけになった。エリセは溝口健二をよく研究したと聞いたので、その後は溝口健二を見ていこうと思う。

3月8日
朝玄関を開けたら雪が降っていたのでしばらく呆然とした。久しぶりに登山靴を引っ張り出して出かけたのだが、電車から降りたら踵に何かを引きずるような違和感があって、よく見たらソールの踵のところが一層剥がれてパカパカしていた。今更引き返せないのでそのまま進んだ。雪も雨も早くやんでくれて助かった。
東京都現代美術館の「豊嶋康子:発生法-天地左右の裏表」を見てきた。何らかのものが何かになる/何かであるためになされる人間の操作を、あらたな特異な操作によって顕にする、そういう作品をこれでもかと畳み掛ける展示だった。超クールであった。美術館のレストランでは白身魚のグリルを食べた。魚より付け合わせの野菜が美味しかった。1歳半手前くらいの子供が歩き回っていてよかった。
その足で西千葉へ行き、岩沢さんという方の個展を見に行った。ツイッターの戸田宏さんというアカウントで知った。かわいいイラストがあり、うちの子供に似ていたので購入した。

なんだかうちの子に似ていた


急いだつもりだったが、2つも予定を入れたらさすがに子供のお迎えがギリギリになった。病み上がりの4歳児はもう疲れていたようで、車ですぐ寝た。駐車場から家まで抱っこで運んだが、私の怠惰な体では4歳17kgを片腕で抱えたまま立って登山靴を脱ぐことはできなくて、土砂崩れのように玄関に崩れ落ち、子供は王の待遇を台無しにされた寝起きで嘆いて泣いた。しばらく暗い玄関に横たわってお腹の上でむずがる子供を抱いていたけれど、怒りがおさまらず乱暴するから、ここからは暴力と愛の駆け引きになる。必ず最後に愛は勝つ、良いマンネリズムの支配に子供はしっかり抵抗する。頼もしいことだと思う。最後は号泣しながら手を洗ってお菓子を食べた。
夜、妻と洗濯をめぐってケンカ。朝のうちに私がやっていなかったのが発端だから私が悪いのだが、コミュニケーションのうまくいかないパターンというのは同型であらゆる場面で反復する。しかし詳細は書かない。相手が体調のせいで悪になっていると猜疑するのはよいことではないと思った。怒りは理のあるものとして受け止められるべきなのだ。私たちが話し合っている最中は子供も気を揉んだみたいで、まとわりついてきてはやくおふろにはいろうよとか普段は絶対に出さない積極性を出して気を引いていた。うちの子がお風呂に入りたがるなんて異常な事態であるから、それくらい両親の不穏な会話をなんとかしたかったのだろう。申し訳ないことをした。子供を労い、愛を伝えた。こういうのは端的な言葉で、具体的な行動や出来事から切り離された形で伝えるのが呪縛がなくていい。抽象的なものを抽象的なまま伝達できるのが言葉のよいところである。
乗代雄介『十七八より』を読んだ。重畳したレトリックによって出来事の事実性を際限なく後退させ、遊離したフィクションの運動に固有の真実性を構築しようとする語り手=書き手=「少女」=「景子」の物語。しかし乗代雄介さんは叔母や姪をフィクションの構成要素として死なせることが多い。『旅する練習』とか。これがどういうことなのかまだよくわからない。
ちなみにこれも今日読んだのだが、文學界4月号の滝口悠生「煙」では老健施設に入所した伯父さんがもりもりと元気を取り戻したという顛末が語られて終わる。叔母-姪関係と伯父-甥関係という斜めの関係を書きつつ一方は最初で死んだことが明かされ一方は最後に生きていることが明かされる。男女の別もあり、色々と対照的であった。

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