日記2024年10月⑤
10月21日
妻がいつ出産になってもおかしくないのだが仕事に穴を開けられなくなったので、何かあったときに上の子を見る人手として私の母を招集した。上の子は熱を出している。
私は母が着く前に仕事へ。朝は半袖だと寒いくらいだけれど私はこれくらいが気持ちいい。上司がコロナに罹ったのでその代理で出勤した。普段みていない患者さんのことを短時間で考えるのは難しく、いい訓練になる。最近着任した緩和科の部長先生がとてもいい先生で精神科との連携を熱心にしてくださるのだが、私のような医者にも平等に意見を求めてくれるのでとても嬉しいが緊張もする。まだまだ勉強することが無限にあるなと思う。
仕事を終えて早めに帰った。
妻が子供を小児科に連れて行ってくれて、マイコプラズマ肺炎だとわかった。かかりつけの小児科は変なじじいがやっているのだが、今日はいつにも増しておかしかったらしい。まず先週木曜日にうちの子が受診した記録が消えていて受診したしてないで揉め、声掛けなしで急に子供の喉をグリグリしたから子供が泣き、急に「近いもんね!」とだけ言うから訳が分からず、看護師さんに「それだけじゃ何も意味わかりませんよ」と怒られていたという。「家が近いから一回帰って1時間後に検査結果を聞きにきてください」という意味だったらしい。コミュニケーションが終わっているのだが、肺の音を聞いてレントゲンを撮って抗原検査を出して血液検査をして最短で治療に結びつけているのでちゃんとしている。じじいは実は子供が好きである。私たち夫婦は医者なのでこのへんの機微がわかるのだが、普通はこんなに変なじじいは信用できないのが当たり前だと思うので、このクリニックは患者が集まらない。ジスロマックが処方された。
妻は午後健診に行っていて、子宮口が開大し始めていた。一回帰ってきたが、夕方からお腹の張りの間隔が短くなってきた。妻はなぜか「なんでこんな軽いお腹の張りで受診したんだ」と怒られるのではないかと想像して怯えていて、「いやまだ耐えられないほどの痛みじゃないし」と言って産院に電話をしようとしないのでいろいろ説得してなんとか電話を掛けさせた。「来ていいですよ、この時間なら少なくとも一泊入院していいですよ」と言われ、私の運転で産院に向かった。妻はしばらく子供に会えなくなるかもしれないので寂しそうだった。
産院に着いた。優しそうな助産師さんに迎えられた。荷物を置いて妻は診察を受け、私はしばらく待った。産院では私は異物になるので緊張する。妻が戻ってきて、胎児の頭が下がってきていると聞いた。まだ時間がかかるので私は一旦帰り、陣痛が来たらまた来ることにした。
帰ったら子供が「おかあさんは?」と言うのでまだ赤ちゃんを産む準備をしてるよと伝えた。「そっか」「なまえはどうする?」「あかちゃんのおふとんしいておかなきゃ」など色々と気を揉んでいた。熱が少し上がって一回吐いたので解熱剤をバイラアイスに混ぜて食べさせた。頑張って食べてくれる。
私は昨日の残りの焼きそばを食べた。早く風呂に入って早めに仮眠をとる。
10月22日
昨夜は陣痛が来ず、妻は朝帰ってきた。私は仕事。子供は母に見ていてもらう。
今日も上司の代診で、もともとの私の枠と上司の枠を両方みるので忙しかった。時間に追われる外来ではやることをひとつに絞る必要があり、そのために余計に頭を使って疲れる。人数増と一人当たりの負荷増の掛け算でどんどん大変になる。外来の合間に入院患者さんの対応もある。今日はパーキンソン病診断の基本的な知識を復習した。昼ごはん以外休憩がなかった。
子供は少しずつよくなってはいるがまだ熱がぶり返す。はしゃぐ、寝る、吐く、おしっこをもらす、みたいなことを延々と繰り返していて、布団の防水シーツを用意するために常に洗濯機を回している。
土曜日が幼稚園の運動会である。去年も熱を出して参加できなかったので今年は出させてあげたい。楽しみに準備していたから。せめて踊るところだけでも。金曜日には解熱しているといいが。
夜はケンタッキーの出前。ケンタッキーがいいと言い出してからそういえば母もケンタッキーが好きということに気がついてなんだかなあと思った。
国立精神神経センターのUP (うつと不安の統一プロトコール)の解説動画を見始めた。登録すれば無料で見られる。これは診断横断的な認知行動療法パッケージなのだが、主に不安障害に大うつ病エピソードを合併している人たちが中心的な対象であるようである。不安や抑うつを「強くて不快な感情で困っている状態」と捉えて感情の理解と受け止めのスキルを育てつつ感情への曝露につなげるプロトコルで、グリーンバーグの感情焦点療法の系譜にあるらしく、少し独特なところもあり、消化して理解するのに意外と時間がかかりそうである。
2日ぶりに子供を風呂に入れた。やっと洗えるだけの体力が戻ってきた。ポテトも食べてくれた。
10月23日
昨夜また子供の熱が上がって薬を飲ませた。寝起きでめちゃめちゃ怒っていたが、飲んでくれた。泣いたけど。土曜日の運動会は行けるだろうか。一部だけでもいいから出させてあげたい。
仕事。本来は妻の出産に備えて休みにしていたのだが、上司の代診のために出勤になってしまった。緩和の部長にも助けていただきつつ終了。
初期研修医の先生にレビー小体型認知症などの話をした。この先生はとても素直で目の前の患者さんに集中できる人で、とてもいい。私が代診で来たと言ったら、「代診ということは普段からみているわけではない患者さんを初見でみるんですよね…?大変じゃないですか…」と新鮮に感心してくれて、なんて素直なんだと感動してしまった。
職員食堂で他の人のご飯を持って行こうとしてしまった。
昨日カンファが終わったあと心理士さんに今のうちの状況(子供がマイコプラズマ肺炎、妻にいつ陣痛が来てもおかしくない)の話をしたら、「なんでカンファで言わないんですか!」と言われた。たしかに迷惑をかけることもあるから言っておかないといけなかったかなと反省したが、そういうことではなく大変なことは言っておいたほうがいいということらしかった。たしかに言うほうが自然のような気がする。仕事を休むことがとても悪いことのように思えてついつい大っぴらに言うことをためらってしまう。何があってもがんばって出勤したほうがいいと思ってしまう。休むのは権利だから堂々と休めばいいのだが、しかし問題は堂々としたりふてぶてしくすることよりも、同僚を信頼することなのかもしれない。大変なので休みます、休みのあいだお願いします、という頼り方をすればいい。
帰ってもまだ子供は熱が出ていた。一時的に母にみてもらって、私と妻は衆院選の期日前投票に行った。出産前に済ませておきたかった。ほどなく子供が寝たという連絡が入ったので少しゆっくりした。明太子のスパゲッティを食べた。本当は明太子よりたらこが好きである。下の子の名前は候補を2つまで絞っていたのだが、なんとなく話しながら片方に決めた。
夜になり、母は一旦帰り、子供に解熱剤を飲ませるときに妻が変な声を出して慌てだしたので見に行った。月曜日から今朝まで3日間飲むことになっていた抗生物質(ジスロマック)が2袋余っていた。昨日今日は間違えて解熱剤を飲ませていたみたいだった。私は仕事だったので朝の薬は妻に任せていたから気がつかなかった。
妻は病気のことになるとかなり心配性で、ちょっとした風邪でもこのままずっと良くならないんじゃないかと考えて穏やかにいられず、その不安がいろんな方面に拡がる。そういえば最近は私の車の運転をしきりに心配していた。妻はかなりパニックになっていた。
とりあえず慌てて残っているジスロマックを飲ませようとしたら、苦いから子供が泣いて拒絶して、それでも飲ませたら盛大に嘔吐して全部出してしまった。どうしようもなくなって妻は泣き出した。
子供の病気はよくあることではあるのだが、仕事を含めて全てのことが病気中心になって、一日の中でも症状に浮き沈みがあるからその都度気にして対応しなければならない。妻は最悪を想定して動いてかなりナーバスになる。そんなことまで考えないでとりあえず目の前のことだけを考えればいいのにと思うが、そううまくいかないから苦労する。
妻は体調不良を親から心配されたことがないらしい。風邪を引いたら無視されるか怒られるかしてきたらしく、それが今も小さな体調不良を極端に恐れる遠因になっている。
妻が泣きながら子供に「薬を飲まなきゃ病気が治らないから吐いちゃダメなの」と言っていて、子供はかなり気まずそうな顔をしていた。妻を慰めるのだがなかなか落ち着かなかった。とりあえず子供を寝かせた。
熱を出してから子供は飲み物ばかりでほとんど食べられず、痩せてしまった。薬も吐いてしまう。妻はそのことを気にしていて、どうしたらいいのか悩んでいるようだった。妻は食事も放っておかれるか怒られるかで、小さい頃は食べられるものが少なかったけれど小学校などで周りの子に置いていかれないように少しずつ食べるようにしていったそうで、食べ物は自分でなんとかするもので、親が子供に食べることを教えるというのがわからないと言う。
食事は文化であるから、教えないと身につかないものである。親が子供に教える、押し付ける部分が少なからず発生する。親も子も当たり前のように抵抗なくできる場合も少なくないのだろうけれど、なんらかの理由で抵抗が生じると苦労するし、頭を使って手を尽くしていかねばならず、それには労力がかかる。
未成年の神経性やせ症の治療にFBT (Family Based Therapy)というものがある。まだ登場して十年くらいの歴史であるけれど未成年に対してはこれが統計的に一番いい結果を出しているので一気に注目されることになったから、厚生労働省も治療者用のマニュアルを公開している。大まかには家族療法の系譜にある治療法であり、両親と子供の間のコミュニケーションのパターンを調整することで状況に変化をもたらすのが基本的な発想である。再栄養に関して両親が二人一致して全面的に責任を負うことと、子供のやせ願望と拒食を「病気」として本人から切り離すことが特徴であり、本人がいかに自分の意思でやせたいのだと主張しても聞き入れられることはなく健康で「正常な」食行動を獲得させるために両親が主導していく。強力なセッティングだけれども実はかなりパターナリズム的であり、親権の機能する年齢までしか倫理的に不可能な内容なのではないかと思う。これははっきりと病気の治療だから一般の子育てに勝手に援用してはいけないのだが、神経性やせ症の治療目標をボディイメージの障害や思考の硬さ、感情への気づきの障害などの改善におかず「「正常に」食べられるようになること」としているのは大きな特徴で、その「正常」の内容と両親の責任についてはひとつの強力な価値判断として一考に値する。FBTにおいて「正常」は「お腹が空いた時に自発的に自分一人で食べられることをいう。他に「さまざまなものを食べられる」などもある。
一般論化するのは控えめにしないといけないが、家族療法のシステム論的な視点でいっても、食行動は社会的な文化の中の家族システム内部の歴史的な文化である。つまり、食行動は社会的な文化の影響下にある家族内のコミュニケーションのパターンである。それは文化的に形成されるものであり、教えられるものであるから、養育者は子供に対して教育的に接する責任が生じる。
子育てでは子供が嫌がることも言わねばならない時があり、そのときに「それでいいのだ」と思えないと親はかなり強いジレンマにとらわれる。ジレンマの両極があり、そのどちらかを選ばなければならない局面があって、一方を選ぶことが自分の責任なのだと思う必要がある。子供のせいにしてはいけない。そのジレンマの困難を親は引き受けなければならず、そこを引き受けるために二人親なら一致する必要があり、社会的な文脈の裏付けも必要になる。FBTはそこを支える機能を持つ。
妻は子供が嫌がることをしてはいけないのではないかと思っていたから食べることについて強く言えなかったと言い、だから薬を飲ませるのもうまくできなかったと言った。食べることが教育だと思ったことがなかったとも言った。私は食の好みに関して強く親の影響下に育って、これが美味しい、これは美味しくない、あなたはこれが好き、私はこれが嫌い、あなたは3歳から大人と同じものを美味しいと言って食べていた、ということを言われて育った。私の好き嫌いは全てあなたのものよと言われながら全て親のもので、反抗の隙がなかった。嫌いなものを嫌いと言えなかった。何が嫌いかという選好は先に与えられていた。私は自分が子供の反抗を受けることになるのを避けるべきではないと思っている。私は子供の壁になりたい。いずれ越える壁として。それが私の親への反抗なのだと思う。
薬をしっかり飲ませるようにして、それが体のためなんだということを伝え、食事も少しずつまた食べられるように促すことになった。
10月24日
朝子供を小児科に連れていった。飲めなかったならしょうがないということで追加で2日分ジスロマックをもらった。嫌がられたけれどアイスに混ぜて飲ませた。子供は怒って親を控えめに叩いた。今日は吐かなかった。
妻と昨日の話をした。
妻はパニックになって自分を責めているときに、ああしたらこうしたらという言葉よりもまず共感的な言葉がほしかったと言った。こう書くとよくある話である。カップル・セラピーの文脈でも共感的思考と問題解決的思考のバランスという話が出てくるし、巷の小話でもよく出てくる。
妻「わたし頭が痛いみたい」
夫「頭痛薬ならそこにあるよ」
妻「あなたはいつも何もわかってくれないのね!!」
夫「ええ……(わけがわからん)」
というやつである(こういうときには必ず男性ジェンダーと女性ジェンダーの役割分担がこのように明確に分けられる)。うちの場合もこの例に当てはまってしまうわけだが、ここで私は自分の共感的な態度について考えた。
まず自然と共感的な対応が出てこない。感情的な体験を避けているところがあるのかもしれない。だから共感的対応は頭を使って意識的にやる。仕事でもそうで、共感的な対応は「あ、これは共感的な対応をしよう」と思って意識的に共感的な技法を使う。それは本来内的に感情移入して想像を膨らませることも含むのだがそれはあまりうまくできず、表現として相槌や頷き、言葉のリフレインや要約、言い換えなどを使って共同的な理解を深めるような行動をとる。しかしそれはどうしても仕事としての対応であって、私としては、自分と患者さんの間に境界線があって、専門家と当事者という立場の違いがあって、職権における力の差があって、つまりはこちらに余裕があって相手が弱い立場にあるということが前提となってすることである。対等な家族にはしてはいけない気がしてくる。
わたしはそう思ったことはないけど、と妻が言った。確かにそうで、私のように思う必要はなくて、普通に共感的なことができる人はたくさんいる。だからカップル・セラピーやアサーションでは適切なコミュニケーションの理解を深めて練習をするわけであるが、同時に、個人的な内的世界で共感という行為の持つ意味を探索するのはやはり大事である。あまり優しい慰めの言葉をかけてもらった記憶がない。強い感情をやりとりした記憶もない。感情体験を回避するのが私の問題なのだと思う。
まずは共感的な言葉を出すことからスタートする。
子供はマリオパーティーをやったりディズニー+をみたりして過ごしていた。パジャマスクというCGアニメがかわいい。夕ご飯を少し食べてくれた。鶏肉を煮たのだが少し焦がしてしまった。今日は母がいなかったのでゆっくり料理を作った。妻は私の母がいるときには自分で料理を作りにくくて出前にしてしまうそうだ。それも無理はない。
夜は調子が悪くなった。
10月25日
胃が痛くて調子が悪く、子供もまだ38度の熱が出ているので、悩んだけれど仕事を休むことにした。すごく悪いことをしているような気がしたが、妻も一回休んだ方がいいよと言ってくれた。代診のお願いの電話をかけたら、上司の先生が食い気味に「あー全然いいよ全然いいよ」と言葉をかぶせてきて全然聞いてなくて、「あー一つ確認だけど奥さんの体調は大丈夫なのね?うん、それならいいです」と言って終了した。ありがたいことである。
休んでみたらなんだか私も体調が悪くなってきて頭が痛くてずっと寝ていた。子供はマリオカートをやっていた。
夕方幼稚園に荷物を取りに行った。安全運転を心がけた。明日の運動会の持ち物などをもらった。そのあと電話で担任の先生と話し、お遊戯の練習で人一倍はりきっていたからお遊戯だけでも参加していいと言ってくれた。妻と先生が同い年だということがわかった。年が近いだろうとは思っていた。
子供が寝ながら笑っていた。
体調次第だけれど、去年も運動会に出られなかったから、明日は運動会に行かせてあげたい。
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