日記2023年7月②
誕生日だった。オーデコロンをもらった。木の香りの混じるいい香りだった。強すぎなくていい。
外島貴幸さんの参加していたサラティスト協会の作品展「ハーモニー」を原宿まで見に行った。原宿のデザインフェスタギャラリーにて。オープンなガレージに作品が並び、外島さんは映像作品。ピタゴラス音律と平均律を用いて同じメロディーを鳴らすことで微妙なズレが生じ、12の暦が0.23だけ増えてしまったというとぼけたテキストとマッドでチープな映像がつく。ハーモニーとそのズレというモチーフを各々独立的な音楽、映像、テキストで反復して貫くことで一つの作品にする。炎天下の原宿の路地が見えるガレージでヘッドホンをつけて小さなモニターを見ていると自分の体のリズムが作品とこの環境の間で揺らぐような感覚がしてくる。
恵比寿に移動して恵比寿のNADiff A/P/A/R/Tで金川晋吾さんの写真を見た。金川さん選書の本が並んでいた。金川さんの新刊『いなくなっていない父』は今のところ今年一番の文芸書だと思う。その元になった作品である『father』という初期の写真集を買うことができた。その他、『2022年7月』から『〜10月』までの冊子も購入した。金川晋吾さんは写真というものの切り取る、切断する、距離をとる、線を引く、レンズを通す、という機能をとても自然に、当然のように、人と会う、関わる、一緒にいるということと接続する。金川さんは切断を通して接続する行為として写真を撮っている。『father』の後半に金川さんのお父さんが毎日自分で撮ったのお父さん自身の顔が大量に並んだページがある。これもまた、切り取られた無文脈的なものを羅列することで逆に「撮影」という一点での繋がりが露出してくる。『長い間』という最近の写真集は静江さんという金川さんの叔母さんを撮り続けた記録だけれど、これも、まっすぐカメラを見返す静江さんの無物語的な「写真を撮られるとき用の顔」の連続で驚く。カメラを通したその一点での接続。人物よりも写真自体に対するフェティシズム的な欲望があるのかもしれない。この『長い間』の刊行記念で金川さんと栗田隆子さんが対談したときの質疑応答で、10年の撮影期間で静江さんとの関係は変化したかという質問に、金川さんは、静江さんが徐々に脚を悪くして動きも少なくなってきて座る時間が長くなって撮影枚数が減った、と答えていて、やはり金川さんにとって、少なくとも撮影の関係というのは写真を撮るという行為が第一なのだろうと思った。私はやっぱり金川さんの作品が好きだ。
帰りにNADiff A/P/A/R/Tの近くの喫茶店に寄った。いかついおじさん二人と若い男性一人でやっていて感じがよかった。隣の席の女性二人組が恋愛観とか昔の友人が整形して意外なんだけどとか話し続けていておもしろかったので読書はできなかった。コーヒーは美味しかった。マッチングアプリでマッチするには趣味が大事だと言っていて、わたしスーパー銭湯とか好きで、と言ったら片方が、いや聞いたことない、それは絶対趣味ではないと言い、どうせ3ヶ月に1回行くとかそれくらいでしょと言ったら、なんでわかんの、いやわかるでしょ、聞いたことないもん、趣味は頻度が大事、頻度が、わたしはドラマを調べるの好きだけどそれはもう毎日やってるから趣味だと言える。そんな話をしていた。
帰ったら子供がアニアのゴマフアザラシをくれた。ハッピーバースデーを歌ってくれた。
子供が電車の運転士さんごっこをするときに、私にぬいぐるみを渡して抱っこで運転席を見せてあげるように言う。普段子供は私たちに抱っこされて電車の先頭車両で運転席を見ている。家では自分が運転士でぬいぐるみたちに自分の背中を見せる。背中が誇らしげだった。
定期受診をしたら主治医が休みだった。代わりの医師は短時間で大量の患者を捌いていた。変わりはないのでさほど問題はないのだが、それでもこの短時間で何も自分のことを伝えられなかったなという不全感というか違和感のようなものは残った。不思議な感じだった。診察というのはそのズレや違和感によって進むのかもしれない。自分と医者との間に患者としての自分を立てる。それが自分にとって納得のいくものであり、今の自分よりも健康であればいいのだ。
最近子供がyoutubeを見ながら自分の笑い方を確かめるように大袈裟に笑う。笑うということには何か自己の秘密があるように思う。
子供が夏の学芸会的なもので年少さんの代表で何か言う係になったらしい。うちの子がみんなの真ん中にいるイメージがなかったので驚いたし、緊張しやすいから大丈夫かなと心配で、親自身の過去の失敗や羞恥を重ねてしまい複雑な気分になった。でも、親は何があっても嬉しがるのが一番なのだと思う。失敗などないのだ。ただそのまま子供のやったことを祝えばいい。
子供が20まで数を数えられたので妻が褒めたら、「そういうこと言わないで」と嫌がられたらしい。親の企みのようなものを感じとるのだと思う。三歳になるともう明確に親の意図や誘導は邪魔になるようだ。子供の喜びは子供自身のものであって、他人が手を出してはいけない。親のものにしてはいけない。
子供が家で幼稚園ごっこをし、子供が先生役をやり、親が園児をやらされる。よく先生のことを観察しているのがわかるし、懸命に先生の言うことを聞こうとしているのだとわかり、健気で切なくなる。頑張っているのだなと思う。そんなに頑張らなくても、と親は思ってしまうけど、それも余計なお世話なのだと思う。
研究のために大学病院のカルテを調べないといけないのだが、うつ病で大学病院の通常の勤務から外れた私は別ルートで電子カルテへのアクセス権を得ないといけないのだが、それが色々とうまくいず、とても気持ちが落ち込んだ。気持ちの落ち込み自体は数日で持ち直したのだが、不思議なことに、今度は体がどっと疲れて空き時間はひたすら寝て過ごす状態になった。気持ちの落ち込みが体の重さに変わった。まあよくある話なのだが、それってどういうメカニズムなのと聞かれると正直わからない。心の哲学では心身因果について色々と議論が積み重なっていると思うのだが。
スーパーで三歳児がお父さんの好きなもの買ってあげると言うから南部せんべいを選んだら「あーこれはだめだね」と即却下され、「これにしよう」と高めのチョコレートアソートの袋を買っていた。
幼稚園の学芸会の本番の日。いつもの幼稚園と違って初めての会場に着き、先生に預けるときには緊張した顔をしていたから親としては心配だった。年少さんの列の4番目くらいで出てきてカスタネットをたたきながら「公園に行きましょう」という歌を歌った。始まるともうみんなヤケクソみたいな勢いで叫ぶように歌っていて、うちの子も、家ではルンルンで練習していたのが顔をくしゃくしゃにして叫んでいて、なんかその子供たちの存在感とか、気持ちとか、その中にうちの子も混ざっていることとか、そういう感情の渦にのまれて涙が出た。出ないように我慢したけど。年長さんまで終わったあとの「おわりのことば」を言ううちの一人がうちの子で、挨拶文の一部をマイクで言っていた。モジモジしていたけどきちんと言って、その後はリラックスしていた。本番まであまりその代表さんの役のことは特別触れないようにしていたのだけど、終わったのでよく褒めた。
うちの子の行っている幼稚園はおおらかで、細かいことにカリカリせず、子供が元気に楽しく成長していればよしみたいなところがあり、学芸会もみんなバラバラだったりするのだが、先生も含めみんなリラックスしていてうちの子には合っているのかなと思う。
ゴムの圧迫で皮膚が痒くなるので普段はゴムの緩い靴下しか履かないのだが、この日は普通の靴下を履いたのでやっぱり痒くなった。
りゅうちぇるが亡くなったのはとてもショックだった。
『君たちはどう生きるか』を観てきた。