EBMの多元主義と民主主義

所属している大学医局は「エビデンス・ベースドな実践」のようなことを標語のひとつにしているのだけど、それって一体どういうことやねんとずっと思っていた。自分も論文を調べて勉強することはもちろんあるのだけど、「エビデンス」とかEBMという言葉が意味するところが不明確だから、俺たちはエビデンス・ベースドにやってるよな、な、な、と言われると気圧されてしまうというか、まあそっすねと答える自分の欺瞞に心中穏やかでなく、風呂で頭を洗っているときに「うげえ」と声を上げながら思い出し自己嫌悪をしたりしていた。というわけで「エビデンス」ないし「EBM」は一度ちゃんと調べたいとずっと思っていた気になるあの娘だったのだけど、最近『エビデンスの社会学』(松村一志, 青土社, 2021)という本が出たのでいよいよ接近してみる機が熟したのかなと思った次第。ついでに『数値と客観性』(セオドア・M・ポーター著, 藤垣裕子訳, みすず書房, 2013)も読もうと思っているのだけど、その前にEBMについて調べて理解しておきたかった。

EBMという言葉を初めて使用したのは1991年のGordon H. Guyattの論文で、EBMを日本に啓蒙した第一人者の一人が福井次矢である。福井はGuyattの論文について「貧血が疑われた患者での診断の進め方を例に挙げ,病態生理学的な考え方に基づいていくつかの検査をオーダーするという従来のやり方と,感度や特異度などの臨床疫学的な文献データに基づいて検査性能が最も優れた検査のみを行うというやり方を比較して,後者の臨床疫学的研究の結果に基づいた客観的かつ効率的な診療を提唱した」と述べ、「EBMの本質は,突き詰めるなら,医療上の判断根拠を,“生物医学的知識/病態生理”や“経験の豊富なエキスパートあるいは大学教授などの権威者の個人的な意見”よりも,“臨床研究論文のうち,結論や所見(エビデンス)が誤っている可能性が最も低いもの”を重視すること,そしてそのために,臨床疫学的な考え方に基づいてエビデンスをランク(レベル)付けしたことにある」と述べている(福井, 2010)。

GuyattらはEBMの登場を「パラダイム・シフト」と呼び、EBM以前とEBM以後に分けてその特徴を述べた(Guyatt, Sackettら, 1992)。少し長いが重要なので引用しておく。

The Former Paradigm
    The former paradigm was based on the following assumptions the knowledge required to guide clinical practice.
    1. Unsystematic observations from clinical experience are a valid way of building and maintaining one's knowledge about patient prognosis, the value of diagnostic tests, and the efficacy of treatment.
    2. The study and understanding of basic mechanisms of disease and pathophysiologic principles are a sufficient guide for clinical practice.
    3. A combination of thorough traditional medical training and common sense is sufficient to allow one to evaluate new tests and treatments.
    4. Content expertise and clinical experience are a sufficient base from which to generate valid guidelines for clinical practice.
    According to this paradigm clinicians have a number of options for sorting out clinical problems they face. They can reflect on their own clinical experience, reflect on the underlying biology, go to a textbook, or ask a local expert. Reading the introduction and discussion sections of a paper could be considered an appropriate way of gaining the relevant information from a current journal.
    This paradigm puts a high value on traditional scientific authority and adherence to standard approaches, and answers are frequently sought from direct contact with local experts or reference to the writings of international experts.

The New Paradigm
    The assumptions of the new paradigm are as follows:
    1. Clinical experience and the development of clinical instincts (particularly with respect to diagnosis) are a crucial and necessary part of becoming a competent physician. Many aspects of clinical practice cannot, or will not, ever be adequately tested. Clinical experience and its lessons are particularly important in these situations. At the same time, systematic attempts to record observations in a reproducible and unbiased fashion markedly increase the confidence one can have in knowledge about patient prognosis, the value of diagnostic tests, and the efficacy of treatment. In the absence of systematic observation one must be cautious in the interpretation of information derived from clinical experience and intuition, for it may at times be misleading.
    2. The study and understanding of basic mechanisms of disease are necessary but insufficient guides for clinical practice. The rationales for diagnosis and treatment, which follow from basic pathophysiologic principles, may in fact be incorrect, leading to inaccurate predictions about the performance of diagnostic tests and the efficacy of treatments.
    3. Understanding certain rules of evidence is necessary to correctly interpret literature on causation, prognosis, diagnostic tests, and treatment strategy.
    It follows that clinicians should regularly consult the original literature (and be able to critically appraise the methods and results sections) in solving clinical problems and providing optimal patient care. It also follows that clinicians must be ready to accept and live with uncertainty and to acknowledge that management decisions are often made in the face of relative ignorance of their true impact.
    The new paradigm puts a much lower value on authority . The underlying belief is that physicians can gain the skills to make independent assessments of evidence and thus evaluate the credibility of opinions being offered by experts. The decreased emphasis on authority does not imply a rejection of what one can learn from colleagues and teachers, whose years of experience have provided them with insight into methods of history taking, physical examination, and diagnostic strategies. This knowledge can never be gained from formal scientific investigation. A final assumption of the new paradigm is that physicians whose practice is based on an understanding of the underlying evidence will provide superior patient care.

Guyatt, Sackettら, 1992

まず、EBM以前の医療が基づいていた「assumption」が三つ挙げられている。ここから批判的に取り上げられるものが実践の内容ではなく、実践の基礎を成す「assumption」だということは注目に値する。EBMは医療をどう実践するかということよりも、医療をどう捉えるか、どう認識するかという点に重きを置いている。1~4で述べられる内容のうち、1は「a valid way」についてであり、これは方法に言及しているといえる。2~4は臨床的実践において何が「sufficient」であるかについてであり、いわば認識と価値づけについて言及しているといえる。2は病態生理仮説が、3は伝統的トレーニングと常識が、4は専門家のお墨付きが挙げられ、人間機械論と権威主義が医学的知の真理の座を独占していることを示している。EBMによる旧来の医療への批判にはこのように方法と認識と知の政治の三側面がある。

ではEBM以後はどうあるべきなのか。Guyattらの表現は繊細でおもしろい。1~3はEBM以前の1~3と対応している。1では、臨床実践の無数の側面を調べ尽くすことはできないから個々の臨床経験は重要であるが、同時に(「At the same time」)再現性のあるバイアスを除いた臨床的観察を収集する必要がある、と述べている。EBM以前と以後の方法の共存が丁寧に説明されている。2では、病態生理的理解は重要だが臨床的な有効性を予測するのには不十分であることが述べられ、ここでもEBM以前と以後の認識の共存が目指される。ただしここではそれがどのようなものであるかが述べられていない。この点は後で考えてみたい。3は「evidence」を臨床的に応用するための基本的な法則を理解する必要があると述べられ、これについては旧来の基盤(伝統的トレーニングと常識)の残る余地はかなり少ないといえる。EBM以前の4、権威主義的態度についてはなぜか項目を立てずに後ろの段落にまとめている。上級医からの学びを否定するものではないが、医師は個々に「evidence」から正しく学ぶことができ、専門家の意見を評価することができるということが強調されている。

以上をまとめてみると、1, 3は主に方法について、2は認識について、4は知の政治について述べているといえて、総じてEBM以後は旧来のシステムとのダブルシステムとなることを予見しているが、特に3,4と番号が進むにつれて旧システムを棄却する程度が大きいといえる。

ここまでの議論では、新しい認識がどのようなものなのかがまだ不明確である。同論文の後半でもう一度病態生理仮説の扱いについて触れた箇所を見てみよう。EBMへのよくある誤解を正そうとしている箇所である。

    Misinterpretation 2.-- Understanding of basic investigation and pathophysiology plays no part in evidence-based medicine.
    Correction.-- The dearth of adequate evidence demands that clinical problem solving must rely on an understanding of underlying pathophysiology. Moreover, a good understanding of pathophysiology is necessary for interpreting clinical observations and for appropriate interpretation of evidence (especially in deciding on its generalizability).

Guyatt, Sckettら, 1992

強調されているのは、病態生理の十分な理解が「evidence」の解釈、特に一般化可能かどうかを判断するのに必要だということである。これは裏を返すと「evidence」は病態生理理論から独立しているということだ。では「evidence」それ自体は何も根拠のないただの数字かというともちろんそうではなく、臨床疫学的ないしは統計学的理論によって根拠付けられている。

斉尾武郎と栗原千絵子は、山本和利がEBM以前を「機械論パラダイム」、以後を「確率論的パラダイム」と呼んでいる(山本和利. 医療における人間学の探求. ゆみる出版 東京; 1999)ことを引きながら、EBM以前を「人体機械論的アプローチ」、以後を「ブラックボックス観的アプローチ」と呼んでいる(斉尾ら, 2001)。「確率論的パラダイム」を採用するEBMでは「賢しらに人体の構造を追求せず、検査や治療などの人体への介入がメカニズムは不明であっても、単に主観確率をどのように変動させたか、により評価する統計的決定理論が援用される」(同論文)ため、これは「ブラックボックス観的アプローチ」なのだという。

もともと機械論と対になるのは有機体論ないしは全体論で、確率論と対になるのは決定論だと思われるから、それを補って解釈すれば、「機械論・決定論」と「全体論・確率論」の対比ということになり、そして「全体論・確率論」は「ブラックボックス観」だということになる。全体論では、全体は諸部分の総和以上のものだと考えるから、部分の変化が全体に及ぼす影響は部分からは予測できず、全体を観測しないとわからない。確率論では、ある操作の結果は確率的にしか予想できない。要は「やってみないとわからない」。そういう意味で「ブラックボックス観」というわけだ。

EBMの認識的側面がようやくはっきりしてきた。先の引用のとおりこれもまたダブルシステムだと言える。まとめるとこのようになる。

  • 方法:個人の経験の多義的で非体系的な蓄積・解釈と、バイアスを排した一義的で体系的な情報の蓄積・解釈(とその伝達)のダブルシステム

  • 認識:病態生理仮説に基づいた機械論的・決定論と、一種の不可知論に基づいた全体論的・確率論のダブルシステム

  • 知の政治:権威主義を排した民主主義

EBMの概念の新規性は、方法・認識におけるダブルシステムを明確にしたことと、知の民主化にある。

提唱者らがEBMを「パラダイム・シフト」といった結果、新旧「パラダイム」が相克する図式で捉えられ、EBMはクーンの言う意味での「パラダイム・シフト」なのか否かという議論がなされてきた(伊藤幸郎, 2002; 斉尾ら, 2001)が、これは本来目指したところではないように思う。実際のところEBMが主張していたのは「新」「旧」で呼ばれたものの両方が動いているダブルシステムである。

ダブルシステムをさらに抽象的に捉えれば「多元主義」か。複数の「パラダイム」が並列的に存在していることを認知するという意味で、これは「メタ・パラダイム」(すでにクーンの言うパラダイムとはだいぶ離れてきているが)とも言えるかもしれない。ある方法・認識の枠組みとは異なる方法・認識があることを認知し、それを使い分けることが、EBMの目指したことである。そしてそれはもちろん権威主義的に恣意的に重みづけられるのではなく、選択されたものの妥当性は標準化された手法と合意形成の過程で検証される。

以上、初期のEBMの論文をまともに読むと一般的に流通している理解とはまた違ったことが見えてきたよ、という報告になりました。じゃあ実際に我々がやっていることってどうなの、ということもいずれ考えていきたい。

それはそうと私はちゃんと大学院を卒業できるだろうか。不安でしょうがないからこんなブログを書いて気を紛らわせている。

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