靴を落として靴とぬいぐるみが増えたこと

図書館に向かう坂道でベビーカーを押しながら妻が気づいた。赤子の靴が片方しかない。靴は普段ベビーカーの手すり部分にくくりつけた靴用クリップ(そういうベビー用品が普及していることを赤子が生まれてはじめて知った)で留めてぶらぶらさせていたのだが、それが片方しかぶらついておらず、どこかで片方を落としたらしくて、頭の中でそれまでの道のりを反芻した。この日は公園で赤子を遊ばせてから図書館に寄って併設のカフェで読書を進める予定で、午前中から電車で図書館の最寄り駅まで出て、歩いて向かっていたのだったが、家を出るときはたしかに靴は両方あったというのが妻の記憶で、私もなんだかそんな気がする。電車を降りるときには私がベビーカーを押していて、そういえばなんだか手すり部分に体をぶつけたような気がしなくもない。とりあえず駅が怪しいということで駅まで引き返した。

改札にすみませんと声をかけて、「あのー、落とし物で片方だけ赤ん坊の靴って届いてませんか?」と訊いた。こういうとき自分は赤子のことを「赤ん坊」って言うんだと思った。結局届いておらず、また時間が経ってから問い合わせてくださいと言われた。改札のおじさんは色黒の痩せたおじさんで、へりくだりもせず普通に親切にしてくれて感じがよくて、労働はこういうふうだといいもんだよなと思ったりした。とはいえ靴はなく、これでは公園で遊ばせられないので、近くのデパートで新しく靴を買った。店員さんが足のサイズを測ってくれるのだが、今まではそれで泣いたことのなかった赤子がやたらと店員の女性を怖がって泣いてしまって、店員さん(ソバージュのかかった肩くらいまでの髪で人当たりのよい人だった)に「みんな必ず泣くんですよー」と気を遣われて、赤子は私の体に脚をしっかりと回して、両手で服をつよくつかんでいてかわいかった。失くした靴から0.5センチ大きなサイズで、青と黄色のアシックスにした。甲のベロがなくてマジックテープがひとつだけなのではかせやすかった。

デパートの子供用品のフロアでは動物園との企画でぬいぐるみの展示と販売をしていたので立ち寄った。大きめのリアルなザトウクジラと小さいかわいいオランウータンがいたので買った。オランウータンは赤子から見えるようにベビーカーにぶらさげた。

公園への道に引き返し、また坂道をのぼって、公園についた。広いところで、遊具の集まるところには親子連れや小学生のグループがたくさんいて賑わっていた。赤子をはなすと嬉しそうに走り出す。急な方向転換をするから油断ならない。小さな滑り台にのせて滑らせた。またがって前後にゆさゆさ揺れる遊具に乗っていた3歳くらいの子が、「3人乗りだからまだ乗れるよ」と赤子を誘ってくれて、その子と2人でゆさゆさに乗った。赤子は「うおー」とか言いながら体をゆすっていた。

保育園で階段を上り下りすることを覚えて、最近は階段を好む。手をつないで一段ずつ「よーしょー」と掛け声をかけながら何度も上り、下りるのだが、親は中腰になる必要があって、それでこの日は階段を10往復したので腰が痛くなった。前は手をつなぐことが嫌いだったのだが、保育園で段差を移動するときには手をつなぐとおぼえてくれて、集団保育のちからを感じる。

蒸気機関車をそのまま遊具にしたものがあって、子どもたちで賑わっていて、機関車というより子供の多さに惹かれて赤子はずんずん接近していく。機関室への階段を上りたがって、支えながら入っていくと、幼稚園くらいの女の子がごっこ遊びをしていて、「あぶないからさわらないでください」と言われ、赤子はじーっと見つめていて、我々が「怪我しなくてよかったねー」などと言ったのだが、その女の子のお母さんが「小さい子にも使わせてあげないとだめよ」と注意していて、うちの赤子はまだごっこ遊びをしないしむしろごっこ遊びに巻き込んでくれて嬉しかったくらいなのだけど、女の子は叱られてしまって気の毒だなと思ったのだが、子どもが大きくなれば親はそういう注意をして社会性を教えてあげたりするものなのだろうなとなんだか感心した。

散々遊んで、少しカフェに寄って千葉雅也の『アメリカ紀行』を読んだ。ライシャワー研究所での発表会のあとの食事会の箇所、「最初はサラダから。チーズを振りかけたシーザーサラダ。味は普通。…」で少し笑った。妻は私が貸した発達障害の一般向けの本を読んで、その本でお母さんとお父さんの役割がきっぱり分かれていることに驚いていた。発達は規範を受け入れることと分かちがたく結びついていて、発達心理学はどうやってもなんらかの規範とセットで示されるものなのだろうが、もう少し今風にしたほうがいいのかもしれない。

私の仕事は人の役に立っていると思うし好きなのだけれど、時間の大半を仕事に費やすことは私は好きじゃないというか、できなくて、それだと潰れてしまうから、本当はこの日のような時間を享受して過ごしていきたい。妻に言うと、「いいんじゃない」と言った。赤子は「ちゃー」と言いながらオランウータンのぬいぐるみを撫で回していた。帰りに駅に寄ると落とした靴の片方が届いていた。靴を片方落としたら新しい靴とクジラとオランウータンが増えた。

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