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満員電車にて

満員電車が嫌いだ。

まあ、多くの人はそうだろう。しかし、多くの人にとってそれは許容できる程度に嫌いなわけだが、僕にとって満員電車に乗るということは、こんな風に書くのは少し大げさかもしれないけれども、今までの自分を裏切ってしまうような行為だった。

大学に入ってからは自転車か徒歩で通学しているが、中学高校は電車通学だった。当時乗る満員電車も先日乗った満員電車も変わらない。変わったのは僕の年齢で、社会人になる一歩前まできたということだ。

そもそもどうして満員電車に乗ったのかというと、4月から入社予定の会社に行くためだった。9時集合に間に合うよう、僕はピーク時間の小田急線に乗らなければならなかった。

駅にやってきた電車の中は既に人間がすし詰め状態になっていたのだが、僕はその中に入っていかなければならなかった。まさしく、板前さんが折箱に寿司を詰めるように、駅員さんは僕らを電車に押し込んだ。

気分転換に訪れたカフェが閉店だった時のような気分で入った電車の中は、思ったより悪くはなかった。中学生の頃と比べると背丈も体格も大きくなったので、電車の中は思ったより窮屈ではなかった。こんなことをするのはどうかと思うけれども、スペースを確保するために周囲の人々を押し返すくらいのことは出来た。

僕に不快感を与えたのは景色だった。電車の中にいる人間はみんな揃って苦虫を嚙み潰したような顔をしている。10人に1人くらいは本当に苦虫を嚙み潰していると思う。本を読むことも、スマホを開くこともできない電車の中じゃ、いやでも苦虫の顔が目に入る。僕は目を閉じることにした。

目を閉じたものの、さっきまでみていた地獄絵図を思い出してしまう。地獄絵図の中で僕の脳内に強烈に焼き付いてしまった人物は、おじさんだった。これから1日が始まるというのに疲れ切った顔をしているおじさん。襟が乱れ、後頭部をはげ散らかしているおじさん。一見クールに見えるが、心や感情を殺してじっと耐えるおじさん。

彼らが何歳くらいなのかは分からないけれども、僕もいつかはおじさんになる。カッコいいおじさん、いわゆるイケオジになりたいと思っているのだが、先日乗った電車の中に僕の思い描くおじさん像はなかった。

でもこのまま会社に入り、満員電車で通う日々を20年繰り返せば、無数にあるはげ散らかした後頭部の1つになってしまう。今まで、頑張ってきた僕の延長線上にあるのが、苦虫を嚙み潰し後頭部はげ散らかし疲労困憊おじさんだと思うと悲しくなった。悲しいというより、申し訳なかった。目を輝かせながら、勉強や遊びを楽しんでいた10歳の僕の期待を裏切ってしまうような気がして。

大げさに書いてしまったけれども、僕は4月から会社に入るだろう。社会に出るということは満員電車に乗る自分を許容することなのかもしれない。

せめてもの抵抗として、満員電車の時間を避けて通勤したいと思った。



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