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正欲 を読んだ話


これ、ぼくの話だ。

ちょうど物語の半ばまで読み進めたあたりで、ぼくに仕事上の(というか、人間性の)アドバイスをしてくれた人がいて、
それについてウンウン悩んでいる時に 息抜きも兼ねて続きを読み始めた時、気がついた。


これ、ぼくのこと書いてる。
ぼくはこの物語における寺井だ。


不登校になった息子を、「自分の思う」正しいレールに戻してやるために、自分の中での精いっぱいの正義で、奮闘している。
息子はそれが嫌なのに。明確に。
息子の気持ちを考えることが出来ないのだ。
出来ないというより、まったくそこに考えが及ばない。
だって自分が正しいから。


身震いした。
ページをめくるのが怖くなった  今まで見たどのホラー映画よりも怖い。


ぼくもこう見えているに違いない。

いや、ぼくのことを好いてくれている人もいる。それは分かっている。
"それに反してぼくの姿がおぞましいモノに見えている人がいること"が怖いわけではない。

そういう場合があるという"パターン"に気がつけなかったことが怖い。

ぼくが間違っている、悪だ、という話ではなくて、
人は皆自分なりの正義を抱えて、「正義の反対はまた別の正義」という言葉もあるくらいだから、
ぼくのこれも正義と言えなくはないんだけど、

ぼくの考える主人公像ではない。ほど遠い。普通にヒールだ。

ぼくは元々、こういう絶妙な悩みや問題を抱えた時、適切な判断を下すのが苦手だ。

悪だ‼️死のう‼️


とかなる。
もしくは、ぼくが正しい、おまえらは間違っている。等なる。100:0なのだ。

完全にヒールだ。面白い。そっちのルートもアリか❓



想像力を養いたい。元々、それが足りていないことはうっすら、本当にうっすら感じはじめていた。
人の気持ちが分からない、客観視が出来ない。物事を俯瞰で捉えることが出来ない。
有り体に言うと自己中心的なんだ、ぼくは。


このnoteに「正欲の話」とタイトルをつけておきながら "ぼくは"  "ぼくは"と 自分についてのことばかり話しているところにも、それが現れていると気がついた今が、なんならいちばん怖い。






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