上から目線のおっさんによる、おっさんのための勝ち逃げ説教「しん次元! クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦 〜とべとべ手巻き寿司〜」
何を言うかではなく、誰が言うかで視点は変わる
一体どういうつもりなんだろう?
主題歌を歌うサンボマスターって、ライブがめちゃくちゃすごいんですよ。
「諦めるな」「負けないで」「勝手に死ぬな」「頑張れ」「全員優勝」という数々の突き抜けたポジティブなメッセージ、めちゃくちゃ響くんですよ。サンボマスターが積み上げてきた言霊や魂のようなものが背景にあるし、
"本気で思ってること"って"本気で受け止めれる"から、やっぱり心を打つんですよ。
だけどね、出てるキャラクターの8割くらい"死ねや!!"と思わせるレベルでイラつく「劇場版モテキ」や、勘所を外しまくったダメダメリメイク「SUNNY 強い気持ち強い愛」などを撮ってる人が勝手に抱く、上っ面だけで人物や物語を語るタイプの人間から「頑張れ」とか言われても、うるせえ黙れ!としか思えない。
映画クレヨンしんちゃんの立ち位置と今回の大罪
よく言われてることだけど、
「クレヨンしんちゃんの映画は大人が泣ける作品」だ。
しかし今回のスタンスの踏み外し方は、いわゆる大人が泣ける作品として、類を見ないほど酷いものだと思う。
個人的な見解だけど、大人が「クレしん映画」で泣けるのは、
大人になって喪失した幼年期のくだらなさや無邪気さ(暴れん坊っぷり)が、クレヨンしんちゃんというぶっ飛んでもOKでめちゃくちゃやってもなんとか許されるフォーマットを用いることによって、懐かしさとバカバカしさとその裏にある素直さとアツさ、こどもにしか見えない視点とそれを応援する家族愛が、見落としていた大切なことに気付かされる
そんな、ちょっと言語化しづらい感動なんだと考えている。
だから、「子供がこんなに頑張ってる」とかで泣かせられるような簡素な作りじゃ無理だし、「大人も泣ける」にフォーカスを絞り過ぎると白けてしまう。そんな単純な話じゃないんだよ。
ふと思い出したんだけど、これって奇しくも同じく3DCGに挑戦した「STAND BY ME ドラえもん」と同じく【大人を泣かせにかかる】のが見え透いてて、同じく白けさせる性質を持っている気がする。
なのに、今回は"勝手すぎる"大人へのメッセージが垂れ流しだ。
<未来は明るくないかもしれないけれど、誰か一人でも心を通わせる存在がいれば幸せってもんだぜ>
そのテーマは100歩譲って言いたいことは分かるけれど、この作品ってどこまで行っても子供を中心に楽しめる作品ってことを忘れていないか?
それともなにか?大根は子供たちに
「この国の未来は明るくないけど、頑張って楽しく生きろ」って言いたいのか?無責任な奴だよ、ほんとに。大人が泣ける作品じゃなくて、一部の大人によるマスターベーション作品だよこれ。
悪役の設定と扱い=作者の偏見による置換
ひろしの靴下の扱いもそうだ。
あれは、野原ひろしというキャラクターが持つ最高品質のギャグ攻撃なのに、「日本のサラリーマンが家族のために一生懸命働いた証し」とかをセリフで言わせるんだ。
テレビでリアクション芸人さんが、これから熱々のおでんと熱湯風呂やります!って時に、テロップで「この人はこのお仕事で家族を養ってます」って出たらどう思う?死ぬほど寒い、というか殺意すら湧く。
というか、お前が今回セットアップした
「貧困な若者、非正規労働者、核家族、恵まれない家庭、アイドルオタク、いじめられっ子で家族・恋人なし、無敵の人」という非理谷充の設定に、なんで勝ち逃げをした世代の"最悪の具現化"とも言える大根仁のような人間が「頑張れ、頑張れ」なんて言えるんだよ。
「この国に明るい未来はない」のは、非理谷充が"頑張ってない"からじゃないだろ?"頑張ってもどうにもならない"世の中だから、非理谷充はモンスター化したんじゃないか。
アップデートどころか本当の現実を理解できてない設定を持ち出したのなら、ちゃんと責任もってケツ拭けって話なんだわ。
そして、その"頑張れ"ってセリフをひろしに言わせてくれるな。
・35歳で商社の係長
・庭付き戸建てのマイホーム
・マイカー所有
・美人妻(専業主婦)と2人の子供
ひろしは勝ち組っていうミーム的なやつを知らんのか?最早ひろしは、令和の時代では完全な勝ち組だ。そのひろしに
"現代の若者=この国の制度で搾取される未来が確約された負け組"
に対して、
"頑張れば、幸せになれるんだから頑張れ!"
を言わせたら、どう考えたって嫌な話しかならないことをなぜ理解できないのか。大人がやるべきことは、その制度を変えることで、決して搾取されてる人たちに対して、無責任に頑張れっていうことではないだろ。
(※ここで、実写の大根仁が出てきてそれを言ったら少しは許せたかもしれんわ。シンプルにFuck Offって思えば良いから)
どこからモノ語ってんだ、この野郎となるわけですよ。
弱者を応援するつもりのくせに、結局上から目線の自分らの手前勝手な思想が根底にあるから、結果的により嫌悪感に深みが増す作品あったな...と思ってたんだが、やっと思い出した。「20世紀少年」だ。
確か最後の方で、ケンヂが昔に戻るVR的なやつを使い少年時代に戻って、ともだちの正体である子に"優しく接する"ことで、自分がともだちを生み出してしまった過去への贖罪をするシーンがあったと思うんだけど、アレに近い。
別にタイムマシーンじゃないから過去も変えられないのに、後にともだちになってしまう少年にカースト上位のケンヂが仲良く"してあげる"ことで、なんとなく救われた感を出す、この世の自己愛と嫌味を煮込んだ最悪の産物のアレな。
結局、大根仁や堤幸彦(と、この場合は浦沢直樹も)は社会的弱者に歩み寄ろうとするポーズは取るけれど、根本的には上から目線で見下しているから、自分らの作品内に介在する、いじめっ子側の視点に気づけないんだろう。
そういえば劇中で新橋の駅前かつ居酒屋出してるけど、この人秋元康〜堤幸彦系列の人でしょ?赤坂あたりの個室バブリーな店の方がホームだろ。
アップデートできていない根性論と映像表現
最後の展開も酷すぎる。
個人的にクレヨンしんちゃんの映画は、暴力を否定してきたと思ってる。
暴力で攻撃してくる勝手な大人たちに、奇想天外なこども・クレヨンしんちゃんのアイデアとアクションが、巡り巡って自分に跳ね返り、敵を自滅させていく展開が多いと思う。
だから、クレヨンしんちゃんは常に"自分勝手で利己的な暴力は、自分に跳ね返ってくるからやめなさい"を教示していると考えていた。
なのに、今回は純度100%の暴力。
しかも、デフォルメされた暴力ではなく、「いじめ」という超のつくリアリティの中心にある暴力だ。
そしてこのクソ作者は、その向かってくる暴力に耐える若者に「負けるな」「やりかえせ」「がんばれ」とだけ言っている。
暴力は無意味で価値がなくてダサいと思わせるのが、クレヨンしんちゃんのギャグのちからとハードボイルドなキャラクター像だったのに、なぜその昭和の根性論的なレベルに引き下げたのか。本当に理解ができない。
非理谷充が鉄雄化するモンスターのビジュアルもなんなんだよ!!!!
最も肝を外した最悪の末路としか思えないレベルの出来だろ。
自分の目くばせのためにいろんなオマージュを差し込むのは勝手だけど、あの気持ち悪いビジュアルを見て、子供たちがどう思うかとか考えないのか?
そういうことを考えれない奴に子供向け作品を作らせるなよ。
子供作品もなめてるんだよ、結局。
今回の超能力という題材に対しては、3DCGで表現という狙いは合っていたかもしれないけれど、実際の映像として「ドラゴンボール超」「THE FIRST SLAM DUNK」「スパイダーバース」を経た視聴者たちに、天秤にかけられることを考えたりはしたのだろうか?
どう考えてるのかは知らないけど、アニメ映像として気持ちいい部分が少なすぎるわ。何が悲しくて、金払って昔のゲームレベルの映像で繰り広げられるおっさんの戯言に付き合わなきゃいけないんだよ・・・
愛する「クレしん映画」を"消費"されたくやしさ
「クレヨンしんちゃん」のフォーマットを使って語る必要性もなければ、世の中に対して発信すべきでない思想の塊(「最近の若者は・・・っていうのが好きな界隈」を除く)が、愛する「クレヨンしんちゃん映画」を用いて、最悪の形で表現された作品だった。
説教されるのが嫌いだから、自分で色々なこと学んで経験をしてきたつもりだし、その中で修正を繰り返しながら自分というものを形作ってきた。
その道筋の中で「クレヨンしんちゃん」を大好きになったのに、なんで一番言われたくないタイプの人間から、こんな形で説教じみたことをされなければならないのか?かと思った。
本当に気が滅入るし、鑑賞してから1カ月たっても苛立ちが拭えない。
多分大根は二度と呼ばれないので大丈夫だと思うけど、今後の作品においても「この先に明るい未来はない」みたいなことを、二度と口にしてほしくないし、そんなテーマを広告代理店臭いカタチで前面に押し出さないでくれ。
ぶっちぎりで今年のワースト候補なのが悲しいわ・・・。
「ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん」「爆盛!カンフーボーイズ~拉麺大乱~」「激突!ラクガキングダムとほぼ四人の勇者」「謎メキ!花の天カス学園」をベスト候補に入れていた私が、クレしん映画をワースト候補にしなければならない事実が悲しすぎる。
ふざけんな!大根