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「過剰」な接客を変えるには?働く側から思ったこと「書く習慣」DAY19

常識って認識しずらいですよね。
そこにあるのがあたりまえだから。
今日のお題「自分があまり賛成できない常識」

最近、仕事をしながら考えるようになったこと。
一日の中でちょっと嫌だなと思うこと。
そういえばこれ、先週も思ったなっていうこと。
何回か続いて嫌だなって思ったら、今まで素通りしていたけれど、自分結構ストレスだったのかもしれない。
そんな気持ちで書いています。

接客業の宿命


「お客様は神様」

私がこの言葉を初めて聞いたのは、「牛角」が「大手焼き肉チェーン店」となろうとしていた、7,8年くらい前(だったと思う)。当時、牛角が全国に広がっていたまさにその時で、何かと話題になっていた。テレビ画面で見た従業員が、お客様より低い目線で、過剰なほどの笑顔で注文をとっていたのが印象的だった。
その接客態度と成功の秘訣として上記の言葉が掲げられていた。

ニュースを見たときは、まだバイトすらしたことのない子供だったからなんとなく覚えていた。
当時の私は自分が接客業につくとは全く考えていなかったなあ。

今、接客業を2年ほど続けて思ったことは、あまりに「過剰」であることだ。

接客の「過剰」さ


時を少し巻き戻して2,3年前、「バイトテロ」が話題になっていた。それがきっかけとなって、いや、それより前もだが、ひどい勤務態度の従業員がネットでさらされたり、自らさらしたり、というようなことが定期的に話題になっていた。

日本の文化なのだろうか。
どうしたって、従業員と客との間には明確な力関係があるのだと思う。
明らかに客がおかしいことを言っているときでも、従業員が発した言葉の一部をきりとられてネットにあげられたらもうおしまいだ。
従業員は名前や所属などいろいろなものを明らかにしている。信用のためだろう。それに対し、客は個人情報保護のもとにどんなにおかしいことも、さらされることはない。いや、個人情報の保護を非難しているわけではないんだけれども!

とにかく、従業員と客とでは明確な力関係がある、ということが言いたい。
そしてその力関係が、本来対等なはずの、人対人のコミュニケーションにも影響を及ぼしている。従業員への「過剰」な気遣いや、礼節が求められている。現場にいる人間として息が詰まる。

これもまた最近SNSの普及で、従業員側の気持ちも発信されるようになり(もちろん個人情報は伏せてある)、この「過剰」さに疑問を持つ声が少なからずあがっているのは喜ばしい。
従業員だって人だということ、時には精神・命に関わることだから。
そのことに気づいてほしいと思う。

勤務中の人々


接客業に限らず、勤務中の人を人と思わない傾向が世のなか、少なくとも日本にはある気がする。

警察官は勤務中に飲み物を飲んではいけない。
学校の先生には何を言っても大丈夫。
話しかけてくる店員は無視してもいい。
コンビニの店員は箸の数を察するべき。

そんなわけはない。
そんなことはしなくていい。

言われてみれば不思議なことだらけだ。
こうして「問題」として示されれば、「問題」であると気づくことができる。
でもそう簡単には意識は変えられない。なぜなら、普段の生活の中で問題を問題として認識すること、これってかなり難しいことかもしれない…。

突然だけれど、先日ずっと気になっていたカフェに行った。
ざくざくとしたチョコチップのマフィンが有名で、打ちっぱなしのコンクリートの内装がおしゃれなカフェだ。
店員は30代半ばくらいのおしゃれな男性だ。その人が店主なのかどうかはわからないが、私が行った時間、従業員は彼一人だった。

店内が少し込み合い、持ち帰りの人の会計と、イートインの客へのサーブがひと段落ついたころ、その従業員は客用入り口から出ていった。
なんとなく目で追っていたら、入り口から少し離れたところで煙草を吸い始めた。

て思った自分に「えっ」て思った。

私は無意識に、勤務中の従業員としての「私の常識」を強要してしまっていたことに気づいたからだ。何も迷惑は受けていないのに。
彼は自分の仕事をきちんと行っているし、煙草だって店内ではなく外で吸っている。煙は来ない。誰にも迷惑をかけていない。
ただ、「見える」ところにいただけだ。
そう、彼が煙草を吸っても吸わなくても、私は何も変わらない。

正直自分は、そいういう「世間の意味不明な常識」みたいなものへの理解がある方だと思っていた。ニュースはよく見るし、自分自身接客業をしていているから、そういう違和感には気づいているものだと思っていた。
でも、そうじゃない。私の見方にだってどこかに絶対バイアスはかかっている。

そう気づけたのは、その従業員の人がとても堂々としていたからだろうと思う。

従業員側の意識


客が「過剰」さを求める意識を変えるにはどうしたらよいのだろう。

その一つとして、従業員側の意識も変える必要があるのではないかと思う。
従業員側も、「これが当たり前です」「当然の権利です」という感覚を持って、そういう態度をとっていれば見る側の意識も変わっていくのではないかと思う。
変に隠したり、後ろめたい気持ちは態度にも表れてしまう。

もちろん、わざわざ客に見えるところで、休憩したり水を飲む必要はないけれど、それが当たり前という意識は従業員側も持っていいと思う。
無茶な要求には答えられないとか、できないことはできないと、毅然な態度をとること。
従業員側から、まっとうな人対人のコミュニケーションの場を「作り出す」こと。
自己防衛という意味でも、従業員側から意識を変える働きかけも必要なのではないだろうか。

客も従業員も気持ちよい場をつくるには、そんなことを考えたお話でした。

おわりに


もちろん、現場の意識をけるにはマネジメントや経営する人の意識を変えるところからだと思うし、客側が働く人の実態を知ることが前提とは思っている。

以前バイトしていた飲食店でもそうだったが、接客業はストレスで病気になる人も多いと思う。公務員だって、教員なんか特に大変だと思う。
働く側も仕事中だから、と我慢しすぎに毅然とした態度をとって良いと思う。

最近同僚が病気で退職したのを機に、いろいろ考えることが多くなった。
一人の労働者のささやかな声でした。

おやすみなさい。

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