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大切な人は、好き嫌いで語れない。私のおじいちゃん。「書く習慣」DAY16

「そういえばあんたを1番可愛がってたね」
痺れた足を伸ばしていたら母に言われた。
今日は母方の祖父の3回忌。
私にとって厳しくて、ちょっと口うるさいおじいちゃん。
私にとって1番大切な人。
実家に帰省する機会があり、いろいろ考えてしまった。
良い機会だから文章に残してみることにする。
多分、私が子供の頃、一番会話した人だ。

小さいころの記憶


小学生になると、祖父母の家に預けられることが多くなった。
両親は共働きで仕事が忙しく、3つ離れた姉も部活が始まり、一緒にお留守番ができなくなったからだ。

私の家からおじいちゃんの家は車で15分くらい。
遠くはないが、近所というわけでもない。
住宅街のすぐ裏が田んぼ、という私の家よりも、さらに山の方にあった。
農家、だったのだろうか。お米を作ったり、野菜を育てたり、牛や鶏もちょっといて、とにかく「田舎」のすべてがあった気がする。

おじいちゃんの家には、大きな牛が2頭いて夜になるとグォーグォーと啼くので怖かった。
おばあちゃんが、夏にはバイクで畑に行くのがかっこよかった。
あんまり甘くない、ほんとに野菜みたいな苺や、小さいけど冷やすと美味しいスイカや、歪な形をしたじゃがいもを掘るのを手伝った。
3時のおやつに、おばあちゃんの友達の商店に行って、好きなおやつを買ってもらうのが楽しみだった。
夏休みになると、ほぼおじいちゃんの家で過ごしていたから、夏の思い出が強く記憶に残っている。

その頃、両親の仲は悪かった。今思うと、仕事と子育てで忙しかったし余裕がなかったのだと思う。
お金には困った記憶があまりないが、両親と出かけたり、会話した記憶もあまりない。

狭くて物が多くて菓子パンばっかりの家にいるよりも、広くて干草のような匂いのするおじいちゃんの家にいる方が好きだった。

熱を出すとおじいちゃんが学校まで迎えにきてくれた。
保健室のベッドで、先生に「おじいちゃんが迎えに来るって」と言われた時、あまりに喜んでほんとに熱があるのか、体温計が壊れたと思われたことがあった。


いつも味方


「おじいちゃんはいつもゆきまるの味方だよ」

何かあるたびにおじいちゃんが言っていた。
小さい頃、私は全然「しゃべらない子」だった。
何か聞かれても、相手にじっと見つめられていると、言いたい言葉はあるのに何故か何も言えなくなってしまった。
そんな私を心配してくれていたのかな、と思う。

お母さんに怒られた時、お姉ちゃんと喧嘩した時、いとことゲームをして負けて泣いた時、いつでも言っていた。そして一緒にキャラメルをくれた。
おじいちゃんが大好きなキャラメル、歯にくっつくからあまり好気じゃないな、なんて思っていた。
でもたぶん子供の好きな甘い食べ物、と思っていたのかもしれない。

お父さんとお母さんが大きな喧嘩をしたとき、泣きながらおじいちゃんに電話をした。すぐに駆け付けてくれて、もう大丈夫だよ、ってキャラメルをくれた。おじいちゃんは、お父さんとお母さんと話した後帰っていった。

寝る時は川の字


お正月やお盆、親戚が集まるとき、私の家族はお母さんの部屋で、いとこ家族はおばさん(母の妹)の部屋で、おじさん(母の弟)はおじさんの部屋で寝るのが普通だった。
いつからか、私だけはおじいちゃんとおばあちゃんの部屋で寝るようになった。

元々姉が「今日はおじいちゃんとおばあちゃんの部屋で寝る」って言ったのが始まりだったと思う。「お姉ちゃんばっかりずるい!」と言い出した私。それから私は「おじいちゃんとおばあちゃんの部屋」で寝るのが当たりまえになった。
いろんな理由でおこづかいをくれたおじいちゃん。
「毎日おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に寝てくれたから」という理由でお小遣いをもらっていたのは、どうやら私だけだったようだ。

なんだかお小遣いをもらいすぎているような気がして、悪い気がして、一度「私は大丈夫」と断ったことがあった。
あとからお母さんに「おじいちゃんはお小遣いをあげるのも楽しみだからもらっておきなさい」と言われ、「大人になるとそうなのかな」と不思議に思った記憶がある。

怒られたこと


おじいちゃんには叱られることも多かった。
ご飯を食べるときに正座じゃないと、かならず注意された。
足がしびれてもご飯を食べている間に崩すことは許されなかった。

姉や従兄たちと一緒に、将棋を教えてもらったことがあった。
私はルールを覚えるのが早くて、最初はみんなに勝っていた。でも、せっかちで深く考えないから、ゲームを繰り返すうちに負けることも増えていった。おもしろくなくなって、ゲームに参加しなくなった私に、おじいちゃんは「ちゃんと考えないから負けるんだよ」と言った。

中学・高校生になって、おじいちゃんの家に行くのもお盆とお正月だけになった。
お母さんたちが台所でご飯の準備をしているときに、私がテレビを見ていると、「ゆきまるは手伝わないの?」と聞かれた。お父さんたちや従兄には言わなかった。そのことに少し腹をたてた私は聞こえなかったふりをするようになった。

大学生になって、おじいちゃんは寝たきりになった。
「おじいちゃんの家」から私の家の和室で、しばらく過ごすことになった。
無駄に明るい声で「あ!おじいちゃんがいる!」て嬉しそうな声を出したりしたけど、部屋にはあまり近寄らなかった。

あるとき、おじいちゃんに呼ばれて、その部屋で二人、話をした。「小さいころ、ゆきまるが泣きながら電話をかけたとき、おじいちゃんは駆け付けたけど、ゆきまるを助けてあげられてなかったんじゃないかなってずっと思っていた」と言われた。

目の前で横たわる、少し小さなおじいちゃん。
見ていたら、なんだか怖くなってきた。何が怖いのかわからなかったけど、とにかく一刻も早くその場から立ち去りたくなった。思わず、「そんなことあったっけ」って言っていた。言ってから「しまった」と思って、また無駄に明るい声で「確かに私、よくおじいちゃんに電話かけていたよね」「大丈夫大丈夫」って無駄に明るい声で、何をごまかしたかったのか、とにかく話を終わらせようとした。
おじいちゃんは小さく「そうか」って答えた。

2年前、大学院で授業をしたとき、母からラインでおじいちゃんの死が告げられた。
聞いたときは何も感じられなかった。もう会えないのか、って思った気がする。お葬式でも泣かなかった。こんなに悲しくないのって、変かな。でも本当によくわからなかった。

今、一番、おじいちゃんがいないことを、強く、認識できた気がする。
今まで忘れていたこと、たくさん思い出せた。
おじいちゃん、私のおじいちゃん。
私を一番かわいがってくれて、私に一番向きあってくれていた人。


おわりに


今でも整理がついていないところはある。
好きか嫌いかで言われるとなんて答えたらいいかわからない。
でも私の人生で重要な人だった。

大切な人は、好きなところも嫌いなところもあるけど、それに関わらず大切な人なんだと思う。

おやすみなさい。

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