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私が好きな人たち「書く習慣」DAY18

こんばんは、みなさん暑さで気力がそがれていませんか?
毎日少しずつでも楽しいことをみつけて、消化試合みたいな一日からワクワクする一日に変えたいものです。

ちなみに今日私は食器を買いました!
茶色に近い黄色で、釉薬のつやっとぽってり感がたまらないお皿です。
良い食器を一度使うともう、取り皿にお米よそったりとかはできなくなってしまいましたね。
米は飯椀へ、汁物は汁椀へ、煮物は小鉢へ…。

学生時代に何も考えずに買った食器が多かったので、家の中の「お気に入りの物ゾーン」が増えていきます。
もう、生活が豊かになってしまいます!


私が好きだと思うタイプの人


今日のお題は「自分が好きだと思うタイプの人」

私は割と交友関係が狭く好き嫌いが明確な人間です。だから、これに関しては自分で明確な好みがあることを自覚していました。
私の好きだと思うタイプの人は「自立している人」です。

想像力がある


突然ですが、私の友人にはオタクが多いです。
私もオタクなので集まってしまうのでしょうか。
ただ、好きなものはみんなバラバラです。
韓国好きだったり、ジャニーズだったり、ディズニーだったり…。

みんな各々好きなものがあるので、話題がつきません。
みんな自分の好きなものを大切にする感覚がわかっているので、相手の好きなものを否定しません。
それから、「好き」を持っている人とは、お互いに少しずつ共有できる部分が必ずあります。もしくは相手の「好き」のどこかに必ず興味を持てる部分があります。

「好き」のジャンルは違えども、例えば一番くじのワクワク感やコンビニでのイベントなどで盛り上がったりすることができます。

自立している人は自分の世界を大切にしています。
だから他の人の世界を、共感できずとも理解できます。
想像することができます。

自分の世界が豊かな人ほど、他人の世界を尊重できるのだと思います。

感情に左右されない


自立している人は、自分と他人の境界線をちゃんと認識できています。
だから、自分の気分が悪い時、他人に強要しない。
逆に他人の気分が悪い時も、影響を受けないので強いと思う。

人の機嫌が悪い時は放っておいたり、ちゃんと距離をとることができる人。
私は他人にあたったりしないけれども、やっぱりこういう友人がいると安心できる。「この人は私なんかで左右されない」という安心感。

大学生の時、依存するタイプの友人がいた。
いろんなグループで問題を起こしては、他の人のところでまた友人をつくって、という子。
一時期本当にずっと一緒にいたと思う。好かれるのは嬉しいし、一緒にいてそれなりに楽しくもあった。それになんというか、自分のマイナスな感情を肯定してくれるし、言いやすい関係であった。
今思うといわゆる共依存というか、あまり健全な関係ではなかったと思う。

私が不機嫌になるとその子も不機嫌になった。
私がちょっとあの子苦手なんだよね、というとその子も「私もあの子嫌い~」といって、”ちょっと苦手”が”嫌い”に変化していった気がする。
半年間べったりした後、その子は今度同じサークルの子とべったりするようになった。
くわばらくわばら。

その時の教訓。
マイナスな感情を引きずり合う人、そういう人と一緒にいるのは楽ではあるけども、自分のマイナス感情が増幅されていく。結果的に疲れてしまう。

自分のでも他人にも、感情に左右されない人。自立した人にはそういう要素があると思う。


自分の世界がある人


私は私の世界を愛しています。
私が作り上げてきたものの見方や知識で世界は彩られています。

例えば私がオーケストラに入っていなかったら、たまたま入ったお店のBGMでショパンのピアノコンチェルトを認識することはできなかったでしょう。

例えば私が古典の研究サークルに入っていなかったら、鎌倉旅行で訪れた建長寺に天狗が祀られている不自然さに気づくことはできなかったでしょう。

私は私が得てきた経験によって、これから出会う世界を充実させています。
そんな私の世界を広げてくれる人が好きです。

食品メーカーに就職した友達と出かけると、私が好きなパウンドケーキに入っている香辛料を教えてくれます。

建築科を卒業した友人と出かけると、私の地元にある図書館が実はすごい技術が詰め込まれた建造物であることを教えてくれます。

私の世界をもっと魅力的にしてくれる人たちです。
自分の世界がある人は、他人の世界を広げる力があると思います。

私も彼女たちの世界を魅力的にできたらいいな、と思うし、新しい人との出会いは毎回わくわくします。


おわりに


今日は衝撃的なニュースがありました。
どうしてこうなったのか、いかなる理由があっても許されることはないと思う。

これについてあまり深くは言及しないけれど、世の人にもっと想像力があってほしいと常々考えている。
「相手の立場になって考える」小学校なんかでもよく言われる言葉だ。

例えば「とても貧乏で生活していけない」という言葉。
テレビでモザイクのかかった人たちが言うのを見ると、ふーんとしか思えない。
ところが私の友達にそう言った人がいたとして、その暮らしぶりなんかをまのあたりにする。とたんに深刻な問題だと感じる。一緒に憤る。

すべてを知ることはできないけれど、自分の知らない世界、理解できない感情があるということを認識する必要はあるんだと思う。

どうかみなさんが心穏やかでありますように。
おやすみなさい。



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