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苦手なものを、少し好きになれたあの瞬間。

中学に入り、運動音痴の私が選んだのは、バスケ部だった。

小さい頃から運動の類がほとんど苦手だった。

かけっこのタイムもビリから数えた方が早いし、逆上がりだって合格したのはクラスで最後の方。水泳やダンス、少林寺拳法と様々な運動の習い事をしたが、どれも数ヶ月〜数年単位であっさり辞めた。

中学受験のため、小学校高学年から塾に通い、どんどんどんどん身体を動かす時間は減っていった。比例して、体力はおろか、運動能力でさえも下がったような気がした。唯一の身体を動かす時間、体育の授業でさえも嫌気がさしていた。

運動を楽しいと思ったことなんて一度もなかった。どれも疲れるものだった。

そんな私が、中学でバスケ部に入ってしまった。

・・・

事の始まりは、母の「体力を付けるため、中学生になったら運動部に入りなさい」という言葉だった。
まぁ言うことも確かに…と思っていたのと、特段入りたい部活も無かったので、中学に入学してからは運動部を中心に部活見学をした。

一瞬幼少期に習っていた水泳部…と思ったが、毎週髪が濡れたまま帰るのを厭わないほど水泳が好きになれる気もしなかったし、きっと既に水泳が上手い人がごまんといて、追いついていける気もしなかった。

経験者がすでにいるであろう、という理由で、習い事としてメジャーなダンスもテニスも排除された。走るのがビリから数えた方が早いため陸上部も自然と排除され、結局残ったのはバスケ部とバレー部くらいだった。

誰一人知った顔がいない中、中高一貫校に踏み入れた中学一年の4月。当時唯一仲良かった友人5人中3人がバスケ部に入ると言った。

「あ、じゃあ私も…」

そんなノリで、運動が全くできない人間がバスケ部に足を踏み入れてしまった。

・・・

そんな事情だったから、はじめからスタメン入りなんて目指していなかった。ただ、普通に、落ちこぼれない程度に、楽しめれば良かった。

同期の中に経験者はいないようだった。ボールの持ち方、投げ方から教わり、スタートラインは一緒。

それでも、持っている運動能力は違う。一年の夏頃には、“スタメン”と“ベンチメンバー”で列記とした差が付いていた。私はもちろん後者だった。

しかし、季節を巡るごとにベンチメンバーの中でも次第に自分が下がっていくのを感じていた。

ウォーミングアップで、体育館を数周、全員同じペースでジョギングするのも、次第についていけなくなった。これはまずい、落ちこぼれている、そう思った。

そこでただ追いつくために部活以外の日も、自分で家の周りを走り、自主練をするようになった。大晦日も元旦も、走った。ただ体力をつけて、落ちこぼれないように、その一心だった。

それでも、すぐに結果は出なかった。むしろどんどん差が開いて、みんなのジョギングから半周遅れでゴールしたこともあった。

あんなに自主練しているのになんでーー。

落ちこぼれているけれど、ちっぽけなプライドから、コーチにも同期にも、誰にも相談できなかった。ただ毎日走りこむしか、考えがなかった。

・・・

そんな時だった。
ある日の練習が始まる前、コーチから呼ばれた。

「あなたが頑張っているのに、伸びないって思ってるよね。考えてみたんだけど、貧血なんじゃないかな?病院行って鉄分のお薬もらったら、良くなると思うよ。」

貧血。思ってもみない原因だった。

貧血という症状は聞いたことがあるが、立っていて急に倒れてしまうなどの症状のことで、そういうことは一度もなかったので、無縁だと思っていた。

早速母に話し、病院に行き、薬を飲んだ。母も料理に気を使ってくれ、鉄分の多いものを食べるようになった。

するとどうだろうか、みるみるうちに疲れなくなった。ジョギングも追いついていけるようになり、いつも練習試合の後半はただコートにいることが精一杯だったのに、走れるようになった。

初めて、少しだけ、スポーツができる感覚を味わった。ああ、楽しい!と初めて部活中に思った。いつもどんよりと見えていた体育館が、どこか明るく見えた。息がしやすかった。ただ、嬉しかった。

・・・

「頑張る」ことは時に大切だ。誰かが孤独にも耐え頑張ったからこそ掴めたものが、この世を支えている。

それでも頑張り方がある。頑張るにも、何が原因で、何を目標にして、その到達のために何をどうすればいいのか。ただ自分の思いつくことをがむしゃらに頑張るだけでは辿り着けないこともあるのだということを、私はこの一件から学んだ。

そして、その解決のために、自分の頭だけで悶々と考えるのではなく、他の人の知恵を借りること。一人では限界がある。そのこともバスケとの出会いが教えてくれた。

よく、想像力が大切だと言う。本当にその通りだと思う。しかし想像力は、知っている範囲でしか働かない。知らない領域は、想像すら届かない。

そんな無知の範囲を広げてくれるのが、他者の出会いであるんだと、最近思う。きっと自分の思いもしなかったところにヒントがあると教えてくれるのが出会いで、そんな出会いの数々に、中学を卒業してからもたくさん救われてきた。

バスケは結局中学で辞めてしまった。貧血が治ればすぐ上手くなって追いつくなんてそう人生はイージーじゃない。また壁にぶつかり、そこで心が折れてしまった。

それでもあの3年間、苦手なものに挑戦して、苦手なものがちょっと好きになって。あの視界が開けた爽快さは今でも鮮明に心に刻まれている。

あの爽快さを今度は心や頭のなかで体験しようとして、もやもやと感じた違和感を、本や記事、コンテンツを鑑賞して、他者と出会い、違った見方から好きになろうとしているんだと思う。

今の自分があるのは、あの時感じた爽快感から来ているんだ、そう思えた。流されるままに入り、半ば逃げ去らように辞めてしまい、どこか思い出すのがしんどかったバスケ部時代を、少し愛おしく思えた。

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