おばあちゃん

ニートになって数ヶ月経った頃から、おばあちゃんの病気が発覚し、闘病生活が始まっていた。最初はリウマチの悪化から。

入院しては退院の繰り返しだった。そんな中、高齢者白血病を発症した。

先は長くないことを意味していた。

親族は緩和ケアで最後を看取ることに決めた。それがおばあちゃんの意思でもあったから。

緩和ケアに入ってから自宅に帰ってきたり、また病院に入ったり、繰り返しの日々だった。

おばあちゃんは慕われていたので孫たちは会いにいける時は行って、喋れる時はいっぱいお喋りした。

辛そうな顔もいっぱい見た。

その時期だけは死にたい気持ちはなかった。

大好きなおばあちゃんが必死に頑張っている姿を見ているからだろう。

亡くなる数日前に、おばあちゃんと2人きりになる時間があった。

その時に「私は良い母親だったと思う?あなたにとって良い母親を育てられた?」と問いかけられた。

なんて答えれば良いか分からなかなった。

“私”にとっては良い母親だとは思ってなかったけど、それを言って良いのだろうか、でも嘘はつけない。正直焦った。言葉に詰まった。

でもここで本当のことを言って嫌な思い出と共に死んでいくことがおばあちゃんにとって幸せなのかと考えた。嘘をついてでも幸せな気分で天国に行くことがいいと思った。

「おばあちゃんは良い母親だと思うよ。私はそう思ってるよ。」

この答えに今も考えてしまう。正解だったのか。本当良かったのか。

でもおばあちゃんが笑いながら泣いているのを見て、きっとこれが正解だったのだとも思っている。

おばあちゃんと私は性格がとても似ている。

私がおばあちゃんの立場だったら、そう答えて欲しいと思う。

完璧主義な人にとって、0か100なら、死ぬときくらい100良かったといって欲しいもの。

その数日後、おばあちゃんは病室で眠る様に亡くなった。

東京に住んでいた私は急いで地元まで戻った。

最初に会ったのはお葬式場の安置所だった。

泣きながら、ありがとうと強く思った。

本当に良いおばあちゃんだったから。

大好きなおばあちゃん。

天国でも大好きな温泉に入って、笑顔でいてくれているかな。

私もいつかそっちに行くからね、そしたらまた愚痴でも聞いてね(笑)

いろんなお話をしようね。

“色々”な色を持った話を手土産として持って行くからね。

楽しかったこと、嬉しかったこと、幸せだったこと。

辛かったこと、死にたくなっちゃったこと。

いつか、私の大切な人も紹介したいな。

会わせてあげることできなかったから、いつかね。



おばあちゃん、私は精一杯生きていくよ。頑張るって決めたから。



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