じゃがいもの皮食べる食べない問題

世の中には、拾う神あれば捨てる神ありと言うように、誰かにとっては要らないものが、誰かにとっては重要なものになる、ということが往々にしてある。

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先日、用事で東京に行っていたときのこと。
三度の飯よりカレーが好きなので、その日も有名な欧風カレーのお店へ伺った。
30分前に行くと、すでに10人ほどの猛者たちが並んでいた。カレーにかける想いにソウルを感じ、嬉しくなった。
読書をしながら待っていると、綺麗なんだけどそこはかとなく疲れを感じる顔をした女性(大好物です)がオーダーを取りに来てくれた。

『ビーフカレーチーズ乗せで。』

と、ちょっとクールに決めようといい声で言おうとしたら、声が上ずった。慣れないことはしないものである。

11時になりオープン。席へと通される。
そして、すぐに出てくるじゃがいも。
2個ある。バターが乗っていて美味しそう。

気付いたら、ペロリと食べていた。
その日は朝から何も食べていなかったので、お腹が空いていたのだ。
ふーっと一息つき、カレーを待つ。

そのときだ。
目の前には、白髪の男性。
60代くらいか、スーツを着ている。
ビシッとしすぎていない、下町のサラリーマンという感じが個人的に好印象。
そのおじさんが、周りを見渡していた。

“いつまで経ってもじゃがいもが来ない”

そう目で訴えていた。
僕より少し後に入店されていたようだが、周りの人には次々と前菜のじゃがいもが出されていく中、この人には運ばれてこない。
募る不安、押し寄せる空腹。
困り顔がそれを物語っていた。

少し時間が経ち、この人のもとにもやっとじゃがいもが運ばれてくる。
よかったね、おじさん。心の中でそう呟いた。
とても美味しそうに食べる様は、内心可愛いなと思ったりもした。

そして、無事に完食。
あとはお互いにカレーを待つのみ。

ただ、ここで少し気になることが。
そう、おじさんはじゃがいもの皮を残していたのである。

僕には衝撃的だった。
だって、あんなに美味しいじゃないか!!
あんなに美味しそうに食べていたのは、嘘だったの…??と、一瞬頭をよぎる。

いやいや、本質はそこじゃない。
重要なのは、どうして食べないのか?だ。


僕にとってじゃがいもの皮は、じゃがいもの中身(とここでは皮と区別するためにこのように言っているが本当は皮もじゃがいもに含まれるので中身と皮があって初めてじゃがいもであって…割愛)と同じくらい大切である。

皮がないと、少し物足りない。
なんというか、食べた感じがしなくなってしまうのだ。

じゃがいもの皮は、程よい歯応えを与えてくれるし、ほのかな自然味も感じさせてくれる。大地で育った野菜であることに想いを馳せながらじゃがいもを食べることができる。こんなことを思いながらじゃがいもを食べるのは変だろうか?

さらに、だ。
多くの食べ物は、皮にこそ栄養素が詰まっていることがよくある。
みかんも、外側の糸みたいなやつの方がビタミンがあるらしいし、りんごも皮ごと食べると良いって聞いたことがある。
野菜も全般的に、皮ごと食べた方が、少しだけ栄養を多く摂れるらしい(知らなかったので詳しく調べた)。

そんなこんながあるから、僕はこれからも皮を食べ続けるだろう。
そして、あのおじさんはきっと、色んな皮という皮を食べない気がする。要らないものとして捨ててしまっているのだ。
はっはっは。なんだか得をした気持ちになるぞ。


そして、これを機に考えてみた。
僕は丸ごと食べるのが好きなのではないか?と。

他にもたくさんある。
みかんは糸ごと食べるし、リンゴも皮ごと食べる。
鮭の皮なんて大好物だし、サンマも頭から尻尾まで全て食べる。エビフライの尻尾も食べる。

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…ここまで書いて、少し気付いたことがある。
もしかして僕は、ただのめんどくさがりなんじゃないか?(笑)

どれも楽をしているだけのような気がしてならない。もちろんエビフライの尻尾とかはめっちゃ美味しいし鮭も皮のほうがメインと言っていいくらいだが、正直サンマはハラワタと顔をとった方が美味しいし、リンゴの皮は意外と硬い。

これでは、ただ僕が楽をしたいだけのめんどくさがりということで話が終わってしまう。
いや、もうこれ以上何も書くことが思いつかないので、とりあえずこれで終わりにしておく。

自分の食べたいように食べるのが一番。


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