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マーティとドク〜Back to the Future〜
『back to the future』を観た。
なんやこの映画…しかもラスト…
興奮冷めやらず。
個人的に好きなシーンについて。
※多少ネタバレになります
終盤、マーティがJAZZバンドに混じってギターを演奏するところ。
マーティは自分が生きている時代で音楽をしているけれど、なかなか受け入れてもらえない。
先生からは冴えない父親と比べられ「お前もあの男と同じように、何も成し遂げることはできない。諦めろ」と言われてしまう始末。
本当は誰よりも音楽を愛しているのに、才能が無いと烙印を押されるのが怖くてデモテープをレコード会社に送るのを躊躇してしまう。
そんな中、ふいに父親が若かりし頃にタイムスリップすると、同じように悩む当時の父親の姿を見る。本当はSFが大好きで小説家になりたいけど、自分にはそんな才能はないから…と出版社には持ち込まない父親に、マーティは自分を重ねつつ、イライラも募る。
物語は進み、いじめられっ子で暴力を嫌っていた父親が、母親になる人をいじめっ子から守り、ついに自信をつける。
そんな折、トラブルに巻き込まれたJAZZバンドのギターが手を負傷してしまい、代わりに自分がステージに上がることに。そして、好きな曲を演奏してくれよ!とリクエストが。
そこで彼が演奏したのが、チャック・ベリーの『Johnny.B.Goode』。父親が若かった時代にはまだチャックはこの曲を発表しておらず、その軽快なリズムとリズムに、フォークダンスを踊っていた男女たちが一斉にノリノリになる。
曲ももちろん最高だけど、やっぱり音楽の持つ力ってすごいなと改めて感じて。曲ひとつで、場も、人も、空気も変えてしまえる。最高に気持ちよかった。
で、ここから更に展開がある。ちょっと調子に乗った(?)マーティは、ひとりソロを演奏し始め、段々とテンションが上がり我を忘れて弾き狂う。
この辺りから観客の心と距離ができ始めるが、その温度差に気づかず暴走してしまい、ふと我に返れば辺り一帯がシーンとしていた。
ここでマーティは思うわけです。『またやってしまった』と。ちょっと悲しいシーンでもありますね。
でも、ぼくには違う読み取り方もできた。マーティは、初めて自分を解放できた気がした。それがぼくには観ていて気持ちよかった。曲の演奏も含めて。
ただ、受け入れられなかった。時代的なものもあるだろうし、客を無視した独りよがりの演奏では、誰も心は動かない。
彼は、そのことを“ステージで自分を解放して”初めて気づいたんじゃないかと思うわけです。ここがとっても大切なポイントで。
彼が自分を解放しなければわからなかったこと。確かな悲しみや虚しさとともに、小さな自信も生まれた瞬間。ここにものすごく動かされるものがあるな、と感じた。
その後マーティがどういう人生を歩んでいくかは映画では描写されないかもしれないしⅡとⅢを観てのお楽しみかもしれませんが、このシーンを盛り込んだのには、やっぱり何か意味があるな、という気がします。
ということで近々ⅡとⅢを観るぞ…!
この映画が公開された当時の年代は、フィールドオブドリームスなど名作映画を筆頭に、アメリカ映画は『父親と子(息子)の関係性』っていうのをテーマにしてることが多いな、と個人的にかんじました。
親子ってすごい普遍的なテーマですけど、今とは時代も状況も違うし、そういう意味では親子のテーマも時代の変遷とともに多様に描かれるようになってきてるな、と思います。
当時の映画を観ると、当時の親子観というか、そういうのもやっぱり反映されていて、良い悪いではなく、文化を感じます。
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