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『和田家の男たち』はマスク時代ドラマの傑作!

もう第5話まで放送済みなので、いまさら番宣にもなりませんが、番宣する義理もないので、構わず投稿します。

 いや、これほんと、傑作ですね。

 テレビ朝日の『和田家の男たち』!

マスクをドラマに取り込む難しさ

そんなにドラマウォッチャーではありませんので、最近あまり言わなくなった「新しい日常」を反映させたドラマって、知りませんでした。

アメリカの『SWAT』でしたか、あれ? 『911』だったかな? ともあれアメリカのさるドラマの予告編を見たら、2020年をリアルに描いていて、ブラック・ライブズ・マターなども出てくるみたいですが。

しかし、『和田家の男たち』はこの「新しい日常」に真正面から取り組んでいます。

それは要するに、マスクの問題。

例えば、今期のTBSドラマ『最愛』も、過去と現在を行ったり来たりする構成ですが、現在は「2021年」と設定されています。しかし、登場人物はエキストラに至るまで、誰もマスクをせずに街を飛び回っている。リアルにはありえない。

もちろん、過度にリアリズムにこだわっても、それが面白さを損なうなら、無視するのもひとつの方法です。

マスクをしてしまえば、役者の顔は半分隠れます。その分、表情を使った演技が著しく損なわれる。何より、主演級の美男美女俳優の顔が見えないのでは、ファンががっかりです。実際、『最愛』では、吉高由里子さんがとてもきれいに撮られており、確かにマスクで隠すのはもったいない。

また、シリアスな演技に、マスクはそぐわなかったり、場合によっては不要なコミカル味が出てしまう。『最愛』は過去の因縁が絡み合うサスペンスなので、これは些かまずいです。

しかし、『和田家の男たち』では、ストレートにマスク着用。外出しているシーンでは、男女問わずきちんとつけているんですね。

しかも、上記のデメリットを克服する工夫があるのです。

なぜ、いまホームドラマか?

タイトルに「和田家」とあるように、これはホームドラマなんです。なぜ、いまームドラマなのか?

ホームドラマといえば、昭和に大流行したジャンル。もちろんいまでも家庭を主な舞台にしたドラマはあるでしょうけど、ここまで明確にホームドラマを目指したものは久しぶりな気がします。

その理由はもちろん、「家ではマスクをつけないから」でしょう!

外では真面目にマスク着用でも、さすがに帰宅すれば外します。家の場面では普通に役者が演技できるわけです。そしてホームドラマである以上、家の場面がメイン。一番長い。したがって嵐ファンの方も、相葉くんの顔がある程度拝めることになりますね。

さらに、コメディーであること。これによってマスクがシリアスな場面を損なう心配もありません。

しかも、ただのホームドラマではない

恐らく企画書なんかには、こう書かれているんじゃないか。

「ジェンダーに時代の関心が向いているいま、男だけのホームドラマを!」

LGBTやセクハラなど、男女の性差にまつわる問題が、一気に浮上している昨今。あえて、昭和のホームドラマでは中心であった「女性」を外し、「男だけ」でホームドラマをつくる。

そういう、時代を反映したコンセプトも編み出しているのです。

往年の名作ホームドラマを振り返ってみれば、『寺内貫太郎一家』はタイトル通り、小林亜星演じる貫太郎がメインですが、『時間ですよ』は森光子のおかみさん、『阿修羅のごとく』は加藤治子、八千草薫、いしだあゆみ、風吹ジュンの四姉妹が主人公。そして八千草薫は『岸辺のアルバム』にも主演しています。

まだまだ「女は家にいて家を守る」という考え方が根強かった昭和。ホームドラマの主人公は必然的に女性=主婦でした。

それを敢えて、男だけ。祖父(段田安則)・父(佐々木蔵之介)・息子(相葉雅紀)の三世代同居。しかも息子も既にいい年の三十代後半で独身、祖父と父も妻と死別していまは独身という設定は、非常に現代的です。

しかし、こうした流れは既にCMの世界では普通になっています。

まさに相葉雅紀を含む嵐で、日立が先鞭をつけた家電CM。その昔ナショナル時代は三田佳子を年間の全商品に起用していたパナソニックさえ、西島秀俊に。さらに洗濯洗剤も、ナノックスが同じく嵐の二宮和也、アリエールが生田斗真。
この手の家庭用品では主婦役の女性タレントがキャスティングの定番だったのに、いまや男ばかりの印象です。そりゃ、男性が美女に目を奪われるように、女性もイケメンの出るCMに反応しますよね。

そうした背景から、じゃ、ホームドラマもいっそ男だけでやってみたら、という発想じゃないでしょうか。

加えて祖父はかつて新聞社社長、父は現役のテレビニュース番組チーフプロデューサー、息子はネットニュースライター。つまり、報道メディアの三世代でもあるという周到さ!

それぞれのメディア特性と、三人のキャラクターが絶妙に絡み合って、ドラマに奥行きをもたらしています。

歌手は「マイク使い」、役者は「マスク使い」?

ニ十世紀前半にPAが誕生して、それまでは、いまでもオペラなどがそうであるように、生声が当たり前だった音楽のステージに、マイクが導入されました。

すると、いわゆる歌唱テクニックとは別に、「マイク使い」のテクニックが必要になります。高音を長く伸ばすところで、マイクを徐々に遠ざけたり近づけたりして、クレッシェンド、デクレッシェンドを表現するとか、微妙に回転させてビブラート効果を増幅させるとか。

アメリカにおけるこのテクニックの先駆者はビング・クロスビーであり、日本におけるそれは美空ひばりである、と何かで読んだ記憶があります。

その伝で言うなら、「マイク使い」ならぬ「マスク使い」。

先に、演技の邪魔になると書いたマスクを、むしろ積極的に演技に利用することが、現在を描くドラマにおける、役者の腕の見せ所になるかも知れません。

実際、『和田家』でも、祖父を演じる段田安則がその見事な例を見せています。

いまは男やもめの彼も、交際している女性(草刈民代)がおり、一度プロポーズするも、断られます。

この理由がまた、「いま」にちゃんと関わっており、「あなたはこんな状況になって、不安になったからプロポーズしたんでしょ!」と肘鉄を食らうのですが、そこから紆余曲折あって、再度のプロポーズに挑みます。

この時、彼は草刈民代をビルの屋上に呼び出します。つまり、場面は「外」である。したがって二人ともマスクをしているのです。

そしていよいよプロポーズの言葉を口にする段田安則がアップになると、はぁはぁという息使いと共に、そのマスクが大きく膨らんだり、引っ込んだりする!

つまり、呼吸の激しさがマスクによって視覚化され、それが彼の緊張感を鮮やかに表現しているのです。

マスクがあるからこそできる芝居というものがあるのですね。

うまいな!

原案は大石静

時代を捉える名手・大石静が、原案。

脚本は、大石静・荒井修子・田中眞一。

ゼネラルプロデューサーが、中川慎子(テレビ朝日)。

この優れた企画のコンセプト立案は、大石静と中川慎子なのでしょうか。

状況に負けない、強かなアイデアの力を感じる、ドラマだと思います。

今後「マスクが当たり前」の状態が「新しい日常」として定着するのか、それとも収束さえすれば、またかつての「日常が戻る」のか。仮に「日常が戻る」が正解だったとしても、『和田家』はひとつの時代の証言としての価値もあり、長く記憶に残るドラマになるのでは。

2022年もドラマ制作陣は、引き続き「いま」をどう描くか、に苦慮し、試行錯誤をするのでしょう。

どんなアイデアが出てくるか、注目したいと思います。

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