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【放課後日本語クラスから⑬】未来を生きるために私たちはここにいる

こんにちは。公立高校の日本語指導クラスで日本語指導員をしている、くすのきと申します。

まん延防止重点措置のためにクラスがお休みとなり、急にポッカリと空いてしまった予定。前回の記事で書いた授業プランも、実践できないままになっています。

前回記事については、以下をお読みいただければ幸いです。

本当は実践をして、生徒がどのような受け止め方をしたのか、また私自身にとっても、失敗も含めてどのような学びがあったのかをご報告したかったのですが、今はそのめどがたちません。

そこで、この状況を福と転じさせ、授業が再開したときの指標を確認するために(転んでもただでは起きません!)、生徒たちとの交流を少し振り返ってみたいと思います。

マシュマロをくれた少女

Aさんは、少しふっくらとした高1女子。放課後、教室にやってくると、よく「先生、疲れた」「足が痛い」「早く帰りたい」と訴えてきます。

とくに体育で走ったあとは足の痛みが辛いようです。

こういった目に見えない不調は、他人にはしばしば理解されません。私から学校の先生に伝えると、多くの場合「ああ、Aさんね(苦笑)」といった反応があるのみです。

しかし、学校内では海外ルーツの高校生の、ある意味最後の防波堤である日本語指導員がそのような姿勢でいいというわけにはいきません。

たとえ生徒の訴えや態度に多少の誇張があろうと、まずは生徒の声に耳を傾け心に触れたいと私は考えています。

さて、2学期の最後の授業が始まる前のこと。
教室の一番後ろから、Aさんが無言で私を手招きしました。「なんですか?」と言いながら近寄ってみると、

S「先生。これ」

と、制服の上着のポケットからふたつの個包装のお菓子を取り出し、こっそり私に手渡しました。

T「なあに? これ。あれ!? いいの?」
S「(微笑)」

手渡されたのは白いマシュマロ。そしてその透明のパッケージのそれぞれには、黒のサインペンで、微妙に表情を変えたスマイルマークが書かれていたのです。

T「ありがとう、Aさん!」
S「ハッピークリスマス(微笑)」

小さな交流でも心は通うと信じたい

その日の授業は、2学期最後でありクリスマス間近でもあったため、私たち指導員はひとり分ずつ小分けにしたお菓子を用意していました(昼食も黙食が厳しく言い渡されているために小分けは必須です。そして学校の先生にも許可をいただいています)。

授業を早めに終わらせると、それだけでもホッとした顔つきの生徒たちに「今日はみんなに渡すものがあります」と言いながらお菓子を取り出すと、ワァーッ! と歓声が上がりました。

リラックスした笑顔で言葉を交わす生徒たち。
仕切りたがりの女子生徒Bさんが一人ひとりに渡してくれたあと、袋がふたつ残りました。欠席した生徒の分です。

「今日はふたりはお休みだし、今年はもう日本語指導はありませんから、みんなでこのお菓子を分けましょう」。そう言うとまた歓声が上がりました。

ふたつの袋からお菓子を取り出して机に並べました。そしてひとりずつ順番に取っていきましたが、3巡目をするには数が足りませんでした。

残ったお菓子に我先に手を伸ばすだろうと見ていると、生徒たちは遠慮して自分からは手を出そうとしません。

「はじめに小さなお菓子を取った人、どうぞ」と声をかけても、ニコニコしながらためらっている様子です。

T「Cさん、さっき取らなかったでしょう? どうぞ」
Cさん(手に持っているOREOのパックを見せながら)「私、大きいのがあります」
T「……やさしいんですね。じゃあ、ほしい人がもらえばいいですよ。取ってください」

そう声をかけると、ようやく全部が生徒の手に渡りました。

この日はまた、私は「年賀状」を生徒たちに渡そうと用意していました。多分、日本の年賀状などもらったことがないと思われましたし、年をまたいでも、少しでも日本語指導クラスのことを覚えていてほしいと思い、Canvaでデザインしてプリントし、一人ひとりに日本語で一文を書いていたのです。

「それからこれ、日本の“happy new year”のカードです。どうぞ」と手渡していくと、生徒はこれを思いのほか喜んでくれ、大切そうに眺め、お礼を言いながら手を振って教室を出ていきました。

しかし喜んでくれるのが申し訳なくなるほど、ささやかなお楽しみ会です。ちょっと謝りたくなるような気持ちで片付けをしていると、Aさんが私に近づいてきました。

S「先生。これ、大切ですか?」(とカードを指す)
T「うーん……大切っていうわけじゃないけど。Aさんが大切にしてくれたら、とてもうれしいです」

そう言うと、それまで少し暗い表情をしていたAさんが、こぼれるような笑顔を見せてくれました。

未来を歩む足元を照らそう

私たちの仕事は、日本語指導が必要な海外ルーツの高校生に、日本語力を上げるための補習をすることです。

取り出し授業の補習。JLPTの受検対策。プロジェクトワークを取り入れた独自プログラム。OBOG による学習支援。また、母語の力が必ずしも充分でない生徒への母語支援など、現場では様々な工夫を取り入れながら真摯に支援が行われています。

そんな現場の片隅で私がよく感じるのは、教えることの内容よりも大切なことがあるということです。

教室では、自己開示が上手で、こちらもそれに乗せられて会話のやりとりが進む生徒もいれば、Aさんのように、自分の殻に閉じこもっているように見え、教員や同級生たちにも誤解されがちな生徒もいます。

そしてそのような生徒には、固い扉をコツコツと叩き続けて、ほんの少しでも開けてくれるような言葉をかけることがまずは大切だと感じます。

今回書いたAさんとのなにげないできごとは、だからこそ、投げかけ続けた言葉が響いたと感じられる、私にとってもステップを一つ登れた体験となりました。

生徒たちが未来に向かって歩くには、よい地図だけでなく、道の先を照らす光が必要でしょう。そんな力となれるような仕事の仕方を、これからも探し続けていきたいと思います。

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