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【放課後日本語クラスから⑥】『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』から受け取ったメッセージ

こんにちは。公立高校で日本語指導員をしている、くすのきと申します。

先日、京都アニメーション制作のアニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』特別編集版のTV放送がありました。

いまさら言うまでもない名作アニメですが、今回私は、自分がいま関わっている海外ルーツの高校生と、ドール(手紙の代筆者)として生きるヴァイオレットを重ね合わせながら観たことで、少し感じたことがありました。


劇中には数々の名ゼリフが出てきます。なかでも、「届かなくてもいい手紙なんてない」というセリフは、多くの人の心に刻まれているのではないでしょうか。

ヴァイオレットにそう言ったのは、ひとりのおじいさん。夜、街の一軒一軒にいっしょに手紙を配達し全部を配り終えたときに、ヴァイオレットをねぎらっておじいさんがかけた言葉です。

そしてこのセリフが通奏低音のひとつとなって、物語は進みます。

ヴァイオレットが初めて書いたのは、同じドールの仕事をする友人ルクリアから兄への思いを聞いて代筆した手紙です。

それは「生きていてくれて、ありがとう」といったとても短い手紙でした。

ルクリアは戦争で両親を亡くし、残されたのは戦場から身も心も傷付いて帰ってきた兄とルクリアのふたりだけ。ルクリアはヴァイオレットに、兄が生きて帰ってきてくれた、それだけで充分に嬉しいのに口ではうまく伝えられないのだと語ります。

しかし、ルクリアが抑え切れないように語る物語を聞いても、ヴァイオレットはその気持ちを上手に書き表すことができません。ヴァイオレット自身がある意味で戦争犠牲者であり、喜びや悲しみ、怒りといった感情や、愛すること、愛されることの幸福感を心の奥に封じ込めて生きてきたからです。

それでも短い言葉でようやく書き上げた手紙を、ヴァイオレットはルクリアの兄に自ら届けにいきます。

手紙を見て妹の思いを読み取ったルクリアの兄は、生きる希望を取り戻します。手紙はたったひとことの短いものでしたが、ヴァイオレットはそこに、ルクリアの兄への思いを込めることができたのです。

その後、ヴァイオレット自身も少しずつ自分の心を取り戻しながら、ドールの仕事を積み重ねていきます。

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のなかで手紙の代筆業が成り立っているのは、自分の思いをそのまま言葉や文章にすることは難しいということを、多くの人が知っているからでしょう。逆に言えば、言葉に表されたその何倍もの思いを、人は心のなかにもっているのだとも言えます。

私が放課後クラスで担当する生徒は、友だちとのおしゃべりはできても、日本語を読んだり、自分の考えを書いて表現する力はまだまだ弱い生徒たちです。

しかし、生徒たちは嬉しそうにはにかんだり、照れて恥ずかしそうな表情をしたり、時にどや顔になったりムッと怒った目をしながら、そのときどきの感情や思いを私に豊かに表してきます。言葉にすることはなくても、そこには確かに交流があるのです。

でも、もしそれを言葉で書き表すことができれば、生徒たちは自分の思いや考えをもっと多くの人に伝え、共有することができるでしょう。

それでは、自分は生徒たちがいるその同じ場所に立てているでしょうか。

「届かなくていい手紙なんてない」というメッセ―ジは、自分にこそ向けられているのだ。いま私はそんなふうに感じています。

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