【にほんご日誌①】JSL高校生といっしょに夢を見たい
こんにちは。公立高校で日本語指導員をしている、くすのきと申します。
前回まで「放課後日本語クラスから」というシリーズタイトルで、日本語指導が必要な高校生との交流を書いてきました。
「にほんご日誌」でも引き続き日本語指導の現場で見聞きしたことを記録していくつもりですが、もう少し幅広く、そしてもう少し軽く「日本語」にまつわる世界について書ければと考えています。
2カ月半ぶりの投稿になりますが、前シリーズ同様お読みいただければ嬉しいです。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
体験からの発言を大切に
いまは7月中旬ですが、この数日前、私が関わっている高校では今年度初めての放課後クラスが開かれました。
4月から始まってもよいはずの新学期が、なぜ3カ月も遅れたのか。
その間の混沌とした状況と私の思いについては、前回のnoteに書きましたのでご覧いただければと思います。
上記の記事では、私としては珍しく、海外につながる生徒たちをめぐる学校や社会の状況について、批判的な内容を書きました。
noteでの投稿を始めるにあたって、私は、自分の体験に基づいた発言に徹しよう、大きな主語ではできるだけ語らないようにしよう、と決めていました。
でも、それだけではちょっと無責任なこともある。私は自分が傷つかない場所にいたいだけなのではないか――。
そう考えたのが、前回の記事を、それまでとは少し異なる立ち位置から書いた理由です。
しかし一度書いてしまったので、当面はその論調では書かないつもりです(笑)。せっかく時間を使って読んでくださる方に、情報を伝えられたり、楽しくなったり、なるほど、と感じていただくためには、やはり実際の体験をもとに書くことが大切だと思うからです。
というわけで、今回は3月に1年生を送ったあと7月に新1年生を迎えるまでの4カ月間、私がどんなことを経験しどんなことを考えていたのかを振り返ってみることにします。
出会いが示す未来
私は昨年末から、日本語コミュニティ「あいうえお」が取り組んでいる「TSUNG NIHONGO PROJECT](つなプロ)に参加しています。
現在つなプロでは、①日本や日本語が好きで学んでいる海外の学習者との交流会、②日本に就労予定のビジネスパーソンとの交流会、③海外の大学で日本文化を学ぶ学生との交流会(現在は夏休み中)をZoomミーティングで開催しています。
学習者の国籍も日本語レベルもさまざま。何度か顔を合わせて顔なじみになり、少し話題が共有できるようになった学習者もいれば、まったく初対面のまま会話を始めることになる学習者もいます。にぎやかに自分から話そうとする人も、静かに日本語を聴いて受け止めようとする人もいます。
そんな様々な学習者に次々に接するなかで、私のなかでは少しずつ変化が起き始めました。
私は高校での日本語指導の仕事を、自分のなかで中心に据えて取り組んできました。その一方で、高校生への支援だけが日本語指導員の役割だろうかといった疑問や、日本語教師として自分の力を社会につなげるためには他の場のほうがよいのではないか。そんな迷いを常に感じていたことも事実です。
たぶんそれは、自分がいる小さなコップの中以外には世界がどんなところなのか見渡せない、暗闇にいるような不安だったのだと思います。
それがつなプロを通して外へ出てみると、世界は広く、多様だった!
簡単にいえば、そんな感じでしょうか。そしてその地点から自分のいる世界を振り返ってみると、日本語指導員の仕事には価値があることが、よくわかるように感じられたのです。
「オーナーシップ」を胸に刻もう
もうひとつ、この間に私が強く意識するようになったのが、「オーナーシップ」がもつ意味です。
私たちは5~6人の指導員でチームを作り、日本語指導クラスを担当しています。10年以上の経験をもつ指導員がリーダーの役割を担っており、その信頼感から、私たちはつい「言われたことをやる」あるいは「言われたことに」疑問を呈するスタンスであることに無自覚な場合があります。
しかし、そのスタンスはリーダーに対する依存に過ぎません。リーダーがいなくなってしまえば、私たちがみずから船を動かすことは難しくなります。
生徒にとって1学期間という時間は大きな損失であり、それにはひとりの力では動かしがたい原因や理由がありました。しかし、それを「だから仕方なかったのだ」で済ませていいものでしょうか。
日本語指導員を自認する(勝手に!)人間として、これはなかなか受け入れがたいことでした。怠慢。不勉強。無自覚。無責任。そのような言葉が、絶えず胸の中を吹き荒れているような気がしました。
そんななか思い当たったのは、学校内の日本語指導には限界があるというシンプルな真実です。
これには多くの複雑な要因があるためここでは触れませんが、私がたどり着いたのは、だったら学校外でも日本語指導をすればいいという、これまたシンプルな答えでした。
だれがリーダーかではなく、一人ひとりが海外につながる若者たちの日本語指導のゴールを決め、そのためにはどのような道を通っていけばよいのかを検討し、実行する。
そんなオーナーシップ(=当事者意識)をもった日本語教師として、これからの取り組み方を考えていければ、といまは考えています。このような考え方に立つことができたのも、広い世界を見て感じた、成果の一端なのかもしれません。
夢を語る少年
先日のクラス分けのための面談では、私はひとりの非漢字圏の男子生徒を担当しました。
問いかけに対する答えには少し時間が必要なものの、自分で考え、それを一生懸命日本語にしようとする姿勢に、生来のまじめさが感じられるような生徒でした。
問いの最後は、卒業後は「進学希望か」「就職希望か」。また、「将来どのような仕事に就きたいか」といったお約束のような質問です。
T:この質問は難しいと思いますが、○○くんはどうしたいですか?
S:専門学校に行きたいです。
T:専門学校ですか? 何を勉強しますか?
S:プログラミングです。
高校に入学した頃は、将来については「まだわかりません」「決めていません」と言う生徒が多いなか、男子生徒は、珍しくはっきりと具体的な答えを口にしました。
T:進学するためには、日本語ができることがとても大切ですね。
S:専門学校に入るためには、漢字や日本語の勉強が大切なことを知っています。
高校3年間の間には、様々な困難も待ち受けているでしょう。おとなの私にはその道筋の険しさが想像できます。
でも、男子生徒は自分の未来に、夢と希望を描いているのです。
私の役割は日本語を通じて若者をサポートすること。そしてそのためには、学校の中も外もないのだ。
彼のまっすぐなまじめそうな目を見ながら、私は自分の役割を改めて気づかされた思いがしていました。
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