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ワープロ黎明期に思い切って大型機を導入

こんにちは、(株)ワイズオフィスの山田です。
ワイズオフィスの紹介シリーズ第2回です。
前回は社長がワイズオフィスを立ち上げたばかりのころの話を書きました。
ワープロを導入した社長は、徐々に使いこなしていきます。

親指シフト時代

最初に導入したのは、富士通のワープロ専用機でした。
まだワープロがそれほど普及していないときに、出始めたばかりのブラウン管モニターに5インチフロッピードライブがついたデカいワープロを思い切って導入。プリンター含めて、なんと約100万円!当然リースでした。
社長はうれしくてうれしくて仕方がなかったそうです。
富士通のワープロということは、ソフトはもちろんOASYS(オアシス)で、超高速タイピングができる「親指シフト」と出会い、原稿を書くのが速く、効率良くなり、ますますおもしろくなっていったといいます。
それまでは、原稿用紙にボールペンで書いては捨て書いては捨てで、ストレスとゴミの量がすごかったそうです。
最大のメリットは、間違えたらすぐに直せること。
しかも、プリントアウトをしたら、活字で出てくる。
すごい画期的なことだったようです。
だからといって、原稿締切に間に合うようになったわけではなく、原稿を書き上げるスピードは変わらなかったそうです。
つまり、半分は気持ちの問題だったんですね。
ワープロの登場で、ライティングは各段に進化していきましたが、デザイン・レイアウトは手作業のまま。
レイアウト用紙に手描きで誌面を表現していくため、当時のデザイナーたちは絵心はもちろん印刷の知識なども今より求められていました。

このころのワイズオフィスは、大学や専門学校のパンフレットや予備校の生徒向け月刊誌などの編集・デザインが主な仕事でした。

4年後の1988年、写植やさんの紹介で、神田神保町へ移転します。

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