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看護師ライフポイント1とわかった日

かれこれ看護師人生も20年をこえ
いろんな場所やいろんな科を渡り歩き
「自由人だね」という誉め言葉もたくさんいただいた。
誉め言葉ではないかもしれないが…

振り替えれば若いときは
ちまたでいう怖い看護師分類に所属
していた気がする。

今となっては遠い昔のことだ。
とがっていた時期は
モチベーションも高くキャリア路線すら
目指してみようかと思っていた。

組織に揉まれ
管理者たちの疲労感や責任の重さを
近くでみると管理者になりたいなんて
思うわけもなく。

エキスパートになったところで
組織にいいように使われる仲間をみると 
ただでさえ忙しい業務がさらに忙しく
なっているだけにしかみえず
全く興味がなくなってしまった。

もともとはターミナルケアが好きだし
患者さんと話すのも好きだった。
この人がもとめてるものってなんだろうって
考えて満足してもらえたときの
感動はいまも忘れたわけではない。

今はできれば早く帰りたいし
患者さんと話す時間があるなら
業務をひとつでも終わらせたい。
責任を問われる仕事は極力やりたくない。
なんならナースコールもでたくない。
病んでいる 笑

そういう感じの自分に気がついたとき
あぁ看護師ライフポイント0になったな。
これは早く現場を引退したい。
何かほかにできることを探そう。
という方向転換中の現在。

それでも生活のために
看護師を続けているわけで
もちろん担当患者もわりあてられる。

そんな私も治療方針を決める説明に
同席したりするわけで
説明後の患者フォローも経験と責任感から
きちんと対応する。

すべては本人が自分で決めるべきなので
うかつにこちらの思いを悟らせないよう
相手の思いをアウトプットしてもらい
気持ちの整理ができればと思っている。
とくにこの頃はライフポイント0なので
超絶クールだ。

ここでも
10年前くらいはあつい看護師と
よばれていたなと
回想してしまうくらい遠い過去を思い出す。

本人が数日考えてだした結果は
私の思いとは反対のものだった。

これがその人の人生なのだなと
うけとめた。

昔の私なら少し悲しくなり
なんとなく憂鬱になっていたかもしれない。

そんな担当患者が手術当日
その日の受け持ちではなかったが
顔だけはだしておこうと訪室した。

緊張して横たわっていた患者が
顔をみせたとたんに笑顔で迎えてくれた。
「会えてよかった。元気になれるかな。勇気がでた。」
冷たい私の手を何度もさすり
何度も伝えてくれる。

その一瞬
ここ数年なにも感じなくなっていたような
看護師ライフポイント0の心が
揺れているのがわかった。

揺れているというより
懐かしい感覚というのだろうか。
こういうなんか繋がれた瞬間が
とても好きだったんだよなぁ。

コロナ禍で家族とも面会制限
特にこのごろはほぼ面会謝絶状態
医療従事者も限界だが
高齢の患者も自分を守るためとはいえ
限界なのだ。

そういえば
手術をうけると決めたときも
連休明けの私をみつけて 
報告をしてくれた。

もっとちゃんとかかわれば
よかったなぁ。
と反省したのと同時に
ライフポイント1くらいは残ってたな
ということに気がつかせてもらった。

ベテラン枠になった看護人生
心に残ることは学校先生や医師よりも
患者とその家族に教えられたことが
とても多い。

今回の出来事で
やっぱり看護師って仕事は好きで
自分がやりたいことが
できない環境が続くと
本来の思いすらなくなっていくんだと思った。

潜在看護師や離職看護師
減るわけないわ。

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