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PMの僕が死ぬほどデータにこだわる理由

はじめに

「データが見たい。」これは今後も絶対的に揺るがない僕の信念だと思う。感性やアートなどの価値観も理解しているし、それも尊重する。そういったものを軸とした意思決定にももちろん従った上で全力を尽くす。でも「データが見たい。」。もうこれは性格なんだろうなと思う。定量化できないものもあるのはわかってるけど、どうにか定量化したい。
どうしてここまでデータにこだわるのかを自分なりに考えてみたことをまとてみた。

1.攻める城を間違えていないか

人間の時間は有限なのでできることは限られている。前提として、割れ窓は直す必要があるけど、やっぱり人がたくさん歩いているところで何かを作りたい。海に出るならそれはマーケットを調査して大きい方にえいやで向かえばいいと思うけど、自分の島の中なら攻めどころを間違えるのは損するだけ。
自分がどのくらい多くの人のために今の作業をやってるのかを正しく把握したい。チームメンバーが10人しかいないのに、10人で100人が喜ぶ城を攻めているのか、10人で1億人が喜ぶ城を攻めているのか、このあたりの感覚は大事にできるようにしていきたいと思う。
有限の時間の中で今の時間を消化している。僕だけじゃなくてチームのみんなも、関わるみんなも、有限の時間を消化している。であれば正しい城を攻めたい。

2.反応や真実が知りたい

いわゆる「お客さんのありがとうが嬉しい」という感覚と同じで、自分が何をして何が起こったのか知ることがモチベーションになるというのが個人的な本音。
僕は世界に対して何をしたのか、それは会社として意味があったのか、世界は少しでも良い方向に変わったのか、そういうのが知りたい。

真実はいつも難しくて、視座やタイミングで常に変わる。
それはMECEなのかどうかっていう問いがよくあるが、本当のMECEなんて無いんだと思ってる。それはある一定のレイヤーで切った世界の中でのMECEだから。事業部の売上構造の上には日本経済があってその上には世界の話があって、更に上には環境の話があって、じゃあ宇宙は?とかなるから無理。でも自分が何をして何が起こったかを正しく把握したい。
もちろん定性的な情報も価値がある。定量と定性は双方に補う要素だと思ってて、強烈なエゴで人を惹き付ける力がないのなら定量が楽なんだろうなと。
相対の最大値は世界で、その中で自分が今誰に対して何をやっているのかを客観的に知りたい。

3.共通言語を持つ

事業が伸びれば必然的に組織は人が増える、フェーズに応じて関わる人が変わる、などは会社組織としてはきっと当然のはず。なので、文化とは違った側面があり外の世界でも自由に使えて便利で楽な共通言語が「データ」。中の世界で便利で楽な共通言語が「文化」。
もちろん両方必要だと思ってて、自分が使いやすいほうを自由に使えば良いんだと思う。
僕は「社歴が浅い人にはデータ、長い人には定性、ロジック野郎にはデータ、そうでない人には定性」と意図的に使い分けてコミュニケーションを取るように意識してる。
とはいえ、左脳全振り人間なので失敗することも多い。
でも悲しいことに「社内の文化的(定性)に納得感がある」という側面のみだと、一定領域でしか力を発揮できなくて、日本語でアメリカ人に力説してるみたいな構図が生まれてしまう。相手に日本語を頑張って勉強してきてよって言ってもそれはコスパが悪いかもしれない。でもデータは2019年時点では世界共通言語であるのできっとコスパは良い。

こういう良記事があるので参考までに。
「君が神だとしてもデータを持ってこい」僕がデータを優先する理由
“数字は神より正しい”《Gunosy》が掲げる、フェアでクールな指針。

おわりに

これはお酒を飲みながら書き殴った文章なので、支離滅裂な部分がたくさんあり、何言ってんだこいつ?ってのはわかっている。
でも個人的に自分がデータが好きな理由を言語化できたので良かったかなと。(いつか気が向いたら書き直したい。)
散々データの話を書いたけど、今僕はすこーしずつデザインの勉強をしている。デザイナーの気持ちが理解できないから少しでも近付いて定量と定性のど真ん中で意思決定する経験を積みたいという思いから。
BTC型人材が今後もずっと良いのかはわからないけど、この3軸だと弱いのはCなので強化していきたいなと思ってる。

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