産業医は孤独な仕事

 常日頃、感じることですが、産業医は孤独な仕事です。その理由はいくつかありますが、一つには産業医の役割から生じる孤独感、そしてもう一つは選任されている事業場に産業医は自分一人であるケースがほとんど、ということが背景にあると考えています。

 まず「産業医の役割から生じる孤独感」ですが、産業医は「労働安全衛生法に基づいて選任」され、「事業場に対して意見を述べる」が役割といったところから来ているのかな、と考えています。

 前者の「労働安全衛生法に基づいて選任」ですが、近年、健康経営といった視点もあり、産業保健活動に注目が集まっているものの、スタート地点としては「労働安全衛生法に基づいて選任」されているという事実があります。どういうことかというと、ビジネスを行っている(利益を上げている)事業場が、事業を継続する上で必要だと考えて産業医を選任しているのか、それとも法律で定められているから選任しているのか、といった、自分の存在意義を問う傾向があり(産業医をするなら存在意義を問え、ということではないのですが)、自分は必要とされているのかな、といった気持ちになることも少なくありません。もちろん、存在意義を問うことが、より良い活動に結びつく場合もありますし、一方で、事業者に迎合する可能性も孕んでいるわけです。

 後者の「事業場に対して意見を述べる」ですが、臨床医であれば、診断・治療を行って、患者さんの健康の保持増進に貢献し、時に感謝をされることで、自分が役に立っていると自覚でき、日常のフラストレーションを昇華できる部分があります(少なくとも自分の経験では)。また、患者さんは、自らの意志でその病院、医師を選んで受診することが多いでしょう。一方で、産業医の仕事は予防的に意見を述べることなので、その意見を踏まえて事業者がどう行動するかはケースバイケース(産業医に決定権があるわけではない)です。かつ、意見については、正解は一つではありません。活動に際しての法律やガイドライン等は少しずつ充実していますが、事業場、労働者ごとに背景が異なりますから、自分の出した意見が正しいのか、正しくないのか(そういったゼロかイチの思考はよくないのですが)についての物差しはありません。そして、意見に従ったからといってリスクがゼロになるわけではありませんので「意見に従ったのに改善しない」といったこともありますす。一方で、意見に従わないと必ず有害事象が起きるというわけでもなく「本当にそこまでする必要あるの?」といった状況に遭遇することもあります。また、一つひとつの活動に際しては、医師ー患者関係にように患者さんに対して医師が主体的に関わるわけではなく、事業者を動かすことで予防的な活動につなげるので、裏方のような目立たない役割になることがほとんどです。そういった中で、どうやって自分の存在意義を確立していくか(≒自分の立ち位置を確立するか)がとても重要になります。

 「選任されている事業場に産業医は自分一人であるケースがほとんど」といった点ですが、例えば医療機関に勤務していると、診療科が異なっていても医師として勤務している同僚が近くにいて、お互いの守秘義務を意識しながらも、患者さんの診療に関する相談を含めた仕事に関する話(今後のキャリアや愚痴なども含む)ができます。もしかしたら、業務後に同僚と食事にいく、といった機会もあったりするかもしれませんが、産業医としては労働者と一緒に食事をするといった機会はほとんどありません。というか、私自身は、そういった機会は避けています。というのも、特定の労働者との関係が深まってしまうと、もし、その労働者が何らかの健康問題を抱えて支援の対象になった際に、産業医ー労働者関係以外の関係性が入ってくると、冷静かつ公平な関わりが出来なくなるかもしれないと考えているからです。あるとすれば、事業主(事業所幹部等)や人事労務担当者とであれば、ビジネス上の信頼関係構築のために会食をする、といった感じでしょうか。それでも、上述したように、事業者に迎合することなく交流することが大切です。そういった意味でも、産業医は孤独な仕事なんだと感じています。もちろん、こういった立場が自分にとって、居心地が良い、悪いは人それぞれですので、自分に合っているか、やりながらでもいいので考えてみて下さい。

 

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