職場におけるメンタルヘルスの本筋は労務管理

 私は産業医業務の中でもメンタルヘルスに力を入れていますが、産業保健は職場におけるメンタルヘルスにおいて何が出来るでしょうか。端的に言えば「話を聴いてアドバイスする」ことであり、産業保健がメンタルヘルスの問題を解決する訳ではないと考えています。なので、職場に対して「メンタルヘルスの問題ならお任せ下さい」といったコメントしたことは一度もなく「改善したいと考えていて、私に出来ることがあるなら協力します」というのが私のスタンスです。

 よくある間違いとして、職場でのパフォーマンス低下、つまり何らかの事例性がメンタルヘルス不調によるものでは、と心配されている社員と産業医が面談することで、診断がついてカウンセリング的対応によりメンタルヘルス不調が改善する、といった期待があるかもしれません。しかし、産業医の役割は診断、治療ではありません。働く人に医学的な問題が存在しており、医学的な問題により事例性が生じている、と診たてをして、「医療機関の受診が必要ですね」、「就業することで健康状態が悪化する懸念がありますね」と意見を述べることが役割です。

 なので、この意見を踏まえて、社員が受診をするかどうか、そして、職場が受診を勧めたり、就業上の措置、例えば、「安全配慮の観点から、就業することで健康状態が悪化する懸念がある状態は看過できません。受診して医学的な問題が存在しているのかどうか、そして、今後、医学的対応が必要かどうかはっきりするまでは休んで下さい」とコメントできるかどうか次第です。つまり、産業医は事例性と疾病性を繋ぐ役割を果たしているわけで、その後の対応は本人、職場、家族、医療機関等、様々な関係者に委ねられます。もちろん、どこにどうやって繋ぐか、どういった対応が望ましいか、といった知見は持っているので、出来る限り間違った方向に行かないような働きかけはします。

 メンタルヘルス不調を抱えた社員への対応も上記のような感じですが、メンタルヘルス不調の予防、つまり職場環境改善となると、産業医の役割はさらに「助言・指導」の色合いが強くなります。産業医としては、労使から中立な、客観的な立場で様々な方の話を聴く機会だけでなく、社内で起きている様々な出来事を見聞きする機会を持つことが出来ます。そういった時間の使い方をしていると、メンタルヘルス不調が生じてくる状況を掴めることがあり、その状況を改善して欲しいな、と強く感じることがあります。もちろん、その仮説を検証するために目の前のケースが犠牲になってはいけませんので、適切に対応しながら常に仮説を修正していくミクロとマクロの視点も重要です。そして、この仮説を生かしてくれるのが誰か、というと、日々、労務管理をしている職場であり、働いている社員一人ひとりになります。

 産業医は実際にメンタルヘルス不調を抱えた社員、もしくはメンタルヘルス不調に陥りつつある社員への対応が主になることがほとんどですが、本来は「日々、労務管理をしている職場」が適切な労務管理をすることでメンタルヘルス不調の発生が予防できたり、安全配慮義務の観点からの対応に繋げて欲しいと考えています。この視点がないままに、目の前のメンタルヘルス不調を抱えた社員への対応の重点を置いてしまうと、「モグラたたき」をしているだけになってしまいます。

 なので、メンタルヘルス不調を抱えた社員等への対応をしながら、次のメンタルヘルス不調の発声を防ぐためのツールとして産業医の「助言・指導」を活用して欲しいですし、「これは役に立つかな」と感じた際にはなるべくフィードバックするように心掛けてます。

 例えば、同じ職場からメンタルヘルス不調者が複数名発生し、ある特定の業務や人間関係がストレス要因になっていると推測されるとき、特定のキャリアを歩んでいる社員にメンタルヘルス不調が続いたとき、ある世代に共通する感受性からメンタルヘルス不調が続いたとき、など、産業医として職場を横断的(場合によっては、企業を横断的に)に診ている、つまり社会医学を専門としている背景があるからこそ、気づけることがあるわけです。

 ただ、実際にはその助言・指導が生かされることもあまり多くない印象もあります。その理由はそれぞれの職場や状況によって異なるのかな、とは考えていますが、
・職場側でも問題点は認識しているが、現実的に解決するのが難しい
 (コメントされると耳が痛い)
・産業医に労務管理についてコメントすることを期待していない
 (職場側の裁量の領域に踏み込まれたくない)
といった背景があるような感じもしていますが、「産業医が意見をしたから改善した」と手柄をとりたいわけではなく、産業医意見も参考にしてもらい、職場側が主体的に改善をしてほしいと考えての意見なわけです。もっとも、意見を積極的に取り入れてもらえるような信頼関係を構築していくことも重要である一方で、意見を聴いてもらいたいが故に、偏った行動をすることも避けたいところです。

 さて、ここまで書いてきて、ですが、最初に書いた「メンタルヘルスの問題ならお任せ下さい」といったコメントしたことは一度もなく「改善したいと考えていて、私に出来ることがあるなら協力します」という、貞節な距離感での対応が私のスタンスであることをご理解頂けたでしょうか。結局、職場におけるメンタルヘルスにおいて産業保健的対応はあくまで脇役であり、労務管理的対応が本筋になのですが、その本筋で出来る限り間違った対応をしないように、産業医意見を存分に活用して欲しいな、と考えています。

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