自己紹介〜これまでやってきたこと〜

 まずは自己紹介から。茨城県で小・中・高・大学と過ごして、筑波大学附属病院で2年間の内科を主とした初期研修医を終えた後に、産業医学を専門とする大学院に入学し、産業医としての活動をスタートしました。医師免許を取得した当初は臨床を続ける予定だったのですが、興味のあった診療科では、医療機関で加療をして検査値などが改善しても、日常の生活習慣までは変えることはできず「検査値の改善」に意識が向きがちになってしまうことを痛感し、予防医学の一つである産業医を選択しました。ただ、「臨床を続けることはハードだな」という後ろ向きの気持ちもあっての進路選択であったことも事実です。ちなみに、産業医については、社会医学実習というカリキュラムの一環で知っていた程度で、やってみるまで具体的なイメージもありませんでした。

 大学院では産業医のトレーニングをしながら、筑波研究学園都市に教育研究機関で働く人たちのメンタルヘルスに関する調査研究で博士(医学)を取得しました。近年では産業医への注目は高まり、実務だけでなく研究も盛んではありますが、当時は、産業医の実務に生きる研究ができる環境は限られていたようなので、「医学博士を取得するための研究」ではなく「産業医の実務に生きる研究」ができたのは、とても運が良かったと考えています。また、産業医は基本的には1人職場が多く、孤独な仕事でもあるため、大学院の教員、先輩の存在など身近な産業医の存在はとてもありがたかったです。一方で、大学院では精神科をバックグランドとした産業医の教育が主流だったこともあり、事業場に幅広く関わる産業医として、どうやって自分の居場所を作っていくか、自分の役割は何かということを強く意識した大学院時代でもありました。

 大学院卒業後も、途中で大学教員(この時代も大学、附属病院等の産業医などもしていましたが)なども経て、10年以上、産業医を主たる活動としています。大学教員時代には、教員として学生の教育・指導、産業医学に関する研究活動、滅多に経験できないような産業医実務など、いろんな経験をすることができました。外勤先の一つとして精神科の医療機関にも勤務していた(現在は臨床はやっていません)ので、職場のメンタルヘルス活動に取り組むにあたっては、このときの経験もとても生きていると感じます。その他にも、大学教員時代の繋がりで、産業保健総合支援センターの相談員や地方労災医員(精神障害担当)としても活動しており、産業医先だけに限らず、ある程度、幅広い視点を持って産業医活動に従事できているかな、とも考えています。

 実際に産業医をやってみて、ですが、当初は診断・治療をしない立場の産業医の立場に戸惑いを感じました。働く人の話を聞いて医療機関に紹介する、病気休暇を取得した労働者の職場復帰について意見する、健診結果を見て保健指導をする、職場巡視で職場のことを知る、など、産業医講習会で学んだことを「なんとなく」やっていたのですが、判断にも軸がなかったような気がします。大学院の教員、同僚には相談しながら試行錯誤していましたが、産業医業務、研修会、学会などで知り合ったバックグラウンドの異なる産業医とお話ししてみても、当然ながらそれぞれが違ったやり方、考え方をされているな、と感じました。

 産業医の実務経験を積んでいく過程において「診断・治療をしない」(≒働く人と医師ー患者関係を結ぶわけではない)なら、産業医はどのような貢献ができるのか、といったことを日々考えていたのですが「事業者に安全配慮義務を果たしてもらうために何が出来るのか」、「働く人に自己保健義務を果たしてもらうために何が出来るのか」について、医学の専門家として関わっていくことに意識が向くようになりました。これは、研修会などで知識として「安全配慮義務」というキーワードに触れていたこともありますし、「働く人がより働きやすくなるためには」を追求する中で「安全配慮義務」をツールとして活用することの有用性を実感したこともあるかも知れません。

 ひとつのきっかけとしては、平成18年に長時間労働者に対する医師による面接指導が始まったことが挙げられます。この制度により、産業医として長時間労働対策に取り組むことになりましたが、当然ながら産業医が面接して意見すれば長時間労働がなくなるわけではありません。むしろ「長時間労働をしても産業医が面談をすれば問題ない」といった雰囲気も感じました。また、産業医が面接しても、長時間労働に従事している時点で、メンタルヘルス不調、心脳血管疾患を発症したら業務上として認められる可能性が高いことを認識し、改めて「産業医の役割は何なのか」といったことを考えたこともあります。

 これまでの産業医としての活動は、主たる事業場を数年単位で担当した期間が長いのですが、このスタンスも今の自分を形作っていると感じています。というのも、事業場に長い時間滞在することにより、産業医面談+αで社員、管理職、人事労務と接する時間が長くなり、事業場で起きていることの色々な側面を見ることができます。例えば、月1回の訪問だと産業医意見がどのように取り扱われるかを見る機会はなく、次回の訪問時に(途中経過を省いて)結果を聞く、もしくは、結果を聞く時間すらなく、当月の対応に時間を費やす、といったことはありがちです。「産業医は産業医にしか出来ない仕事に時間を費やすべきだ」というのは、もちろんその通りかも知れないのですが、その周辺で起きている出来事を間近で見る、もしくは直接経験することで、産業医としての厚みが出るのではないかと考えています。また、数年単位、というのも、あまり長い時間(がどれくらいなのか人それぞれですが)、一つの事業場にいると、周囲の担当者も少しずつ変わっていくことで、「事業場内の産業保健活動に関わっているのは自分が一番長い」といった状況が生じますが、そうなると「自分が一番よくわかっているので、自分の意見を聴くべきだ」となってしまいがちな気がしています。なので、中核となる事業場を持ちながら、自分の得意な部分で幅広く社会に貢献する、といったスタンスが自分に合っているような気がしています。ちなみに10年以上、関わりを続けている事業場も複数あるので、「一つの事業場で長く続きしない」というわけではなく、適度な距離、が大切なのかと考えています。

 さて、長くなってしまいましたが、「これまでやってきたこと」として、産業医実務は複数の事業場で満遍なく経験してきたのかな、とは考えています。もちろん、時代とともに新しい課題が生じますので、産業医実務をやり尽くすといったことはないのかもしれません。なので、今後も産業医としての活動を継続していきますが、やはりその中でも自分が「役に立てている」と感じることができる部分には、より力を割いていきたいと考えています。それは、新しい事業場での新しい経験かも知れませんし、今後のnoteでの公開を検討している個別のプログラムでの活動かもしれません。また、上記のようなバックグランドを持った私に興味を持って頂き、「交流してみたい」ということであれば、ツイッターなどでもご連絡頂けるとありがたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?