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部屋の記憶にまつわる音を聞きながら空間を歩くVR『my room / my sound』

0. はじめに

本作は2022年にゲームエンジンUnityとXRプラットフォームであるstylyを使用してつくられたVR作品です。制作はリサーチコレクティブである『IEEIR』という名義で行いました。今回は私(高橋祐亮)とサウンドアーティストである丸山翔哉が中心となり、空間と音という2つの要素を主軸にVRにアプローチしました。私自身は過去に何作品かVRに関する制作を行っていますが、未だにVRというものをうまく掴み切れておらず、「面白い気はするんだけどな…どうしたものかな」とHMDを棚から出しては戻してを繰り返している状態です。ただ、今回の制作を通して少なからずVR、特にVR上の空間、に面白いアプローチができたと思います。そのことを文章化しつつ頭を整理し備忘録的に残そうと思い立ちました。あわよくば、この記事を見た人とVRについて話すことができたらそれはとても嬉しいことだと思っています。

1. my room / my soundについて(少し堅めに)

最初に本作のキャプションを以下に貼っておこうと思います。これはNEWVIEW AWARD 2022に提出した際に書いたものでして、一応IEEIRとしての公式の説明文章ということにしてあります。

 ある時期の私の記憶を空間と音を使って体験可能なものにすることを試みました。空間は私が数カ月前まで実際に住んでいた都内のアパートです。その空間をバーチャル上で再現し、任意に分割しました。各空間からは私の記憶にまつわる音が聞こえます。聞こえてくる音の中には私が発した音もあれば、外部から聞こえた音、聞こえたように感じた音もあります。各空間とそこにまつわる断片的な音から私の『記憶』を体験してほしいと思います。また、私たちはそのような断片的な音を再構築し1つの楽曲を作りました。本来であれば、関連のない音によって作られたこの楽曲は本作品内の空間を体験することによって、はじめて1つのまとまりのある音として立ち上がります。そのような音と空間の相互作用を生み出すことを意図しました。
 『客観的で正確な記録』が力を持つ現代において『個人的で曖昧な記憶』にはどのような可能性があるでしょうか?本作はその問いを探求するための拠り所となるものです。

(https://newview.design/works/my-room-my-sound/)

「もう少しわかりやすく書けないものか」という言葉はもっともですし、私自身、いたるところで同じように思うことがあります。とは言え、作品をできるだけ簡潔に中立的に記そうと思うと自然とこういう文章になってしまうのかもしれません。ただ、この記事ではもう少し文字数を割いて分かりやすく書いてみようと思います。

2. my room / my soundについて(ライトに)

ベースとなったアパート@浜田山

本作の空間は私が実際に住んでいたアパートがモデルになっています。東京都杉並区浜田山の1Kのアパートです。浜田山周辺はとてもいいところで2年ほど住んでいました。引っ越しに際して空っぽにした部屋を見て、この空間に自分の痕跡が残っているような錯覚を覚えました。厳密に言えば、この空間が自分の記憶や感情を呼び起こす装置に時間をかけて変化したということだと思います。なんてことはない無機質なアパートだったのですが、そのことが余計に「記憶呼び起こし装置」としての強度を増していたように感じます。そのような印象が本作の端緒となりました。そして、この狭い一室を用いてVR的に何ができるか実験してみようと思い立ちました。
 ただ、上記のような体験がいささか私的なものであることにひっかかっていました。もちろん個人の感覚を作品として提示するということもあり得ると思います。ただ、今回はそのような個人の感覚の追体験ではなく、個々のプレイヤーが自身の記憶を呼び起こす装置として機能するものを作りたいと考えていました。そこから試作を重ねていった結果、2つの有効そうに見えるアプローチを見つけました。1つは「部屋を分割して再構築すること」もう1つは「音によって空間を立ち上げること」でした。

3. 本作における空間構成について

初期の空間構成スタディ

最初に重点的に試作をしたのは空間の構成でした。なにぶん狭い部屋だったため、この空間をいかに装置として機能するものにするかという点は難しいところでした。スケールを変更したり、パラレルワールド的に部屋を増やしたり、ループものにしたりと色々な空間構成を考えました。その中でしっくりきたものが空間を分割するというものでした。当初は部屋を真ん中で割り、その間に通路を設置する構成で進めていました。これは途中まではうまくいっていた気がするのですが、どこか空間が見世物小屋化している感じがあり(そういう表現は個人的には好きなのですが)、記憶を呼び起こす装置としては十分に機能していないようでした。また視覚的に雑な印象があったこともあり、もう少し試作を続けることにしました。そうこうしているうちに部屋を各機能ごとに分割するという考えに至りました。玄関・手洗い場・トイレ・キッチン…などといった感じです。
 結果的にできた空間は、機能ごとに分割された部屋の断片が1本の道の横に配置されているというシンプルなものでした。これが最適だったのかは分かりませんが、1つの空間として統合されていた時よりも分割された各空間が記憶のとっかかりとして機能しているという点では狙っていた空間に近づいたと感じました。

4. 本作における音について

Unity上で行う音の配置と聞こえ方のスタディ

この部分は本来は丸山君に書いてもらう方が説得力も面白さもあるかと思います。ただ、今回はあえて私の視点から語らせてもらうことでVRにおける音の可能性を門外漢の私がどのように捉えたか伝えられればと思います。
 本作では分割された各空間にその空間にまつわる音が多数配置されています。それは私が実際に住んでいた時に聞いていた音もあれば、空間から想起される虚構的な音もあり、重層的な構成となっています。空間と同様に音もプレイヤーが自身の記憶を呼び起こす装置としての役割を担っています。
 今回、音を使うにあたって意識した点は「音によって空間を立ち上げる」ことにありました。例えば、部屋の外から車の音が聞こえると、モデルとして存在していなくても部屋の外に道路という空間が立ち上がります。そして、その音を子細に調整していくことで立ち上がってくる空間のディテールをコントロールすることができます。うまくやれば深夜の高速道路が立ち上がりトラックドライバーの顔まで見えるかもしれません。なぜモデルを作らず音で空間を立ち上げようとしたかといえば、それはプレイヤーに依存した空間をVR内に立ち上げるためです。作品を体験する人を一方的な鑑賞者ではなく、本作の一部をつくりあげる共犯者(=プレイヤー)にすることが私たちのテーマでもあり、そのために音を効果的に使うことが必要でした。このテーマは2020年から作っているplayable playerにも共通していることです。

5. 本作や他作品通してVR上の空間を考える

玄関

本作を1つの拠り所としてVRを考えるうえでNEWVIEW AWARDで同時受賞となったAdrian Steckewehの作品との比較は面白いかもしれません。ちなみにエイドリアンは建築分野で一緒に仕事をしています。IEEIRもエイドリアンも0からオリジナルの空間を作るわけではなく、現実の空間を編集する形で空間を作っています。これはアワードのテーマ(Melting Reality)が影響している部分もありますが、それ以上にVR内の空間をつくる制約もしくはルールをどのように捉えているかということが影響している気がします。実空間における空間設計の半分以上は制約が行っていると言っても過言ではないと思います。それは重力などの物理的なルールや素材の特性、社会の取り決めなど実に広範囲に及んでいます。そのため0から空間をつくるということはそもそも不可能です。VR上の空間設計はデバイスの処理速度やゲームエンジンの機能性といった制約を受けるわけですが、それでも実空間の制約と比較すると自由度が非常に高いです。ただ、だからと言ってその方が都合がいいとも言えません。すでに世の中には多くのVR空間が存在していますが、この自由度を活かせている空間はまだそれほど多いとは言えない気がします。私自身もそのような自由をフルに活かした空間を作ってみたい気はしますが、現状はそのためのとっかかりを掴めていない状態です。そこで現実空間をVR上に持ち込むわけです。取り込む過程で多少なりともゆがめるわけですが。そうすることでプレイヤーが慣れ親しんだ制約、すでに共有できているルールをVR内に取り込むことを試みます。エイドリアンはそれを3Dスキャンとコラージュという方法で行い、私たちは3Dモデリングによる編集と音の配置というかたちで行いました。
 このような制作をしているとバーチャル上に現実と同じルール、特に物理的制約、で空間をつくることはナンセンスだという方向の議論になることがあります。私も基本的には同意です。それでも、まあこれは個人の趣味嗜好の問題にはなってしまいますが、自分が存在している空間にはなんらかのルールや制約、パターンや法則といった自分の思考や感覚が寄りかかることができる部分があってほしいと思います。そういう点から言えば、すでにある現実空間を少しいじるだけで十分意図した機能を果たす空間をつくることができると思います。今回リファレンスとしていたラース・フォン・トリアーのDogvilleや毎度頭をよぎるP.T.などはやはり現実空間の操作がうまく今後も参考になりそうです。
 また少し別軸の話になってしまいますが、ここ最近のVR上の空間が実空間とリンクした作品が増えているように思います。例えば、愛知2022のアピチャッポンや2022年に渋谷PARCOでのジュリアン・オピーによるVRなどです。また、伊東ケイスケさんの『Typeman』などもアプローチは違えど、実空間の空間性をいかにVR内に取り込むかという実験的な作品であるように思います。この他にも多くの作品で現実の空間をどのようにVR上の空間と関係づけるかという実験的な態度が見て取れるようになりました。VR上の空間を現実と異なるものと切り離すのではなく、実空間とVR上の空間をデバイスを通して結び、相互に影響を与え合うという構造はIEEIRとしても追及していきたいところです。

6. VRについての雑記 - HMDと建築について

また少し話は変わりますが、VRというよりHMD(ヘッドマウントディスプレイ)についてです。HMDについてあまり肯定的な意見は聞かないですし、私自身も「もう少しどうにかならないものかな」と思ってしまいます。友人の言葉を借りると拷問器具ということになります。ただ、私はこの不便で拷問器具的なHMDにささやかな可能性を感じています。HMDを被る行為がどことなく映画館に入る行為に近い気がするというのが1つの理由です。うまく言えないですが、映画館に入るときは日常から一時的に切り離されて何かと向かい合うという意識にさせられます。少し儀式じみたものを感じるわけです。これは私が少し極端なのかもしれませんが、遠からずそのようなことを感じる人はいるのではないでしょうか。HMDを被るという行為もどこか儀式的なものを感じます。今はコンテンツの問題もあって、そこまで劇的に日常から離脱できるわけではありません。しかし、このことを意識したコンテンツを作り出すことで、内省的な体験をする装置としてHMDを機能させることができるのではないかと思っています。「メタバースのようにみんなつながる」というあり方も悪くないと思うのですが、内省できる空間が減っている現代においてはVR、特に現代の拷問器具的なHMDを使ったVR、は一時的に現実から距離を取ることができる空間になる可能性があると思います。
 このことについて先輩の建築家さんと話しているときに、昔は日常から切り離される建築は多くあり、それは例えば、教会だったり図書館だったり美術館だったりしたという話が出てきました。そのどれも今もありますがスマホを確認できる場所では、余程強い意志がなければ内省のような内向きの時間を長く持続させるのは難しいことです。そのような点でいうと現在の不便なHMDは期せずしてスマホから隔絶される良い装置になっているのではないかと思います。VRで重要視されている没入感というのはスマホと切り離されることで案外半分くらい達成されているのかもしれません。もちろん技術進化の方向性を見れば、ゆくゆくは現在のようなHMDはなくなり、スマホ的な役割も担うようになる気がします。その前に「内省的な建築としてのHMD」という可能性を打ち出し見てみることができないかと考えています。もちろんVR自体が見捨てられてHMDは3DテレビやMDウォークマンのような存在になる可能性もありますが。

7. さいごに

DOMMUNE宇川さんとエイドリアンとIEEIR

現在のVR分野はとてもよい遊び場だと思っています。普段はVR以外の分野で制作することが多いですが、VRはどの分野よりもリラックスして実験的な制作ができる印象があります。手法も評価軸もあまり体系化されていないので、めちゃくちゃな分野ではありますが、そういう時期に制作できることは結構ラッキーなことなのかもしれないと思います。また、個人的にはVR内で完結するものだけでなく既存のメディア表現と合流することも面白くなってきていると思います。すでにVR映画や漫画を拡張したXR表現、バーチャルライブなどで盛り上がり始めていますが、IEEIRとしても今年はそのようなアプローチからも制作していきたいと意気込んでいます。6月には都内で展示を企画しているので、そのときには何かしら新しいアプローチでVRと向き合った作品を提示できればと思っています。IEEIRはまだ動き出したての小さなコレクティブですが記憶に残してもらえれば幸いです。


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