机上の空論シリーズ「水底の消息文」
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拝啓
朝や暮れの空気が少し冷たくなって参りました。
そちらは相変わらず、ひんやりと暗いのでしょうか。
少し前のお話ではございますが、寂しさに喘いでいた私にあなたが、心は器だと仰ったとき、私にはよく分かっておりませんでした。人の器という言葉は良く耳にいたしますので、そういうお話かと思い違いをしていたのです。
今、はっきりと分かりました。心は器なのですね。澄んだ硝子でできた球体で、上の方に小さな口が開いているようなものではないでしょうか。誰もがこのような妙な形なのですか。今更ながら、あの時、あなたの器の形をお聞きしなかったことを悔いております。
どう申して良いか、私にも分からないのですが、どうにも苦しいのです。私の流すほどでなかった、また、流すことができなかったものが、器の上の口から、少しずつ、少しずつ溜まっていくのです。そこに入るはずでした心地好いものは、溜まっていく淋しさ(と呼んで良いものでしょうか)よりも軽いようで、水と油のごとく、浮いてしまうのです。そうして、器が満たされるにしたがって、いえ、満たされるなどとは言えません、むなしい、密度のある、重いものが器を埋めていくのです、そうして、軽いものから順に口より流れ出してしまうのです。
私の器はもう溢れ出さんばかりに埋まってしまいました。おかしなことに、器の中の水圧を感じるのです。それはもう、骨が軋むほどの強い圧なのです。重さも、重さもひどいものです。心を引きずりながら、ようやく一日を過ごすような様態です。今も机に覆いかぶさるようにして筆を走らせております。
もう我慢なりません。このままでは私は壊れてしまいます。私の中から産まれたものでありながら、私一人では抱えきれないのです。どうかお許しくださいませ。溜まったものを流し捨てなくてはなりません。そこでせめて、あなたの居る海に、その海の底に、そう思い、文をしたためた次第でございます。
どうぞ邪険にされませぬよう、お願い申し上げます。私のことを思って下さるならばこそ、何卒、お許しいただきたく存じます。
色よいお返事を、お待ちしております。
敬具
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