自転車

 おおよそ「アウトドア」というものに最もそぐわない人間が自転車というテーマを与えられてエッセイを書こうというのだから、多少軸がずれたり偏屈な文章になってしまうことを許してもらいたい。なにせここ半年と言わず、自転車になど乗った覚えも無いのだ。だから最初に断わっておくが、私は自転車の楽しさやその種類について述べたりはしない。悪しからず、ご了承願いたい。

 さて、書き出すにあたって人生の中で一番自転車と向き合ったのはいつだったかと思いをはせてみると、やはり乗れるようになるまでの過程だったろう。本の虫であるいかにも文化系な父はやはりそういったことに縁遠く、景色や風を楽しむなどという副産物的な要素には目もくれず、歩いて行けるそこらの公園で朝から夕方までひたすらペダルを漕がされた。非常に実用的な練習であるが、しかし、川沿いの道や河川敷のような広い場所ならまだしも、不精して近所の狭い公園にしたものだから、真っ直ぐ進めるような空間はほとんどない。狭い敷地内を8の字を描くような練習を繰り返した結果、私はハンドルをこの角度以上にすると転ぶ、ということばかり学んで、終ぞペダルを漕いで風を切る楽しさなどというものには目覚めなかった。人とまじまじ比べたことなどないが、なんとも不憫な練習風景である。かくして、あまり感動のない自転車ライフが始まった。その後、小学校から大学までひたすら私は自転車を漕ぎ続けた。が、一度たりとも、楽しいと思ったことはない。車に乗るようになってからは、もう出してくることもなく埃をかぶってしまっている。

 さあそんな私が、先日、故あって自転車に乗ることになった。そこで気付いたことがある。なんでもない当たり前の事だが、ペダルが重いのだ。変速機を最低にし、平坦な道で、それこそ高校生当時なら軽々と踏んだはずのものが、異常に重い。車のアクセルにはない重さ、何者も力添えしてくれない、私自身の力のみで地面を進む重さ。私はその時、忘れていたものを全て思い出し、そして初めて思い至ったのだ。ただ前を向き、たった一踏みに心を砕き、ハンドルのほんの微妙な動きにも全力で。人が地を走るということは、こんなにも大変で、そして、こんなにも気持ちが良いものなのか、と。そのためにあの狭い公園での練習があり、父の厳しい顔があり、悔しさに流した涙があったのか、と。私は自転車というものへの意識を変えねばならない。思っていたよりも、良いものだ。しかし、今後もやむを得ない事情でもない限り乗る気はない。重いペダルは、思っている以上に、年を取った私の太ももを痛めつけるのだ。

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