ChatGPTで自然言語処理は終わるのか?で始まった知性・感性の再定義

言語処理学会第29回年次大会(NLP2023)
に参加しています。

そこで、予定のプログラムの昼休みをつぶして緊急パネルディスカッションが開催されました。
「緊急パネル:ChatGPTで自然言語処理は終わるのか?」
https://www.anlp.jp/nlp2023/#special_panel

本投稿では、その内容を少しだけ振り返ると共に、私の所感も添えて述べたいと思います。

1.パネルの概要

東北大学の乾先生がファシリテーションされながら、以下の方々が5分ずつくらいライトニングトークして、その後残り時間でslackの質問を拾いながらフリー議論という形式でした。
ライトニングトークといってもしっかりプレゼンテーションされていて、それぞれ短時間でご自身のスタンスや考えをまとめられていて、さすがでした。

なお、プレゼンテーションスライドは参加登録者のみの取り扱いで、学会参加者に告知されてあります。非公開なので、私が気になったところを中心にした感想だけの紹介になります。
3/17(金)正午までなら、今からでも参加登録できるようなのでスライドが見たい方は登録してみてください。

・東北大学鈴木先生による、ChatGPT概説

ChatGPTとは何か、についての参加者の知識レベルをある程度揃えるための解説をされました。
世の中で言われていることと同様ですが、鈴木先生がまとめていた「chatGPTの謎」は、「やっぱりそうなのか」と思いました。例えば、「なぜ日本語でうまくいくのかが謎」など。
LLMモデルの有用性、定量評価、学術的な評価などはまだまだ論じれてない段階ということなのでしょう。

・京大黒橋先生による、「chatGPTで自然言語処理は終わる」立場での問いかけ

旧来型のNLPは終わってしまうのかもしれないが、新しいNLPが始まっていくのだろうという立場で語られていました。
「自然言語処理研究はより人間に近いものになっていくのではないか」というニュアンスのことを言っていて、
私の感覚にも似ていて大変賛同できました。

・東京大学谷中先生による、「chatGPTで自然言語処理は終わらない」立場での問いかけ

chatGPTによる言語処理は構成性や体系性などが、未達成なのではないかといったことを例に、自然言語処理研究もまだまだ必要なのではないか、という内容の問いかけでした。
構成性とは、任意の言葉を「構成」として組み合わせて概念を生成する能力、
体系性とは、ある言語処理ができた場合、それに関連した処理も行うことができるという認知ベースでの処理変換機能のような能力
と私は理解しました。違うかもしれません。
関係節が多すぎる文章の理解とかがいまいちなのでは、という例と共に紹介されていました。
構成性や体系性は一例であり、chatGPTができていないかもしれない、真なる概念理解が課題なのでは、といった提起と思いました。

・LINE佐藤氏による問いかけ

研究コミュニティの隆盛を御存じの佐藤さんから、現在の研究コミュニティに起こっていること、これから起こることを予想して話されていました。
〇パラメータハラスメントをやめよう 〇NLP冬の時代を防ぐにはどうしたらよいか 〇chatGPTによって終わる研究をすでにやっている人をサポートする仕組み 〇モデルの構築・運用・応用に関する失敗のノウハウの共有 などが研究コミュニティの課題ではないかといった提起をされていました。
ブームを悲観することなく、前向きにとらえていこうといった、研究コミュニティに対する愛を感じる内容で感銘をうけました。

・バオバブ相良氏によるビジネスサイドの変化可能性に関する問いかけ

〇オリジナル言語モデル開発 〇chatGPT利用アプリケーション開発 〇インハウスでの利用などの流派に別れながら発展していくだろうということ。
個人的には、chatGPTによってデータ作成のパラダイムも変わるのでは、といった問いかけは、バオバブ社の立場も相まってリアルだなと思いました。

その後、ディスカッションが行われました。学会参加者限定の内容ではあるので割愛しますが、参加者のslackでも議論が多発して、スゴイ盛り上がりを見せました(1000人以上の参加)。
これをきっかけに考えてもらうというパネルディスカッションとしては大成功だと思います。

2.chatGPTによって自然言語処理は終わるのか?

私の感覚は、黒橋先生のトークに近く、対話型言語AIの出現によって、自然言語処理に関する研究開発は、解析的・手法開発的な研究よりも、アプリケーションよりの研究に拡大されていくと思います。
領域としては、CHIやhuman augumentationの領域に融合していくと考えています。
マウスやキーボードが発明されたときは、それを使って「GUI」や「表計算」などが発明されていった後、一定の品質を超えてからは、そのような基本ソフトウェアの研究の上にある応用領域が拡がっていったと思います。
そのように、人間の知識を外部化することによる社会の変化をもたらすアプリケーションの研究が大変盛んになっていくと思います。

3.chatGPTによって〇〇は終わるのか?

ところで、黒橋先生と谷中先生の「終わる」「終わらない」立場でのディベート形式のプレゼンは非常に聞きやすく、哲学的な内容に昇華しやすい素晴らしいフレームだと思いました。
各学会・業界・企業などは、2人の専門家を用意して、「chatGPTによって〇〇は終わるのか?」の〇〇に自分の業界や分野を入れたディベートを実施したら、物事の本質がわかってくるのではないかと感じます。
これまでも、「人工知能は仕事を奪うのか」の議論はずっとなされてきましたが、その解像度がぐっと上がった感覚です。そして解像度が上がると、これまで本当に詳しい人だけが未来予想の解像度が高くて議論していたこのような内容を、言語処理や機械学習などに詳しくない一般の人ができるようになってきた、という感じです。

例えば、以下のように、自然言語処理以外にもいろいろな分野が終わるのかどうかを考えてみて、議論したら、学会のパネルディスカッションが楽しいものになりそうです。

chatGPTでコンピュータサイエンスは終わるのか?的な議論

また、ビジネス分野などでやってみると楽しいのではないかという感覚があります。例えば、以下のようなものは既に議論されていますが、それを他の分野に拡げていくイメージです。

chatGPTで専門的な仕事は終わるのか?的な議論

仕事の話よりも、人間の根源的な話がしたい人は、抽象的な「知性」と思っていることを題材にすると、より哲学的になっていき楽しそうです。例えば以下です。

chatGPTで「知性」「感性」は終わるのか?的な議論

これまで、一部の方の議論に閉じていた「知性」「感性」の定義といった、本質的な議論を皆がすることができるようになるのではないかと、感じています。その議論が、人間の人生観・価値観や人生・社会に対する向き合い方を変化させるきっかけになりえる、そういう道具を手に入れたのではないか、と思いました。

4.終わりに

ここまで、読んでいただいた皆様ありがとうございます。ぜひchatGPTを使ったり、言語処理学会に参加したりして、この波に参加してみてはいかがでしょうか。

ところで、この文章内の表は全てGPT4版chatGPTで生成されたものそのまんま なのですが、気が付きましたか? 

こういうこと

私は、この文章のどこがchatGPTの生成部分なのか、気が付いていても、気が付いていなくても、どっちでもよいのだと思います。chatGPTが生成するものも、人間が作るものもこうやって融合していって溶けていくのではないかと思います。


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