クリエイターはサイコパス

皆さんは「無職転生~異世界行ったら本気だす~」というアニメご覧になっているだろうか?

現在、2期の22話となり、物語も一区切りつきそうな状態になっている。

このアニメ、世間では十分評価されていると思うが、その世間の評価に追随するというものすごくダサいことをしてでもこのアニメの良さを語りたいなと思って今日はそれについて書いていこうと思う。

まず、このアニメの非常に大まかなあらすじとして無職なおじさんが異世界に転生するという最近では聞き飽きいたほどのベタな設定である。

このアニメの凄さはたくさんあるが、ひと目見てわかるのは描写の美しさであろう。中世の西洋風な世界観であるが、描写の細かい部分一つ一つにまでこだわりが見て取れる。素人ながら、22話のヒドラとの戦いの描写はすごく感動した。

なんか、無料でこのような作品が見れることを素晴らしく思うのと同時に罪悪感を感じたものだ。

ただ、無職転生はただ画風の良い作品なのではない。
その「生きる」というものを非常に正直に描いているところがものすごく良いのだ。

まず、主人公の転生前の姿が度々出てくるのだが、醜いのだ。
特にこの世界が非常に美しく描かれているからこそ、その醜さに不快感を覚えて少しの恐怖さえ感じるのだ。

美醜というのを人の価値尺度にいれることは段々とタブー視されつつある。
そのこともあって、そのアニメキャラ一人の醜さに反応してしまう私の小ささを突きつけてきて、自己嫌悪を掻き立てるのだ。

この表現では悪口であるが、これは褒めているのだ。
この物語は写し鏡のようなもので、主人公のルーデウスを通してまるで自分自身の無力さを写しているようなのだ。

2期で妹と仲直りする話がある。

主人公と妹では少々確執があった。生まれも6歳程度離れていて、主人公のルーデウスが10歳のときに転移事件という災害に巻き込まれ、離れ離れになっている。

要するに、兄弟として共有するべき思い出のようなものがほとんどなく何処かよそよそしさがあった。

そんな中で、妹が学校へ行かなくなりそれを心配するルーデウスがなにか励まそうと奮闘する話なのだが、そのわだかまりの解決の仕方が非常に気に入っている。

ルーデウスは妹のクラス女子寮に入り込み、妹と話す機会を作ろうとした。妹は寮の二段ベットの下でカーテンを閉めて殻に閉じこもっている。

ルーデウス自体、前世では無職で引きこもっていたわけだから、その励ましの言葉すら彼女を傷つけるナイフとなることを自覚していて、器用な言葉が見つからない。

そんな無言の中で、妹は涙を流し始める。一通り、泣きじゃくると二人のわだかまりは解消するのだ。

この描写がとてもいい。
なにか気の利いた言葉が関係を改善するものではなくて、彼らの抱えるむしゃくしゃをお互いに分からないなりに飲み込んで一から兄弟の関係を築こうとし始めた、その結末が何より美しいと思った。

もう一つ好きなのは、22話で転移事件後行方不明だった母親を迷宮で見つけた際、眼の前にヒドラがおり、母親は結晶化されていたのだ。

それに対して、父親のパウロは怒りで取り乱しているのに対し、ルーデウスはひどく冷静でいた。

その異常さをパウロに責められた際、ルーデウスは頭の中で「母親とは言ってもあまり関わりが無かったといい、一緒に住んでいる同居人のような存在だから仕方ない。」と異常な冷酷さで自分自身を正当化している。

自分の異常性に対してそっぽを向くためにそういう思考をすることってあるよなと思いながら、その小さな現実逃避と言うか、自己から目を背ける行為さえもこの作者にはお見通しなのだと恐ろしく思い気に入っている。

やはり、作家のようなクリエイティブな仕事をする人はサイコパスでなくてはなと見終わった後感じたものだ。

ぜひ皆さんも「無職転生~異世界行ったら本気だす~」見てほしい。

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