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理想と現実と巡る季節とそれから自立のこと(野球少年観察記7)

理想は現実になり、そしてまた次の目標が立ち現れます。
他の子よりちょっとだけ長く少年野球にいる分、仕方がない事ですが、憧れの先にあることも大変です。
お互いに子どもですからね。

この春3年生になった子ヤギ君は少し前に9歳になりました。

下の学年の2年生を可愛がる事はできるけれど、3年生同士のところでは好き嫌いがちゃんとハッキリしていて、ヒヤヒヤします。

子ヤギだって煽ったりするくせに、ハードルの高い理想があるが故に、子ヤギなりの声かけを無碍にされると静かに苛ついたりしているので、子ヤギ本人が激しく抗議したり手を出すことはほぼ見ないのですが、そうである前にちゃんと「イラ💢」で……お仲間にはご迷惑おかけしていないかどうか、大変(そういうのって伝わっちゃいますよね)気になるところです。

一足飛びに理想は現実にはならないのです。
そして……

理想が現実になったところで、別の理想がまた高い壁となって、迫ってくるのです。


それなのに、高い壁に向かって煽って放り上げる母からは、自立したくなるし。母の腕の中に何も考えずに身を投げるなんて、もうできないのです。

この春からしばらく、子ヤギ君はバント職人になっていました。
打席に立つと何度言ってもバントしようとするので、この春からお世話いただいている指導者には子ヤギ君はバントが好きなのだと思われているのではないかという危惧を母はしています。
でも子ヤギ君はほんとのほんとは兄さんのような、空に消えていくような、本塁打になるようなアレが打ちたいのです。
きっと。多分。
打ちたいけれど、そこに至る道を見失っていて、そして走塁にはちょっとだけ自信があって、相手のエラーのスキをついて鋭くスタートを切り、相手選手の足下にするりと美しく滑り込む事にこだわりがあるからこその、バントだったのだと思います。

春に一旦できなくなった子ヤギ君の野球の自主練習は最近順次再開しています。

つまり、子ヤギ君自身が納得できるほどのバッティングのあるいは素振りの練習量がなくて、バント職人なのはその自覚の元の自信のなさだったわけで、練習量が順次戻ってくるに従い、自信も戻り、最近やっと、ライナーと言っても良いような打球を打つことができるようになりました。

母子分離はすすんできて、かつてのように、無条件で可愛がらせてくれたり、母の手が空いていれば自分で母の手平の中に潜り込んできたりするような事はもう無くなりました。
とはいえ、客観的視点を持てるわけでも、周りが見られるわけでもなくて、何もなくても背筋を伸ばしてするべき事をこなせるような自立の力があるわけでも無く、まだまだ大人のまなざしが必要なのですが。
もうただただ猫のように可愛がっておけば良いという楽な対応では済まなくなってきたので母は気を使ってちょっと疲れます。
夕方だから、「疲れたでしょう」と言うと「勝手に決めるな」って帰ってくるの…大変すぎます。
それくらいで苛ついちゃうってのが、何よりまず疲れているって事なのですよ。少年。

親が言うことに素直に何も考えずに、力の限り以上に……頑張ることはできなくなっています。
何か、考えることが沢山あるようで。
「子ヤギできるよ!」と言われて、
「良いよ!かっこいいよ!」と言われて、根拠もなく、頑張れちゃう…なんてことはもうありません。
きっと内面が育ってきたということなのでしょう。

だから本当は、以前から打てていたのです。
一人ではできないスポーツの別れの季節に寂しさが優って、頑張る元気が出ず、やれるという想いを裏付ける練習量がなく、故に自信を失い、自信を失ったが故に頑張れず、たいしたことないなと、思われ、言われ、さらに……という悪循環にどっぷり嵌まっていたのです。
その気持ちは母には言っていました。
言っても仕方のない事なのは本人だってわかっていたのです。

悪循環にどっぷりはまりつつも、今現在はちゃんと、アピールして「俺のポジション」を奪い返し、そして頑張る循環に戻りつつあるのですが。

半年前に、子ヤギ君は練習時にバットを2本抱えていました。「なんだ?」と指導者に問われたので母が理想と現実です。と言って笑わせていたそのバットの2本持ちでした。低学年用の自分が1年生で入団したときに買ってもらったものが現実なら、めきめき力をつけている兄さんの3年生で入団したときのバットが理想でした。
強く振ることは、現実バットをにぎり込んでできるようになっていたけれど、子ヤギの小さな身体は、理想バットの遠心力に負けて振れてしまっていて、それを見た指導者に、(理想)バット短く持てと言われ、故に自分でびびって、試合になると堅実に現実バットをにぎって……そんな姿を微笑ましく見守られながら(そんなのでは外野まで飛ばないだろうと父親から突っ込みが入る)少しずつ力をつけてきたのです。

昨年は新しい仲間を迎えたり、その子達が力をつけたり、故に小さな子ヤギはポジションを譲らなきゃいけなかったり、学年が分かれて寂しい想いをしたり、そして、新編成チームで「俺のポジション」を奪いなおしたり、の今です。
この後まだまだ新しい仲間を迎えなきゃいけなかったり、多分だけど、また他の子が力をつけてまた小さな子ヤギ君は譲らなきゃいけなかったり、もう一度、少なくとも春には学年が分かれて寂しい想いをしなきゃいけなかったりするのです。季節が巡っているうちに、振り返れば力がついているか、振り落とされているかわからないけれど……。
今は…理想は現実になりました。次の理想のバットは家に置いて…家での練習用になっています。今の理想の複合バットは兄さんがホームランを何本も放ったそれで、あのバットが強く振り抜けたら…もう、無敵のはずなのです。
いつもはバッティンググローブをしているのに、何を考えたのか、室内飼いの猫の肉球のようなマシュマロの素手で素振りをした子ヤギくんです。

案の定、豆ができてそれが潰れて、手のひらだから気になってピヨピヨと鳴き、数時間のうちに絆創膏を貼り替えています。


ちょっとだけ治って来たかな?


絆創膏を買って帰らなくてはいけません。兄さんの、タコになった手のひらなら耐えられたかもしれないけれど、バッティンググローブをするのが面倒だったのかしら?母は鮮烈に理想と向き合う小さな柔らかな手のひらに、剥がれる度に絆創膏を貼ることしかできないのです。
まだもう少し幼くて、母に自我を委ねられた頃は、いわゆる「いたいのいたいのとんでいけ」の魔術の一つも使って痛みの気配を取り去る事もできたのに。
成長は楽になることばかりではないな、と母は改めて思うのでした。
上には上がいて必要には及ばなくとも、成長した姿をまずは寿ぎたいと思います。

季節が巡ると言えば、学生時代の友人が野球少年の父として、試合に帯同して来て声をかけてくれました。
4年生以下チームで2年生をセカンドに置くっていう配置は、少年野球のあるあるなのかしら?と思ったのでした。小学生低中学年1年は大変大きいもの。たとえ良くできたとしても2年生を使うしかないときにどこに置くかだけれど、セカンドがふわふわしていても、飛んできたボールに当たって自分がケガさえしなければショートがパキパキ動けばギリギリなんとかなるよね。(と言うのが、昨年2年生セカンドの母をしていて得た学びです)セカンドにいれば一年もすれば、さすがに試合経験から学ぶし。
子らに、幸あれです。

別記
実は以前は、子ヤギ君グランド上の移動時に駆け足で移動できていたんです。

駆け足で移動した上で仲間に声かけもしていたのだけれど、仲間の反発が子ヤギの方に来てしまったんですよね。
子ヤギは、なので、頑張れなくなってしまって、そして意識が低いと現在指導者に一緒に叱られておりますです。
どこまで、復活できるかな、もう無理かしら…。
実はだからその様子を見ての私の苦悩はここに。


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