何かのために,何かをするのをやめませんか?何も求めない。だから,自由自在,ということは十分ありえる。
何かのために何かをするのは間違っている
今年,学んだことかー。
何かを求めて,何かをするって,基本的におかしい。それを実感したかなー。健康のために剣道するとか,自分を立て直したいから坐禅するとか,救いを求めて読書するとか。悪い縁をなんとかしたくて,お祓いするとか? あー。全然,おかしい。間違ってる。
何かを求めて何かをするのは基本的に間違っている。
何かを求める自分を置いておく
剣道をするのは剣道をしたいから,坐禅をするのは坐禅をしたいから。読書は読書をしたいからでしょ。そこに何か別のものを欲しがるっていうのは邪魔かな。そういう自分は邪魔。映画に没頭しているとき,画面に自分が出てきて手をふったら,とても気になって映画に没頭なんかできない。基本,自分は邪魔。どっか行ってくれない?
何かに没頭しているとき,自分を忘れている。あれ,こんなに時間が経っている。もうこんなに暗くなってしまった。今までどこで何していたか思い出せない。ひとは,自分を忘れている時が,一番,幸せだ。
痛みは自分を思い出させる
今日はいつもとはちがうところで剣道の稽古。基本稽古をする。高齢の先生でいわゆる棒振りの先生がおられる。小手が痛い。しかも拳。そこは打突部位じゃない!あまりに痛いので,自分で打突部位をずらしてみたら,小手の筒でもないところを打たれる。痛い。
痛いと腹が立つ。これが自分だ。自分が出てくると稽古が台無しになる。悪い癖だ。打たれて痛いからって,それがどうした。貴重な稽古の時間がそんな気持ちで台無しになってしまう。
だから,今すべきことだけに集中する。面に対する応じ技。打つべき機会だけに集中する。自分を忘れるんだ。だから,集中できるし,上達できる。ひとつひとつ,打てなければなぜ打てなかったか,打てたら,ああ,あれでいいんだとじっと自分の動きを見る。だから,失敗したほうがいいのかも。試してみることが大事かな。こうしたらどうかな,ああしたらどうかな。そこに自分はいない。
剣道以外の日常生活でもそうだ。痛み,過去の辛い経験もそう。辛い経験はまさに痛みを伴う。自分がでてくる。そのとき,ああ,自分が出てきた,自分を捨てよう,今の仕事に集中しようと思おう。自分に巻き込まれてしまってはいけない。
ひとは自分を大切にしすぎる。自分は本当は邪魔ものなんじゃないですか?
人間ドッグの結果,精密検査が必要だと郵送で送られてきた。それで三日ほど,気持ちが変。病院に行って白黒つけたらいい話でしょ。がんだったら治療したらいいし,手遅れだったら死ぬ準備をしたらいい。ぐずぐずしている場合じゃない。こんなときでも,いつも自分は僕の足をひっぱってるなー。手前,許さんぞ。いい加減にしとけよ。
そんなことを今年学んだ。
おすすめの書籍
なんだか難しいけれどもよい本だと思う。
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関連する本
山岡 鉄舟 (原著), 高野 澄 (著)「剣禅話」(TTJ・たちばな出版)
中里 介山 (著)「日本武術神妙記」(KADOKAWA/角川学芸出版)
佚斎 樗山 (著), 石井 邦夫 (著)「天狗芸術論・猫の妙術 全訳注」(講談社)
佚斎 樗山 (著), 高橋 有 (翻訳, 解説)「新釈 猫の妙術: 武道哲学が教える「人生の達人」への道」(草思社)
剣道というより,剣術に関連する本です。どれも,目からうろこがぽろりととれる本です。あー,勘違いしているなー,そうだよなーというふうに大切なことに気づく。平易な言葉で書いていあるし,ひとつひとつが短い物語なのでトイレに置いておいてもいいくらい。
剣道してないけどというひとも大丈夫。今していることに,今こだわっていることに置き換えて読んでみたら,たぶん,なにか抜け道が見つかるかもしれない。見つからなくても,全然,なんだよー,つまんねえなと思っても大丈夫。
絶対,これらの本はいつか,えー,おもしろい,っていうふうになる本ですから。
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