実は東方ってやったことないんですよね(笑)

 先に断っておくが、私は原作をやっている。紅妖永風地弾天虹闇と原作STG作品を持っていて、そのうち紅妖永天虹はとりあえずEasyを、風はNomalをクリアしている。

 実は東方ってやったことないんですよね(笑)とは、東方projectのゲームを知らない、やったことないという意味を含んだ失言。

 2005年秋にとらのあなから「東方紫香花」という同人誌が刊行されたが、この作品のアレンジCDに参加したあるアレンジャーが上記の発言をCDのライナーノーツで発表したことから始まる。
 この同人誌には原作者であるZUNも参加していたことや、当該参加者が東方紫香花発表の1年以上前から東方の同人活動において著名であった事から、熱心なファンは「金や名声を得るために東方を利用した」と強烈に批判した(その後アレンジャーはこの件に関して自身のブログで謝罪)。なお、2009年現在の再販分では当該内容は削除されている。

 この騒動から数年が経過しているが、この言葉は東方の同人活動におけるアンチテーゼとして今も東方界隈で使われている。
 またニコニコ動画やmixi等で原作知らない発言する者がいるが、火に油を注ぐ行為となるため軽はずみでも言うべきではない。

上記ニコニコ大百科より

 さてさて。今のゆっくり界隈、及び東方創作界隈で、このような発言をしない人間はゼロだろうか? いや。むしろ増えているだろう。
 にもかかわらず炎上しないのは時代としか言いようがない。

 さて、私の観測する限り、割とここ最近(22年11月)でこのような「なんで原作をしないのか」論争がまた燃え始めている。

ZUN:
 これは東方が抱えている矛盾で、原作を遊んで楽しいと思っている人間と、東方を楽しいと思っている人間の数には乖離があるの。東方を楽しいと思っている人間に、原作を遊ばせる必要はない。もっと選ばれた人間だけで原作を遊ぼうよ。
 そしてそうじゃないと僕は原作を作るのが楽しくないの。その人達のために作るんだよ。東方の人達のために作りたいわけじゃないの。その東方のファンの中で原作を遊んでいる人達のために僕はゲームを作るの。

第129回2軒目ラジオより

 時間指定はしているが、是非フル尺で見てほしい。5時間あるが。

 原作を遊ぶことが必須だろうか。
 遊べない派、やらない派曰く

・東方の二次創作が好きなのであって、東方原作が好きではないから
・時間がない
・STGだから
・パソコンを持ってない
・難しい

 一方必須派曰く

・安いPCでも遊べるから金問題はなんとかなる。
・東方が好きなら時間を作る

 必須派の意見は暴論のような気もするが、やらない派の「二次創作が好き〜」なども色々思うところがある。個人的には時間がないなら小数点STGやれと思う。時間かかるけど。

 しかし、神主は「東方を楽しいと思っている人間の数には乖離があり、東方を楽しいと思っている人間に、原作を遊ばせる必要はない。東方のファンの中で原作を遊んでいる人達」が原作をすべきだと言っている。

 私も一人の原作シューター原作に触れてほしいと思う。弾幕のトラウマを視てほしいと思う。原作の弾幕に、自分の力で受け答えるあの楽しさ。それを楽しんでほしいと思う。

 だがそれが必須であるかと言われると、そうではない。やらなくていいと原作者が言っている。

 東方は初期パラメタに世界観をおいて見たゲームです。結果、カオスが表現する世界は弾幕ではなく、ディスプレイを超えて人の心で計算される様になった。これも極端な妄想ですが、このシステムでこの初期パラメタのまま計算を進めると、自動生成されるものは「ステージ、弾幕」ではなく、「表現」。つまり、様々な形態の作品、また多様な二次創作、という風に進化していく、と思えるんですよね。かなり妄想ですが。

以上、東方書譜「カオスなゲーム」より ZUN、読者(名無し)


 実際に絵を描かなかったとしても、なにか感情が起こっている人はもうクリエイティブな感じになっている。「自分がこれだけ好きだ!」ってアピールするだけでもだいぶ、他の人から見たら新鮮だったりクリエイティブなことが多いので。「一億総クリエイター」

ポリポリ☆クラブ 第93回「集え!作る人と遊ぶ人!~2人の距離は秒速ポリ☆メートル~」
より

 クリエイターが、実は東方ってやったことなくても、原作の、創作のカオスを受け取ったのならば、原作あってこその二次創作ということを分かっていたら、それはもう東方の二次創作となる。

 原作のトラウマが心に残っているのなら、原作はやらなくても良い。

何度被弾れ 満身創痍ても 心に幻想ある限り
その幻想を残機にして 僕らは、また、飛んでいける——。

破れぬ壁に隔てられた かくも厳しき現実は
幻想を相手取っても 上手くいかぬことばかり
初見ならばまだしも 幾度も先を見れぬとき
次こそはと云う精神おもいは 明日へと向かう祈祷いのりなるか?

使うべきものを抱えながら 無駄に散らした残機達の
その数だけ進むのだと 己が心に、刻み込め!

何度被弾れ 満身創痍ても 心に幻想ある限り
その幻想を残機にして また飛べると信じていく。

——僕らは、いつだって、そうして、越えてきたんだ。

そうして”いつか”が叶う時。 全てを愛しく思うとき。
或は、心の奥底では、“Extra Stage"を見ている——?


そして、終わりなき挑戦は 遂に自分をも相手取る
一人だけでも陣を張れ 自分と自分との一騎打ち

最後の最後で堕ちたとき 震えるその手を何処へ遣る
打ち下ろすは拳でなく 己が心を、打ち据えろ!

何度被弾れ 満身創痍ても 心に幻想ある限り
その幻想を残機にして また飛べると信じていく。

——明日は、いつだって、今日より、高くへ飛べる!

そうして自分を越えた時。 全てを尊く思うとき。
果して、心の奥底では、“High Score”を見ている——?


その心の内側に 幻想を掲げて 居さえすれば
きっと僕らどこまでも この幻想の果てまでも。

——僕らは、そうやって、どこまで、行けるだろうか?

僕らはきっと幻視はず。 幻想の続きを願うはず。
或は心の奥底では、“Extra Stage”“Next Dream” “High Score”を見ている——?

テーマ・オブ・カーテンファイアーシューターズ

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