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せめて,人間らしく

▼以前から気になっていた『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』をNetflixで視聴しました(といってもまだ13話中第11話までですが)。

https://www.netflix.com/title/80182123?s=a&trkid=13747225&t=cp

4年間にわたる東西南北による大陸戦争が終結。その戦場で「武器」と称されて戦うことしか知らなかった少女・ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、激化する戦場で両腕を失い、自在に動く義手を付けることを余儀なくされる。

退院したヴァイオレットは、ホッジンズの下で、自動手記人形としてC.H郵便社で働きはじめる。ヴァイオレットには、かつて戦場で誰よりも大切な人・ギルベルト少佐がいた。最後に聞かされた「愛してる」という言葉が理解できなかった彼女は、仕事と日常を通じて人と触れ合いながら、その言葉の意味を探していく[6]。

▼「愛してる」の意味を知るために,「自動手記人形」と呼ばれる手紙代筆業に従事するヴァイオレット。感情の起伏がなく,常に無表情だった彼女が,様々な人々との交流の中で感情を学び,徐々に人間らしくなっていく姿が描かれています。

▼この作品のタイトルは以前から知っていて,2年前の京都アニメーションの放火事件の時にも報道でタイトルを耳にして,Netflixでもマイリストに入れていたのですが,何となく見るのを保留していました。

▼私はいつも,台所で料理をしたり洗い物をしたりするときにスマホでNetflixやAmazonプライムの動画を見ることが多いのですが,先日,ふと思い立って第1話を見てみました。実は,第1話ではあまりピンとこなかったのですが,連続して第2話,第3話と見続けるうちに次第に感情移入するようになり,第10話「愛する人は ずっと見守っている」ではとうとう号泣しました。そして,もっと早くこの作品を見始めるべきだった,と思いました。

▼この作品では,他者の手紙を代筆するという行為を通じてヴァイオレットが豊かな感情を身につけ人間らしく成長することが物語の軸となっていますが,もう一つ,物語の軸となっているのは,ことばで心を伝えることの大切さ,対話を通じて他者を理解することの意義ではないか,と思うのです。

▼これだけ美しく感動的で豊かな物語を制作した京都アニメーションのスタッフが,対話を拒んだ男に惨殺され,傷つけられたことが,悔やまれてなりません(ただし「美しい作品を作った人が殺されるのは理不尽だ」という主張は「美しい作品を作れない人は殺されても良い」という含意を持ってしまうのではないか,という危惧もあります)。そして,その犯人が医師との対話を通じて人間らしさを学んでいるというのは,なんと皮肉なことなのだろうかと思わずにはいられません。

 命の危機を脱し、声が出るようになったのは、約一カ月半後の昨年九月九日。気管切開した部分に取り付ける管を発声できるものに交換すると、青葉容疑者は「こ、声が出る」と驚き「もう二度と出せないと思っていた」と言って涙を流した。
 顔をくしゃくしゃにして泣く様子に戸惑って「とにかくリハビリを頑張ろう」と促すと「世の中には自分に優しくしてくれる人もいるんだ」と言ってさらに泣いた。
 発声できるようになってから日々揺れ動く青葉容疑者の思いを何度も聞いていた。九月下旬のある日の朝は心を閉ざした様子で、目を開けようともしなかった。「生きている喜びから少し冷静になって、絶望や恐怖に気付いたのかもしれない」
 「どうせ死刑になるのに、リハビリを頑張る気が起こらない」とつぶやいたのはさらに約一カ月後の十月下旬だった。「死刑になるのかどうかは分からないけど、やってしまった罪には向き合うべきじゃないのか」。自分から事件を話題にしないようにしていたが、唐突な青葉容疑者の言葉に思わず本音が出た。
 それがどこまで届いたのだろうか。青葉容疑者は「先生に言われると、そうするべきだと思えてくる」と答え、黙々とリハビリを始めた。
重いやけどで入院中の青葉容疑者は病室で淡々と聴取に応じた。「道に外れることをしてしまった」と反省とも受け取れる言葉を口にし「(治療を担当した)病院のスタッフに感謝している」と述べた。

▼今月の18日であの事件から2年が経ちました。犠牲となった方々のご冥福を改めて祈り,二度とこのような痛ましい事件が起きないことを願います。

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