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バージョンアップ?( ゚д゚)ポカーン

▼少し前の話ですが,こんな発表がありました。

科技イノベ白書「Society 5.0の実現に向けて」 文科省が公表

令和3年版科学技術・イノベーション白書「Society 5.0の実現に向けて」を文部科学省がまとめ、政府が6月8日に閣議決定した。

白書では、未来社会像であるSociety 5.0の最新の考え方や、実現に向けた動向を解説。デジタル化や脱炭素化、文理融合による「総合知」の構築、基礎研究力の強化、新型コロナウイルス感染症への対応などの課題や施策を説明した。

第1章では仮想と現実の空間を融合する基盤技術を例示。スーパーコンピューターの意義や成果、AI技術、超高速計算を行う量子コンピューター、データの安全な活用に役立つ量子暗号・通信技術の現状や展望を示した。

第2章では、人文・社会科学と自然科学の融合による総合知の必要性を解説。高齢化や感染症、あらゆる人が支え合う「インクルーシブ(包摂的)社会」実現といった複雑な課題に対し、総合知が必要だとした。自動運転で起こる事故の責任の所在のように、技術が普及して生じるELSI(倫理的・法的・社会的課題)への対応の必要も明記した。

第3章では基礎研究力を取り上げた。新たな施策として、10兆円規模の大学ファンドの創設や博士課程学生の処遇向上、若手研究者の挑戦を支える事業を紹介した。

第4章ではコロナ禍への対応を概説。「今後も新たな感染症が発生する可能性は極めて高く、体制づくりが必要。今回の検証とともに、歴史を学ぶことが貴重な教訓になる」とした。

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白書の扉絵「Society 5.0(仮想空間と現実空間の高度な融合→人間中心の社会)」

Society 5.0とは
サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)

狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く、新たな社会を指すもので、第5期科学技術基本計画において我が国が目指すべき未来社会の姿として初めて提唱されました。

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▼この手の話を見聞きするたびに思い出すのが,佐藤俊樹さんのこの本です。

▼「情報化社会」をめぐる言説の多くは「情報技術が社会を変える」というもので,「情報技術の予測に基づき,社会の在り方を予測する」ことだと言えます。しかし,実際にはどれだけ情報技術が発展しても,たとえば法や経済といった,私たちが日常生活を営むうえで基盤となる社会そのものにはさして変化は見られません。

要するに、技術の話なら理解できるのだ。ところが、その技術が社会にどうかかわってくるのか、という点になると、途端にわからなくなる。「社会のしくみが変わる」と断言しているわりには、きちんとした説明がない。それどころか、じっくり読めば読むほど、とりあげられた情報技術と描かれた未来社会像との間に、明確な関連性があるとは思えなくなる。

佐藤俊樹『社会は情報化の夢を見る』(河出文庫) (Kindle の位置No.198-202). 河出書房新社. Kindle 版.

▼たとえば,インターネットが日本に急速に普及しつつあった2000年前後には,「インターネットによって国境がなくなり,世界が平和になる」といった言説が見られました。しかし,実際のところ,国境はなくならず,戦争は終わっていません。むしろ逆に,ネットを利用してナショナリズムを喧伝したり,テロ組織が自らの主張を(それこそ国境を越えて)世界的に,瞬時に,そしてかつ安価に広めることが可能になりました。

▼こうした「情報化・情報技術が社会を変える」という「情報化社会論」のおかしさについて,佐藤さんは次のように指摘しています。

情報化社会論は未来社会論の一種であり、情報技術の発展から社会の変化を予測しようとする。いわば、技術予測から社会予測を行う議論である。だが、本当はその逆で、社会予測がなければ十分な技術予測はできない。そのため情報化社会論は、実際には、出来あいの未来社会イメージをもってきた上で、それを後知恵的に技術の進歩として語ってきた。そして、社会や人間をコンピュータ系技術になぞらえるAI的アナロジーによって、その転倒をうまく隠蔽してきた。そのことが情報技術と社会の関係を見えなくさせてきたのだ。
佐藤俊樹『社会は情報化の夢を見る』(河出文庫) (Kindle の位置No.302-307). 河出書房新社. Kindle 版.

▼そして,この本の第1章で佐藤さんは,過去に情報化社会を謳ってきた言説を時代ごとに紹介し,実は過去五十年間に渡って同じことを繰り返し言い続けてきただけだ,ということを指摘しています。また,相反する複数の社会像(「ポスト近代社会」VS「ハイパー産業社会」)が「情報化社会」として提唱され続けてきたにもかかわらず「どれが本物の情報化社会なのか」という議論が生じていないことから,実は「情報化社会」なるものには実体が存在しないのではないか,と指摘しています。

「情報化社会」とは何か──その答えは、なぞなぞめいているが、「何でもない」。もちろん、それは裏返せば「何ででもある」。一言でいえば、「情報化社会」とは空虚な記号=ゼロ記号なのだ!
佐藤俊樹『社会は情報化の夢を見る』(河出文庫)(Kindleの位置No.534-537).河出書房新社.Kindle版.

▼ここまでの話は,佐藤さんがこの本で述べたことの一部に過ぎませんが,こうした議論を踏まえたうえで,先ほどの「Society 5.0」なる発表に目を向けると,まさにここでも「情報技術が社会を変える」という「実体の存在しない未来予測」がなされているということが見てとれます。

サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)

▼では,なぜこのような陳腐な未来予測がなされてしまうのでしょうか。佐藤さんは次のような指摘をしています。

強大な企業組織と官僚組織の上に繁栄する企業社会ニッポン──超大型・超高性能の大型計算機を中核にして、集中的情報処理によって最適に制御される「情報化社会」は、その「ニッポン株式会社」にふさわしい未来社会イメージだったのである
佐藤俊樹『社会は情報化の夢を見る』(河出文庫)(Kindleの位置No.2629-2631).河出書房新社.Kindle版.

▼ここから先は佐藤さんの議論からは離れますが,文科省が今回,このような「未来予測」を出したのも,結局のところ「お役所仕事」として何か発表しなければならない,ということからではないか,という気がしています。また,情報技術については,それを支える企業の存在も欠かせない以上,「Society 5.0を実現する情報技術への投資を正当化する」という働きもあるのではないでしょうか。何となく,そんなことが透けて見えてくるようで,「バージョンアップ?なんだかなぁ」という思いを抱いてしまうのが正直なところです。

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