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「ペンギン」のせいで「カッコウ」になった?

「おかしくなってしまった」ってどういうこと?

▼今日,こんな記事を見かけました。

ペンギンのふんから大量の笑気ガス 研究者に異変も
5/15(金) 17:37配信AFP=時事

【AFP=時事】南極(Antarctica)近辺に生息するオウサマペンギン(キングペンギン)のふんから、「笑気ガス」とも呼ばれる亜酸化窒素が大量に排出されていることが分かったとする論文が14日、デンマークの研究チームにより発表された。研究者らはこのガスのせいで、若干「おかしく」なってしまったという。
(中略)
 亜酸化窒素には、歯科医院で使われる笑気麻酔と非常に似た作用がある。また温室効果ガスの一種でもあり、環境への悪影響は二酸化炭素(CO2)の300倍に達する。
 エルバリング氏は「数時間にわたりふんの堆積物のにおいを嗅ぎ続けると、完全におかしくなってしまう。気分が悪くなり、頭痛がしてくることもある」と述べた。

▼私はこの記事を読んで「おかしくなってしまう」とはどのような意味なのだろうか,と疑問に思いました。笑い出すような「おかしい」なのか,それとも「体調が悪い」という意味での「おかしい」なのか,よくわからなかったのです。そこで,この記事の元になった英文を探してみたところ,次のような記事を見つけました。

▼この内容に該当する表現は次の通りです(太字引用者)。

While studying colonies of king penguins on the Atlantic island of South Georgia between South America and Antarctica, "the researchers went 'cuckoo' from being surrounded by penguin poop", he said.

▼ということで,「おかしくなった」は "went cuckoo" と表現されていました。〈go + 形容詞〉は「…になる」という意味で,通例,crazy,mad,badなど「悪い意味の形容詞」がよく用いられます。ですから,この cuckoo は(悪い意味の)形容詞として使われていることになります。

▼Oxford English Dictionary(OED)では,形容詞の cuckoo のところには次のように書かれています。

cuckoo, a. slang (orig. U.S.).
(ˈkʊkuː)
[f. the n.]
Crazy, out of one's wits.
   1918 Wine, Women & War (1926) 75 Wish my daughter would grow up like that.‥ [fn.] Seen her since. Certainly must have been cuckoo!    1923 Wodehouse Inimit. Jeeves xvii. 241 He pottered about the room for a bit, babbling at intervals. The boy seemed cuckoo.    1928 Collier's 29 Dec. 28/1 When everything‥failed to reduce Jack's bulk, I was nearly cuckoo with rage and fear.    1955 M. Gilbert Sky High vi. 76 Never asked for references?‥ She must be cuckoo.

▼形容詞の cuckoo はアメリカ発祥のスラングで, "crazy"(狂っている),out of one's wits(正気をなくしている)という意味として用いられていること,文献に登場したのが20世紀初頭であることがわかります。そして,名詞の cuckoo の項目を見ると,次のような表記がありました。

3.3 Applied to a person; esp. in reference to the bird's monotonous call, or its habit of laying its eggs in the nests of other birds; also = fool, ‘gowk’. Now usu. slang for ‘a silly person’.
(人間に用いられる;特に,その鳥の単調な鳴き声,あるいはその鳥が他の鳥の巣に卵を産む習性に関連して;fool,'gowk' とも同義。今は通常,「間抜けな人」を表すスラング。)

▼引用は省略しますが,OEDではこの用法の用例として16世紀の文献も挙げられていましたから(シェイクスピアの『ウィリアム4世』も含まれていました),おそらく,カッコウの単調な鳴き声や托卵の性質から,まずイギリスで「間抜けな奴」というイメージが生まれ,それがアメリカでは形容詞として「正気をなくしている」というスラングとして使われるようになったということなのかもしれません(イギリスには Cuckoo というタイトルのコメディー番組もあるようです)。

▼ "go cuckoo" がスラングであることと,「笑気麻酔」に近い成分のガスによるということを合わせて考えると,先の記事の「おかしくなってしまった」というところは「ラリってしまった」というニュアンスの方が近いのではないか,と思います。もっとも,ニュース記事に「ラリった」という(いささか下品な)表現を書くのは憚られるでしょうから,「おかしくなってしまった」と表記したのでしょうね。ただ,仮に「ラリってしまった」と訳したとしても,go cuckoo という表現の面白さは伝わりません。

〈カッコウ=愚か者〉のメタファー

▼ metaphor という言葉があります。日本語では「隠喩(法)」「暗喩(法)」「比喩(法)」と訳されたり,カタカナでそのまま「メタファー」と記されることも多い単語です。なお,「隠喩」という日本語の言葉については用法に幅があり,以下のように広義のものと狭義のものがあります。

 広義における隠喩は,転義的比喩の一切を無差別に指す。また狭義には,普通の用語法によっては名付けられないような対象や事態を,その特徴においてよく似た別のものの名辞によって名付ける修辞技法をいう。
(佐藤 信夫 ・松尾大・佐々木健一『レトリック事典』大修館書店,2006年,p.216)

▼ "metaphor" と似た働きをするものとして,"simile" という形式があります。こちらは「直喩(法)」「明喩(法)」「比喩(法)」などと訳されます。「直喩」について,佐藤 信夫 ・松尾大・佐々木健一『レトリック事典』(大修館書店,2006年)では次のような説明がなされています。

 或るものや状態,動作などを,明示的に別のもの,別の状態,動作などになぞらえる表現。結果として得られた表現に即して言えば,それは,二つのもの(状態,動作)の間の,或る点における類似性を言い表すものとなっている。(佐藤 信夫 ・松尾大・佐々木健一『レトリック事典』大修館書店,2006年,p.190)

▼ "metaphor"(メタファー,隠喩) と "simile"(シミリ,直喩)の区別は厳密に行うことは難しいのですが,一つの大まかな区別の方法としては,以下のような目安が挙げられます(ただし,その後でこの二者が段階的なものであって画然とした一線を引くことはできない,という指摘もなされています)。

 シミリもメタファと同じく,AをBで表す型式だが,A=B ではなく,A=as / like B のごとく日本語の「ような」にあたる比較機能を示す語句(as / as if / as though / like など)が入るのがシミリである。故に表面上は,メタファとシミリの違いは強度の差であって,メタファの衝撃を緩和させて表現するのがシミリだ,との定義が行われてきた。He is a skunk. というメタファを,He is like a skunk.(彼はスカンクみたいな奴だ)とすればシミリになる。メタファを断定とすれば,シミリは比較となる。 
池田拓朗『英語文体論』(研究社出版,1992年,p.165)

▼名詞の cuckoo を例に挙げて考えてみると,次のようになります。

(a) He is a cuckoo. → メタファ
(b) He is like a cuckoo. → メタファに近いシミリ
(c) He is as silly as a cuckoo. → シミリ

▼上の区別に沿って考えると,"go cuckoo" という表現は,メタファー(隠喩)の一つだと考えることができるでしょう。では,なぜこのようなメタファーが用いられたのでしょうか。

なぜ「カッコウになってしまった」なのか

 隠喩そのものには,このいずれをも許容する両義性が具わっている。それは,ラミーの説にいささか変更を加えて,表現の構造としては情念を含む思考を正確に表現するものであり,それが効果において,単に意味を理解させるだけでなく,それを超える余剰としての情緒もしくは情念を惹起する,と説明することができる。
 この「正確さ」は,隠喩表現の「必然性(もしくは必要性)」という要請と符合する。古典主義の文学理論化ラ・アルプは,「隠喩は必然性を持つもの,すなわち原義的な語以上の力を持つものでなくてはならない。……クインティリアヌスが巧みに言ったように,それは空いた席を埋めるためにのみ作られるのであるし,単純な語を追い出す場合には,よりよいものでなくてはならない」と言っている(『ル・リセ』第2巻)。ここで引用されているクインティリアヌスの言葉は,隠喩が代替の効かない,つまりそれこそが正確な表現である,ということを意味している
(佐藤 信夫 ・松尾大・佐々木健一『レトリック事典』大修館書店,2006年,p.236,太字引用者)

▼上の英文記事の "the researchers went 'cuckoo' from being surrounded by penguin poop"(研究者たちはペンギンの糞に囲まれたことで「ラリって」しまったんだ) という発話は,デンマークのコペンハーゲン大学の Bo Elberlin 教授が語ったものです。彼がここで "go crazy (mad)" とか "go out of our wits" と言わずに "go cuckoo" という隠喩表現をわざわざ使ったのはなぜでしょうか。

▼上に引用した「隠喩が代替の効かない,つまりそれこそが正確な表現である,ということを意味している」という説に基づけば,"go cuckoo" という隠喩表現を用いたのには,そうしなくてはならない何らかの理由があった,と考えるのが妥当でしょう。

▼もちろん,確固たる根拠はありません。ただ,一つ考えられるのは,この文章がペンギンという「鳥」について書かれていることから,「鳥」つながりで修辞的な効果を狙ったためなのかもしれないということです。そのことを記者も理解しているから,英文の記事でも cuckoo にわざわざシングル・クォーテーション( ' ' )をつけているのではないでしょうか。

▼当然ながら,日本語で「ペンギンの糞から出たガスのせいでカッコウになった」と訳しても全く意味がわかりませんし,「ペンギンの糞から出たガスのせいでラリってしまった」と訳しても,go cuckoo という表現を使ったことによる「鳥」つながりの修辞的な面白さは伝わりません。その意味で,この表現の本当の面白さを日本語で表すのは至難の業と言えるでしょう。

▼大学入試の英語の問題でこうした修辞法が直接問われることはまずないのですが,たとえばこの英文を入試に出題して「"go cuckoo" は『正気を失う』という意味だが,なぜ "go crazy" や "go out of one's wits" ではなく "go cuckoo" という表現が使われているのか説明しなさい」という問題があったら面白いでしょうね。

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