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やられたらやり返してもいいのか

殴られたら殴り返してもいいのか。攻撃されたからってやり返すのはダメだと思う。復讐、報復、敵討ち、いろんな言葉があるけれどね、ダメだよ、相手が誰であろうと傷つけないように配慮しなければならない。

殴られたら殴り返したくなるときもある。(攻撃への対処法の癖は人によってちがうが)
自己防衛本能が働くから。自分が受けた傷よりもっと大きな傷をつけたくなる。どうしたら相手が苦しむだろうか。不幸にするにはどうすればいいのだろうと考える。逃げても首根っこ掴まれ革靴で顔を叩かれるから、戦うことを考える。
考える。

そういうときもある。わかる。でもダメだよ、傷つけることをしてはいけない。

傷は連鎖する。傷ついた人は傷があるぶん、なにかを傷つける。(その対象は他人だったりモノだったり時々自分だったりする)言葉遣いが荒かったり、愛情を試してきたり、脅してきたり、攻撃的な人はきっとさみしくて傷ついてる。さみしくて傷ついているから暴力は許されるの?許されないよ。仕返しもダメだよ。わたしたちは知性ある人間…知性…きっとあるはず…だから…言葉を使おう。

攻撃的になりたい気持ちはわかる。そのムッとした気持ちは、攻撃的にならなくても解決できると思うよ。

同じ理由で、死刑制度の廃止を望んでいる。「こいつは卑劣極まりない」と判断した犯罪者を命ごと消すわことで、安全な社会を守れているかもしれない。

守れている感じはする。

いくら犯罪者だからって命を消すのはよくないよ。人を殺したから死刑にしていいのか。あのね、前提として、我々が犯罪者になる可能性もあるから。何かの拍子に、人を殺してしまう可能性だって大いにあります。生きている限りどんな可能性だってあるから。浮気しなさそうな人が浮気をめっちゃしてるのと同じで、犯罪者は犯罪者っぽくないんだよ。犯罪者も、死刑のルールを決めた人も、みんな人間だからね。人権的にみてどう思う?

「凶悪犯罪を防ごう」じゃなくて、「人を傷つけることはやめよう」でしょう。社会的に有害か無害かはまずどうでもいい。

家に遊びに来た友だちにあたたかい飲みものを入れてさ、「熱いから気をつけてね」と一言添える小さな優しさを、想像力を、誰が相手でも使えたらいいなぁと思う。

誰かにそうして欲しいとかじゃなくて

ムッとしても攻撃的にならないように気をつけたい。

むかし、何度かやり返したことがあって。思い通りにいかないから人を傷つけたことがある。罪悪感とかまったくなかった。自分のことしか考えていなかった。ほんとうに、不思議なくらい、自分のことだけ。傷ついたから傷つけてもいいと思っていた。

悲しい。

わたしは武器を持っている。
知性も…人を傷つけることに使った。

暴力ゾーンに1ミリたりとも参加したくない。
だれも傷つけたくない。だれも。できるだけ。


2020.11.9 追記
やり返すのは暴力の肯定