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不調に名前がつくということ ー磯野真穂さんのブログを読んでふりかえる過去ー

人類学者の磯野真穂さんは、感染対策を理由に生活が制限・監視されていく危機感を2020年4月の段階で言葉にしていた数少ない人です。

今は毎時間のように感染者数と死者数、その後の予測が数字とグラフで示され、ショッキングな医療崩壊の映像がメディアで報道され、私たちはこうなってはいけないと自粛を続けています。
でももしそれと同時に、このような社会状況を続けた結果の失業者数、それによって貧困に陥り生活に行き詰まって心身に不調を来たす人、自殺をする人の予想が示され、それも同様におどろおどろしい音楽とテロップ、センセーショナルな映像で日々可視化されたら私たちはどう思うのでしょうか。
私はこちらのリスクもコロナを恐れると同様の強度で考えられるべきだと思います。(2020年4月2日)

そんな磯野さんが23年9月に書かれたブログを最近読み、似たような思いをしたことがあるのでふり返ってみます。


磯野さんのブログ内容紹介

【磯野さんのブログ内容を簡単に紹介、引用しておきます】
何度も風邪をひきやすく、ひくと長引く。具合の悪い日が多かった磯野さんを周りの人は特別心配することはなかったが、コロナ感染後は以前と比べ物にならないほど周りが心配してくれ、仕事も快く延期してくれた。磯野さんの体感では、風邪の後の不調も、コロナ後遺症も変わらない。

私はあの時も全く同じように具合が悪かった。でもあの時は「ストレスじゃない?」とか、「体質じゃない?」とか、「また風邪なのか?」みたいな目線を感じたりした。あの経験は一体なんだったんだろう。
あれだって風邪の「後遺症」だったんじゃないだろうか?
コロナはよく風邪と比較される。「コロナは単なる風邪ではない」ともよく聞く。でも、「単なる風邪」で長いこと大したことになっていた私は、この断定文とどう付き合えばいいんだろう?
名前がつくと、そうでないものとの比較が始まる。これが名前の力。

もしあの時の私の症状が何かの「後遺症」であると認定され、論文がたくさん積み重なってエビデンスもあるとされ、抱えていた倦怠感を「ずっとだるい」じゃなくて、「ブレインフォグ」と表現することができたなら、何かが変わったのだろうか。
多分変わったんだと思う。きっと私も、周りも、私の不調を違うふうに解釈し、違うふうに価値づけ、その結果は、私の具合の悪さの「内容」と「感じ方」に間違いなくフィードバックされていただろう。
でも、それが良い結果を生んだのどうかはわからない。名前があればよかったとも思わない。名前はときに深く優しく、ときにえぐいほど残酷だから。

不調に名前がつくことについて書かれているのですが、名前がつくことで得られる安心感はたしかにあるものの、それが落とし穴にもなると私は思います。


病気をアイデンティティにし始めた10代

私が中学生になってしばらくした時、朝になると下痢をしたり、頭が痛くなるなどして学校を休みがちになりました。心療内科に行った時、自律神経失調症ですねと言われた時に思ったことは、「自分は謎の不調ではなく病気だったんだ、これで心置きなく学校を休めるぞ」で、医師が認めてくれてホッとしたという体験があります。

高校生になった90年代後半のまだSNSがなかったあの頃、自律神経失調症に悩む人たちが集まるホームページの掲示板を覗くようになり、当時交流していた人の名前は今でも覚えているほどで、ここでも自分と同じ悩みを抱える人は他にもいるという安心感を与えてくれました。それと同時に服用する薬は徐々に増え、薬を持ち歩くためのお洒落な容器を雑貨屋で買い、当時好きだったバンドのステッカーを貼っていました。心の病で悩み、薬を持ち歩かないといけない状態をアイデンティティとして確立していったのです。

大学生になった2000年初頭、HSPという言葉を知るようになります。

繊細さんの本」など最近はHSP関連の本がたくさん出ていますが、当時はこの翻訳本しかなかったような気がします。当時通い始めたメンタルクリニックの医師に「授業中に先生に当てられるの緊張したでしょ?」と聞かれて、そんなマニアックなことを理解してくれる先生が神様のように見えました。

大学卒業後、アルバイトを転々としていた頃に社会不安障害を知り、いつになったら就職するんだと言う親に社会不安障害関連の本を読ませ、下手に声をかけると自殺する可能性だってあるんだと、病を盾にして親の口を封じたこともあります。

こうしてふり返ってみると、私が心療内科に通い始めた90年代半ばからそうした病院の敷居が低くなり、メンタル系の薬の販売量が激増し、自律神経失調症、パニック障害、HSP、社会不安障害と次々に名前が付けられ、心の病のトレンドが移り変わっていく。こうした流れにそっくりそのまま乗っかった人生だったことがわかります。


病気に居着かない

不調に名前がつくことはときにえぐいほど残酷だと磯野さんが言い、私が落とし穴にもなると書く理由はもうお分かりだと思いますが、一つは「名前のある病を自分のアイデンティティにしてしまうと、治したいけど治したくないというジレンマが生まれる」ということです。

自分の病や服用している薬をプロフィールに羅列して、自分のアイデンティティにしてしまうと、病が治った時、服用する薬がなくなった時に自分を表現するものがなくなってしまう。人から心配され、注目してもらう手段もなくなるため、病気を手放したいのに手放せないという状態に陥りやすくなります。

根本的な原因の解明や解決がしにくくなるというのも、名前がつくことで起こりやすくなるかもしれません。心の病に対して薬を飲むと言うのは対症療法であって、家族との関係をふり返ったり、生き方について考えることが根本的な原因の解明と解決につながります。私が病院と付き合うことをやめられたのは、いかに病気を治すかではなく、いかに生きるべきかを考えさせてくれる整体と出会ったからです。

コロナ後遺症について言えば、感染後の不調といってもそれがウイルスが悪さをして生まれているものなのか、発熱の経過の失敗(解熱剤を使うなど)によるものなのか、ワクチン接種者なら副反応に対して解熱剤を使ったどうかもその後の体調に関わってきますし、長期間の外出自粛・他者との交流を絶つということも体調に関わってきます。

一人暮らしだった私の祖母は80代前半で蛍光灯を交換しようとして転倒、骨折。1ヶ月ほどの寝たきり生活を経てあっという間に認知症になりました。買い物も行けず、趣味だったゲートボールも行けずに一ヶ月寝ていれば高齢者ならそうなって当然、若くても誰とも会わずずっと家にいれば脳が機能低下したり、ブレインフォグのような状態になってもおかしくありません。

また、コロナに対する恐怖感の強さによっても出てくる症状が違ってくるというのは前回の記事で書いた通りです。

このように、感染後の体調不良といっても考えるべき要素が膨大にあるにも関わらず、あれもこれもコロナ後遺症と決めつけすぎではないかと思っています。

自分の心の不調は病気のせい、体の不調はコロナ感染のせい、アレルギー症状は花粉のせい。不調をすべて何かのせいにしてしまうのは楽です。不調の原因を自身の心や体、生き方に見つけて、そこから目を逸らさないのも変えるために動き続けるのも決して楽なことではありませんが、自分の足で立つというのはそういうことです。

薬に頼り過ぎないようにと日々お伝えしている私自身が薬漬けだったというのはなんとも恥ずかしい限りですが、読んで「私も変われるかもしれない」と思う人がいたら、ぜひ整体の世界に足を踏み入れてください。

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