続・半匿名でいたい人たち

もし今電車に乗って、乗客の全員がマスクを着けていなかったらどう感じるでしょうか?私は全員素顔で座っている姿を想像したら、やっと素顔が見えて嬉しい反面、「全員個性を出し過ぎている」と感じるような気がするのです。

「目」ほどではないにしろ、鼻と口はその人が誰であるか識別するための重要なパーツであって、個性がかなり濃く現れる場所です。そんな部位を2年間も隠し続け、半匿名であり続けたわけですから、一気に晒されると個性の圧に驚くのではないでしょうか。

特別な人と普通の人を区別するために使われたマスク

芸能人だけ素顔、素人の出演者だけマスク。
アーティストだけ素顔、バックダンサーだけマスク。
以前からよく見る光景でした。

最近は海外に行った首相がマスクを外して喋っている姿をよく見かけます。「相手国のルールに沿って外した」と言いつつも、マスク着用が実質ルールになっている日本に来たVIPともマスクを外して喋っています。
#自分だけノーマスク岸田 というハッシュタグが流行っているように、「特別な人はマスクを外していい」こと、「身分を象徴するアイテムがマスクである」ことを見せつけられる日々が続いていると感じます。

政治家は素顔、通訳はマスク
こちらも通訳はマスク、スターは素顔

「この人たちは事前に検査を受けているから素顔でも良いんだ」というのはこの際どうでも良いです。問題はこうした「マスクを着けさせられるかどうかは身分次第」に慣れてしまうと、

「一般人はマスクで顔半分隠すくらいがちょうど良い」
「一般人が素顔でいるのは個性を出し過ぎだ」

というような感覚が生まれるのではないかと思っています。
心配し過ぎだとは思いますが、学校現場などでの着用緩和のスピードが遅過ぎるのを見ていると心配もしたくなります。

素顔を隠すこと、隠している人に抵抗感の少ない若者

最近流行りの音楽って素顔を隠しているアーティストが多いですね。
Ado、yama、ヨルシカ、ずっと真夜中でいいのに。
ライブでも逆光を利用して顔が見えないようにしています。

私は歌う表情、飛び散る汗や唾も含めた「すべてをさらけ出した姿」に惹かれてライブハウスに通っていたのですが、そういうのは暑苦しく汚いと感じる若者が増えるのかもしれません。

今思えばラーメンを音を立てて啜らない若者、土を踏んでふかふかするのが気持ち悪いと感じる子ども、友達をあだ名で呼ぶの禁止などなど、「清らかさ」の感じ方が変わってきている予兆はありました。

マスク着用の緩和を若年層がそれほど歓迎していないのは、「好きなアーティストも素顔を出してないから」というのもあるかもしれませんが、やっぱりお互いにマスクで少し壁を作っておいて、現実世界でもネットと同じように匿名でいられた方が安心なのではないでしょうか。

ありのままのあなたが素敵だと伝えられるか

以前こんな記事を紹介しました。

 東区の女子学生(20)は「外で素顔をさらす勇気がない」と落ち込む。2カ月前、外食中に男性3人組の視線を感じた。パスタを口に運ぼうとマスクを外した瞬間、「あ、微妙」と意地悪な笑い声が聞こえた。「見ず知らずの人から否定され傷つくのが怖い。一生マスクでいいです」

マスク外せない若者 もはや「顔パンツ」(中國新聞)


学校でマスクを外す時間が本格的に増えていくと、容姿をけなすいじめがコロナ以前より増えるのではないかと思っています。

引用した記事のように、人はマスクで隠れた部分を「頭の中で勝手に良く想像してしまう」ので、実際の素顔を見たときに「あれ?」となってしまう。マスク姿と素顔にギャップのない人なんてなかなかいないでしょう。
最初から素顔をけなされるよりも、「思ってたのと違う」と一度上げられた評価を下げられる方が傷つくに決まっています。

マスクで人との距離を作っていた方が深く傷つくこともないし、怒られてもダメージは和らぐし、他人の唾も気にならないし体臭も口臭も感じなくて済む。「動物らしさ」を感じさせるものすべてを排除したのがクリーンな世界。

ダイソンが開発した空気清浄ヘッドホン

水を買うのに慣れたように、綺麗な空気も買う時代になるのでしょうか?

「これからはこれがクリーンですよ」という宣伝に私はやっぱり抗いたいですね。そっちに進みたい人を無理には止めませんが、進むのが嫌な人たちと、汚かろうが、生々しかろうが、素顔を見せ合って生きていたいです。

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